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c-hiho

東京都 / 乳がん / ステージ2

2020-02-19 15:07:01

欠損

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日記

2020/1/13(月) →抗がん剤治療⑨から6日目

最近、湯船に浸かっていて思うのは
「この右胸が、もうすぐなくなるんだなぁ」ということ。
なくなった状態を想像するが、いまいちわからない。

私はGカップあるので、片方だけ取ると歩く時とかバランス悪くなるんじゃないかと思う。
だから一応、以前「全摘」の話が出た時は先生に、
この際ガンのない左胸も取っちゃうっていうのはできないですか?と聞いたら
「倫理的な問題でこの病院ではできません」と言われた。もちろん想定内の返事。

でも私は若い時に、この大きな胸がイヤで調べたことがあるのだ。
美容整形外科なら20万円とかで健康な胸を小さくすることができるのだ。
保険を効かせなくていいのなら、倫理は影響しないのだ。

っつーか「倫理」ってどこまでの倫理だ。病院のか、日本のか、世界のか。
「私の」倫理では健康な胸を取りたいと言う気持ちも「倫理的に許される範囲内」だ。
とか、「倫理」の言葉尻をとらえて喚いても何の意味もないことも知っている。

はぁ。
別に、倫理について噛みつきたい訳ではないのに
考え始めるとこんなふうに、違うところに突っ込んでいってしまう。
結局それは、考えても調べても、「私の場合」をうまく想像することができなくて
スタートの「いまいちわからない」という状況に戻るだけだからだろう。

未知のものに向き合うということは、こわい。

大人で、きちんと説明を受け、同意書にサインする私本人でさえ、こんなんなのだから、
子供たちは、右胸のなくなった私の体を見たら、どう思うんだろう。

もちろん、当たり前に、絶対に、かなりのショックを受けるだろう。
いくら説明したところで、想像なんてできるはずがないし、欠損という衝撃は大きいだろう。
そのショックを受けた自分を、彼らは私に見せてくれるだろうか。
やさしい彼らは、ショックの元である私に、何も訴えることができないんじゃないだろうか。
それが心配だ。

夫とは話している。でも、彼は私ではない。
自身がショックを与える存在であることの不安や、
彼らの気持ちをぶつけてもらえないかもしれない不甲斐なさを
完全に共感してもらうのはムリなのだ。
もちろん、それでいいし、それだからこそ彼にいてもらう価値は別にある。

でも、
子供たちへの伝え方、その先の寄り添い方については
私たち夫婦には、いまだにはっきりとはわからない。

それでも、
できるだけの説明をして、
できるだけ一緒に想像して、
できるだけ一緒にショックを受けて、
できるだけ一緒に慣れていくしかないのかなぁと感じ始めている。

私たちは、家族だけどそれぞれ別の人間で、
別の人間なのに、一緒に笑って暮らしていきたいのだから。

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