2019-11-02 03:12:49
とじこもり
日記
内心落ち着かない状態で日々過ごす
ふとするとすぐ涙目になってしまう
告知当初あまりにも状態が悪くて毎日朝が来るのが苦痛で寝ている時だけが幸せだった
だから余命宣告されなくとも3ヶ月と勝手に思っていたのに3ヶ月を過ぎた
薬が現状維持以上には少し効いたらしく、背中の激痛が消え普通以上の量の食事ができるようになり
びっくりするほど以前と変わらない生活に戻った
変わったのは近いうちに死ぬ事実を抱えてることだけ
事実から目をそらす為に布を切ったり縫ったり
無職で甘え散らかした生活をしてる私なんかより絶対に生きるべきで生きてて欲しい人が亡くなって、あまりの状態の悪さに退院の見通しすらたたなかった私が生きてて
なんでだろう
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告知以降病気のことを知ってる人としか関わってないことに気付かされた
次女が小さいメモ紙とちびた鉛筆をもってきて電話番号をきいてきた
理由をきくと、以前のように幼稚園のお友達と家を行き来して遊びたいから、そのためにお友達のお母さんに電話番号を教えて連絡を取り合って欲しいと
本当はもっと拙くて言葉少なだったけどつまりそういう意味で
そうだったなあ
病気になる前は幼稚園の延長保育にいれてなかったから、午後はおうちにお友達がきたり、一緒に公園にいったりしてたんだよなあ
長女のお友達は偶然お母さんが中学時代の先輩だったり、いつもお世話になってるご近所さんだったりして、お見舞いにも来てくれてるから病気のことは当然知っている
だから告知以降もあまり何も考えず家に呼んで何度もバーベキューしたり遊んだりできていた
でも幼稚園のほうは告知以降ほとんど関わりがなかった
無意識に自分の気持ちが楽な方を選んで甘えてるせいで子供に我慢させてたことがすごく心苦しかった
次女が遊びたいお家の人の連絡先はお互いに知っているし去年は何回も一緒に遊んだ
けれど連絡できない
普通に接する自信がない
パパにいったら
共働きだったり人それぞれの事情でほとんどの子は自分ひとりで友達の家に遊びにいける年齢までずっとそうなんだから別に気にすることなんかないんだ、と
それもそうだけど、そういう言葉に甘えるわけにもいかないんじゃないかと思う自分もいる
今元気で動けているあいだに、たくさん幼稚園や学校以外のところでお友達と遊ばせてあげないと
自分がいなくなったらパパが言うように子供だけで行き来できるようになるまでしばらくそういうことができなくなる
今のところ血縁以外で家に来てくれるのは100%自分が連絡とっている人達だけ
パパにパパ友いないしそもそもパパ人見知りで人付き合い面倒くさがりでウェルカムなキャラじゃないし
と思うと連絡とって遊ばせたいんだけどどうしたものか
もじもじぐずぐず面倒臭いやつだと自分でも思うけれど
一番危惧してるのが接してるうちに告知前何も知らなかった時のことを思い出したり、色んなこと考えて辛くなって泣いてしまうこと
幼稚園終わったら付き合いがなくなるライトなママ友に目の前で急に取り乱されたら普通に困惑するよね
それがないって自信があれば連絡とって遊びたい
多分私は先に空にいかれたCPのお仲間のことをまだ、まだもう少し偲びたいんだ
そして心が落ち着いたら連絡しよう
ありがとう!をしている会員
なぎさみお
なんだか少し気持ちわかります。
私は保育園ママなので、幼稚園ママのように降園後連絡を取り合って子供を遊ばせるということは無いのですが…
うちには3歳の娘がいて、今後音楽教室に通わせたいのです。
そこでは他のママ達とも軽く関わる事になるんだろうな。もしかしたら仲良くなって教室以外でも遊ぼうとなるかも。と思うと、以前だったらむしろそういう事に積極的だったのに、癌になってしまった今は新しい人間関係を作ることを躊躇しています。
きっとそういう教室に来ている親子を羨ましく思うだろうな。と思うのです。
あの子はきっと大人になるまで、お母さんと一緒にいられるんだろうな…とか。色々なこと考えてしまいそうです。
でもそれを理由に習い事をさせないってのも、なんかなぁ…と思うし、娘にはこれから輝かしい未来が山ほど待っていて、その入口を母の癌を理由に狭めたくないなぁと思ったり葛藤しています。
2019-11-02 07:02:52
南
そうなんですよね、、、
長女はピアノと塾をやっていましたが、ピアノのほうは告知後すぐにあったコンクールが終わってからやめました。
家では私が毎日練習に付き合っていたのですが、治療や副作用等でそれができなくなり、1人で孤独に練習することで長女のモチベーションが下がってしまったことが理由です。
コンクールではたまたま上位入賞し、先生や長く通わせている他のママさん方からもセンスがある、来年も再来年もその先もずっとコンクール見ましょう、と言ってもらえたのですが自分のせいでそれが叶わず、、、
塾の方は私が幼稚園から中学まで通っていたところに今も通わせています。
実家から10歩ほどの距離で、先生とはほとんど親戚や家族のような関係です。
そちらは長女も次女も母乳を飲んでいた時期から通っているので、幸いにも習慣づいてくれました。
私が副作用で伏せていても1人で取り組むことができ、週2のところ週1にしてもらったり、塾終わりに迎えに行けるまで先生の自宅で遊ばせてもらったりと、こまめに先生とLINEで連絡を取り合って対応をしてもらえるため継続させています。
ピアノも塾も交流ある方々は先生含め病気のことは理解してくれていました。
自分にとってはこの上ない環境だったのですが、諦めなきゃいけない部分もありました。
他のお母さん方を羨ましいとは思いますが、それ以上にみんな心配してくれて、事情を知って毎週の送迎まで申し出てくれた方までいたりして。
色々と書いてしまいましたが、なぎさみおさんの体調面やスケジュールで調整がつくのなら、習い事はおすすめしたいなあと思います。
できれば昔からの知り合いが通ってたり先生をしているところが精神的に負担が少ないですよね。
(ピアノも塾の先生の孫娘さんや、塾のスタッフの娘さんが通ってたりしてました)
参考になれば幸いです。
2019-11-02 11:20:52
mameo
すごくわかります。
うちも以前は幼稚園の放課後、しょっちゅう遊びに行ったりきてもらったり…。
病気の告知と共に実家に引っ越して幼稚園や学校も変わって、昔のママ友には病気のことも言いましたが、今の園ではママ達には知り合ったばかりで病気のことを言われても引かれるだろうし、引越してパパと離れている理由を考えるのも面倒で、全然付き合いがありません。
うちは長男は小学校に入り、勝手に友達と遊ぶようになりましたが、次男は同じようにお友達のママに連絡とって!電話番号をお手紙して!と言ってきます。
今は時々延長保育をお願いしていますが、お友達と遊べるので嬉しいようです(^-^;
2019-11-04 10:53:55
南
全く一緒です?
こちらは登録して常時延長保育をお願いしています。
本人的には憧れの(笑)延長保育だったようで、通常の保育時にはないおやつや塗り絵や映画鑑賞を楽しんでいます。
主人が迎えに行くと心底帰りたくなさそうな顔をするそうで、良いような良くないような、、(笑)
それもあって別に家でまで遊ぶ必要はない!というのが主人の意見です。
結局のところ子供のただのないものねだりなので、おそらく健康な時ならあまり気にもとめなかったんだろうなと?
2019-11-04 13:23:36