2019-04-12 08:34:50
時間イコール命
日記
ブログ記事『時間イコール命』を書きました。よろしければご一読ください。
https://ameblo.jp/hanaki-yuusuke/entry-12452166604.html
(以下、本文転載)
こんにちは、花木裕介です。
4月に入り、早10日が経ちましたね。
新年度2週間目、皆様いかがお過ごしでしょうか。
僕の方はというと、復職から7ヶ月が経過し、最近は、社内外で、どちらかというと、健常者と見られることが多くなってきました。
「体、無理しないで」
「何かあったら声かけて」
といった配慮もだいぶ落ち着いてきて、良い意味でこちらも通常運転に戻りつつあります。
会社でも、家庭でも、曲がりなりにも戦力として認められたということでしょうか。
ただ、どうしても会話が噛み合わない(と、こちらが感じる)のが、時間に対する意識でしょうかね。
以前も書きましたが、一昨年お亡くなりになられた元聖路加国際病院院長の日野原重明先生は、生前、全国各地の学校などでの「いのちの授業」で、次のようなことをおっしゃられていたそうです。
「命や寿命は自分が持って使える時間。ただ長生きをしても意味がない。自分が使える自分の命、時間である命を、いつ、どういうふうに使うか。それが君たちが生きるということ。君たちが大きくなったら、そういうことを是非やってほしい」
このコメントを治療中に読み、命や時間の大切さを自分なりに十分噛みしめたつもりですが、社会に戻れば、そういう感覚の方ばかりではないですから、どうしても認識のズレは出てきます。
まあ、僕もがん罹患前は一生生きていくかのように時間の浪費をしていたので人のことは言えませんけど。
「その件は、半年ほどお待ちください」
「2〜3年のスパンで考えていこうよ」
「老後に向けて…」
みたいな話が出ると、顔では理解したつもりになっていながら内心は、「いや、そのときどうなってるか分からないし、こっちは3ヵ月後の経過観察で引っかかるかもしれないし、そんな先の話じゃなくて、とにかくやれることを今からやりたいんだよな……」なんて思ってしまうわけです。
人によっては、そんな僕の姿勢は、少し生き急いでいるように感じるかもしれません。
でも、やっぱり、日々全力で考え、全力で行動するしかないんですよね。
また、来月には、いやーな経過観察の検査も待っているわけですから。
そのときもし何かあったとしても、できるだけ悔いの残らないようにしたいので。
この辺が僕が、「青臭い」と言われる所以ですかね笑。
(了)
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