2018-08-03 20:46:19
人生観…とまで言うと大袈裟かな。
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日記
不意に訪れた余命の影をなんとか肯定的に受け止めようと、去年の告知以来、理屈をこねにこねまくっています。
何歳まで生きたら、死を受け入れて、仕方がないかと思えるようになるのか。
きっと、何歳まで生きても、もっと生きたい。なぜ自分だけ、まだ死にたくない。
と、悲しんだり、恨んだりすると思う。
推測では、年を重ねるにつれて、同年代の死亡率も高まるから、人並みだと受け入れやすくはなるかもしれないけれど。
結局、今この瞬間を、生きているのであって、過去でも未来でもなく、今が全てで、今の自分の境遇について客観的に、又は私観的に幸せかどうか判断し、死んでも大丈夫かどうか、諦めがつくかどうか、いずれかの刹那的な結論を出している。
結論を受け入れられないとき、悲しんだり恨んだり、嘆いたりしている。
親をみとり、孫を抱く。
私にとって普通の未来だった。
最低限とまでは言わない。
辛いことや些細な幸せを抱えながら迎える未来だった。
大きな大きな夢になってしまった。
夢を追いかけることよりも、今を大切に。
朝、目が覚めることに喜びを感じ、娘や息子と一緒に笑えることを慈しもう。
妻と言葉を交わし、親に感謝し、友達の暮らしに思いを馳せる。
日常を継続したい。
下り坂を緩やかにおりる。
最後の最後だけストンと落ちれたら
それはとてもめぐまれているのかもしれない。
少しくらいの痛みや、不遇に動じなくなったのは不幸中の幸いだな。
こりゃ。
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