こどもをもつがん患者でつながろう

花木裕介

千葉県 / 中咽頭がん / ステージ4

2019-01-04 19:45:46

年末、東北に行ってきました。

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日記

※ブログの方に画像を14枚貼り付けていますので、よろしければそちらでご覧くださいませ。

ブログ記事『年末、東北に行ってきました。』を書きました。よろしければご一読ください。

https://ameblo.jp/hanaki-yuusuke/entry-12430647661.html

(以下、本文転載)
こんにちは、がんチャレンジャーの花木裕介です。

2019年が幕を開けましたね。

すでに新たなスタートを切っていらっしゃる方も多いかと思います。

そんな中、ちょっと時を巻き戻して2018年末のことを書かせてください。



僕の実名顔出しによる発信のきっかけは、7年前から始めた、東日本大震災の復興応援活動です。

メルマガに始まり、フェイスブックページ、出版などを通じて経験を重ねていたことが本ブログを継続する力、すなわち、今回の治療を前向きにやり切る力を醸成してくれました。

そんな原点に立ち返るべく、年末に1泊2日で宮城(主に石巻市)と福島のほうを回ってきたというわけです。

実に5年ぶりの石巻でしたが、駅近くはかなり様変わりしており、一見復興は順調かに見えました。

しかし、海側に行くにつれ、7年前に初めて訪れた感覚が蘇ってきました。

表現は良くないですが、「戦火のあと」のような状態が、今もはっきりと残っており、日和山公園に集う何名かの語り部の方が、現在の町の様子を我々観光客に教えてくれていました。

やはり一度失ったものを建て直すのは並大抵なことではないですね。

一方で、僕自身がん治療後初の被災地でしたが、辛い治療を気持ちを強く持って乗り越えられたのは、間違いなくこの地と関わったことによるものが大きく、改めて感謝をした次第です。

復興応援のつもりが逆にこちらが命を助けてもらっていたんですね。

そんなことを、今月発行予定の著書にも書いていますので、よろしければ見てみていただけたらうれしいです。



仙台で一泊し、2日目は、仙台から常磐線で、親族のいるいわきまでひたすら下っていきました。

途中、何度か電車を乗り換えたり、振替バスに乗ったりと、帰宅困難区域や線路が途切れている区域がまだまだ残されていることが伺えます。

特に、乗り換えで降りた浪江の街は、まさに「音のない」「時が止まった」世界でした。

乗り換えする旅人を除いて、街に人が本当に誰もいないのです。

家々はもぬけの殻で、人が戻ってくる様子は感じられません。

石巻といい、福島といい、同じ日本にもまだこのような土地が残っているという現状を、忘れてはいけないんだなと再認識しました。

と、一人修学旅行ともいうべき旅でしたが、もちろん食の楽しみも各地で満喫してきましたよ。

以上、短いレポートでしたが、またいつか機会があったらご紹介したいと思います。

最後に。7年前に初めて被災地に行ったときのブログを引っ張ってみました。よろしければこちらもご覧くださいませ。

【参考】「2011.06.18  宮城県石巻市へ 」
https://ameblo.jp/yauysauckoe/entry-10930552937.html

それでは、改めて本年もどうぞよろしくお願いします!

(了)

  • つう

    花木裕介さん
    はじめまして。仙台在住のつうと申します。
    石巻はぼくのふるさとでして、実家は日和山公園から徒歩5分です。震災のニ日後にたどり着いた日和山から見た風景に涙したのを痛烈に記憶しています。眼下に見えた南浜町。子どもの頃から親しんだ美しい景色が、白黒の地獄になっていました。信じがたい風景でした。
    8年たち、今はだいぶ建築物が整い、街なかは一見するときれいになりました。けれど、花木さんがおっしゃるように復興は一律ではなく、僻地ほどスピードが緩やかなことは否めません。
    長く継続して、宮城に思いをよせていただき、ありがとうございます。被災地の現状を発信してくださってありがとうございます。

    2019-01-05 06:31:41

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    • 花木裕介

      つうさん
      はじめまして、花木です。
      石巻ご出身なんですね。
      私は震災後からの関わりなので、震災前との比較はできないのですが、過去の写真などを見る限り、そのショックは大変なものなのだろうとお察しします。
      私にできることはこの程度のことですが、これからも忘れずにいること、忘れないよう呼びかけることだけは続けていきたいと思っています。
      今月末に出版予定の書籍は、自身の治療体験と被災地から学んだことをテーマに書き上げましたので、よろしければご覧いただけたらうれしいです(タイトルは『青臭さのすすめ』といいます)。
      今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
      花木

      2019-01-05 08:54:49

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  • とっしー

    裕介さん、東日本大震災は多くの人に様々な影響をもたらしたと思います。

    私のかみさんの実家は福島県相馬市です。津波と原発の被害に遭い、震災10日後に車にありったけの水、米、灯油など生活物資を詰みこみ、あきらかな過積載状態でかみさんの実家に向かったことを昨日のことのように思い出します。沿岸部の防風林は津波で消え去り、内陸の国道に大型漁船が打ち上げられていました。
    その後、家族は会津へ避難しましたが、祖父母が避難先で体調を崩し入院し、その後の生活に大きく影響を与えました。

    さらに私の両親の実家は北茨城市で親戚はほとんど茨城北部から福島南部にいます。私の家そして両親の家にも親戚がわんさか避難してきて、一時はてんやわんやしておりました。
    まさか自分が生きている間にこんな経験をするとは思いませんでした。

    私の場合は病後の震災だったので、比較的冷静に判断し行動することができたと思っています。デマに振り回されず、親戚達とも積極的に連絡をとって安否確認しあい皆で情報共有しました。
    きっと病気をしたことで、冷静にものを捉えるもう一人の自分ができたのだと思います。

    裕介さんみたいに復興応援活動されている方を見ると、とても嬉しいです。そして尊敬します。これからも頑張ってください!

    2019-01-05 15:45:54

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    • 花木裕介

      とっしーさん
      コメントありがとうございます。
      「病気をしたことで、冷静にものを捉えるもう一人の自分ができた」とのくだり、とても共感いたします。
      私も病後は、それ以前よりも冷静に物事を判断できるようになりました。

      東北のことについても、同様です。

      これからも復興には時間がかかると思いますので、こちら側も一時的な感情で始めたりやめたりするのではなく、長い目で応援をしていきたいと改めて思いました。

      引き続き情報交換させてください。

      よろしくお願い申し上げます。

      花木裕介

      2019-01-06 09:21:48

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