
キャンサーペアレンツとは
こどもをもつがん患者の方が、同じ境遇の方を探してつながり、仲間になることができるコミュニティサイトです。
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新着日記
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弘ちゃん (44)
長野県 / 膵臓がん / ステージ4
アブジェム4コース目に入って
先週から4コース目に入って、気力、体力、精神力全て整わないまま突入... 唯一の救いは痛みが消えにくくなって来てのでオキシコンチンを始めたら痛みは凄く和らいだ事。 かは無くなる、体重も削ぎ落ちていく、食事量も落ちていく、唯一増えるのは眠さ、睡眠時間、気がつけばいつもウトウト😔 そんな中先週の週末奥さんと2人でデート。近所の桜の名所へ散歩に出かけ、ゼェゼェ言いながら休み休み見に行って、途中の茶店で煮込みおでんがあり2人で食べたんだけど凄く久々に心の底から、うめぇなぁ〜って思えました。 最近調子悪いせいかネガティブな事ばかり、こんな時みなさんはどうのりこえてるんでしょうか? やりたい事もたくさん有るんだけれど、何も気力体力が伴わないと出来ない事だからって諦めてる自分が駄目なのかなぁ ポジティブにならなきゃなぁっておもうんだけどねぇ
2021年04月19日 -
akooka (31)
茨城県 / 悪性骨腫瘍(骨肉腫、軟骨肉腫、ユーイング肉腫など) / 寛解
寛解390日目、叔母が亡くなりました
こんばんは。 寛解390日目となりました。 去る4/12(月)、叔母が亡くなりました。 ※叔母については以下の日記をご覧ください。 https://cancer-parents.com/posts/2077757 葬儀の関係で再度静岡に帰っており、一昨日茨城に戻ってきました。 9月にがんが判明してから、たった7ヶ月で逝ってしまいました。 あまりにも早過ぎる。 棺の中の叔母は、肝臓の機能が弱っていたため化粧で多少ごまかせてはいましたが それでも顔が黄色に染まっており、 腎臓の機能も弱っていたため水分が排出できずに浮腫みを酷く、 1月に会った時とは別人のようになっており、 病気の辛さを表しているようでした。 叔母の病気が判明してからずっと傍で一緒に闘い続けた私の母は、 棺を抱きしめるようにして 「頑張ったよね」 と大粒の涙を流しながら叔母に言っていたのが、とても記憶に残っています。 葬儀中、ずっと考えていました。 叔母は、幸せな人生だったんだろうか、と。 結婚してビルを建て、そこで自営業を営んでいましたが、 人が良かったため色々な人に騙され(一千万弱と聞いてます)、 子供が欲しかったが子宝に恵まれず、 夫が50代の時に統合失調症となり自営業を続けられなくなり、 以降は夫の介護を続けて。 がんが分かった時には、自分の治療すらできない貯金しかなく、 兄(私の父)が全額負担して、 兄にお金を借りなければならない状況に尊厳もずたずたになったと思います。 本人が幸せだったかどうかなんて、もう今更分からないし、 他人が決める事でも無いです。 だから、きっと幸せだったんだ、と私の中では結論付けました。 叔母がそんな経済的状況だったのが分かったので、 私は食料の支援を続けていました。 特にレトルトのお粥は食べ易くて片付けも楽でとても喜んでいました。 これは、ただ単に、私が後悔したくなかったからです。 葬儀の際に、叔母の友人が私に言ってくださいました。 叔母は貴方にとても感謝していた、と。 同じ病気に先に罹っていたから心強かった、と。 もう、涙を堪えるのが大変でした。 結局、私は葬儀中一切涙を流しませんでした。 自分が亡くなる時は、笑って送り出してほしいし、 皆が泣いて悲しんでいたらきっと叔母のことだから「私のせいでごめんね」と 思ってしまうんじゃないか、と考えたからです。 やっと病気から解放されたんだから、そっちでのんびり過ごしてほしい。 久々の父(私の祖父)との再会。 皆もいつかそっちに行く。 それまではまた頑張ろう。 生前、叔母に頼まれたから。 私はしっかりしなくては。 それが残された者の使命。 明日からまた頑張ろう。
2021年04月18日1
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ジョン (28)
北海道 / 大腸がん / ステージ4
異動しました!そして、愚痴。
この4月、各所の多大なるお力添えをいただき、無事に通院可能な職場へ転勤することができました! 久しぶりの小学校勤務。ポジションも勤務形態も初めてですが、楽しく、適度な刺激を受けながら働けています。本当に感謝です。給食も美味しい😭 一方で、体調の方は、100点とはいかず、 ・横になるとあばら、肩痛い ・腸液が旧肛門から出る ・呼吸すると胸の真ん中らへんが痛む ・尿道にたまにツーンとする痛み →尿道に管入れてた時の痛み が日々ある状態。 ・身体が重い →1つ1つの動作が疲れる ・働いてる最中にふらつく。 抗がん剤再開して、早く治ればいいなー。 あと、ここからはあんま言いたくはないけど愚痴です。 いろいろな考えあるのはわかっていますが、 「ガンになったのは自分の身体からのメッセージだよー」 とか 「ガンになったのは必要なことだったんだよー」 的なことを言われると最近は無性に腹がたちます。今までは聞き流せていたのですが、身体のあっちこっちが痛かったり、お金のこと考えたりしてる中でそれを聞くと、 「なんなん。余命宣告されてみ?身体からのメッセージだとしたら遅ない?早く言わんかい。自分の身体こうなるまで言わないとか口下手なんかい。」とか「次々のクレジットの明細見ていろいろ考える気持ちわかるんか?」とか思ってしまいます。笑 ほんとにもう…。 人の気持ち考えないで、あんまそういうの言わないで欲しい。 切にそう願うこの頃でした。 自分も気をつけよう。 気分悪くされた方いたらすみません。 共感してくれたり、受容してくれた方いたら嬉しいです。 ありがとうございます😭
2021年04月18日4
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ヤスヒロ (35)
埼玉県 / 非ホジキンリンパ腫 / 不明
免疫療法 情報過多
やれるだけのことをやってみるか。。。
2021年04月18日12
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35歳でのがん告知、最後の仕事

闘病中に感じた孤独感
2015年2月、35歳のときに「ステージ4のがん」の告知を受けました。頭が真っ白になり、何も考えることができませんでした。家族や友人、職場の同僚などの支えで日常生活に戻ったものの、大きな孤独感を抱えながら、手探りの日々でした。
同世代のがん体験者が周囲にいなかった。相談できる人がいなかった。しかし、小さなお子さんを持つがん患者が毎年約6万人(2015年国立がん研究センター調べ)増え続けている事実を目の当たりにし、「孤独を感じながら闘病しているのは、自分だけではないはず」と、子どもをもつがん患者でつながれる「キャンサーペアレンツ」を2016年4月に立ち上げました。
現在も、週に一度の通院による抗がん剤治療を続けながら、会社ではたらきながら、キャンサーペアレンツの活動を平行して進めています。いつどうなるかわからない状況の中、最後の仕事と位置づけて取り組んでいます。
キャンサーペアレンツ起案者
西口洋平(ぐっち) 2016年4月