2019-08-05 08:06:22
知覧特攻平和会館に行き、決心したこと。(広島〜鹿児島周遊第2弾)
日記
ブログ記事『知覧特攻平和会館に行き、決心したこと。(広島〜鹿児島周遊第2弾)』を書きました。よろしければご一読ください。
https://ameblo.jp/hanaki-yuusuke/entry-12501513319.html
(以下、本文転載)
こんにちは、がんチャレンジャーの花木裕介です。
今週末の話の続きです。
土曜日に広島県内で講演をし、その後、午後から新幹線で今度は鹿児島に入りました。
当初は講演後、そのまま家に帰ろうかとも考えていたのですが、妻から、「せっかく遠くまで行くんだから、日曜まで予定入れて何かしてくれば」と行ってもらえたので、「それなら…」と、過去乗ったことのない九州新幹線に乗り、過去行ったことのない鹿児島県に行こうと決めました。(これで行ったことのない都道府県は、福井県ただ1つになりました!)
そして翌日曜日の目的地は、戦時中、特攻の基地にもなった知覧(鹿児島中心部から市バスで1時間半!!)です。
以前から、知覧のことは気にはなっていたものの、2児の父で、しかも散々Jリーグの試合を観に行っている僕が、本州最南端に一人で行きたい、とはなかなか言い出せませんでした。
なので今回は、ややタイトながら、土曜日中に鹿児島に移動し、日曜日に知覧に行き、その日のうちに飛行機でなんとか家に戻る行程を組みました。
◆
知覧の特攻隊員のことはご存知でしょうか。
太平洋戦争末期に沖縄に乗り込んできた米国など連合国の戦艦などに対抗するため、1000人を超える特攻隊員の方が命を落としたそうです。
その多くが、本州最南端の知覧基地から飛び立ったのです。
当時の資料や遺書が、今も「知覧特攻平和会館」というところに数多く残されており、今回はそこを目指しました。
多くの遺書には、両親(特に母親)への想いや、自分の妻や子どもへの想い、また国のために飛んでいくことへの誇りなどが書かれていて、語り部さんのお話に涙している方もいらっしゃいました。
※館内は写真撮影禁止のため写真はほとんど撮れませんでした。
僕も、一度は死を覚悟した身ですが、やはり僕の覚悟とは次元が違います。
なぜなら特攻は、「必死」だから。飛び立てばそこには必ず死が待ち受けているのです。
それでも、飛び立つ瞬間まで笑顔を絶やさなかった若者たち。
その若者たちが、生きたくても生きられなかった日々を僕たちは生きられている。
そう思えば、多少思い通りにならなくても、辛いことがあっても、この一日一日を全力で生きなければ申し訳が立ちません。
土曜日の講演で、自ら子どもたちに伝えた以下の3つを、自ら実践しながら、次の世代に伝える使命感を自分なりに感じました。
1. 「当たり前」は「有り難い」。
2. 一日一日、全力。
3. 夢を追いかける。
◆
特攻の母と言われた「鳥濱トメ」さんは、特攻隊員になりながら、結果生き長らえたある方に、こう伝えたそうです。
「なぜ生き残ったのか考えなさい。何かあなたにしなければならないことがあって生かされたのだから」
僕もまさに今、そんな心境です。
これからもできる限り青臭くやっていきますね。
何より、こういう機会をくれた妻と両親、そして関係者の皆様に感謝です。
(了)
ありがとう!をしている会員
タコさん
私も6月に知覧に行って来ました。
本当に、命について深く深く考えさせられる場所でしたね。
特攻で飛び立った少年青年達のたくさんの手紙を読み、
彼らのあどけない顔の写真が並ぶ前に立ち、
手紙を受け取った親御さんのお気持ちを思い、
展示とお話で3時間過ごし、とても貴重な時間でした。
本当に、生かされていることに感謝して
「当たり前」にも感謝して、
知覧に行けた事にも感謝して
日記で、その事を思い出させていただきました。
ありがとうございました!
2019-08-05 20:56:15
花木裕介
タコさん
ありがとうございます!
思い出していただくきっかけになったのなら、とても嬉しいです。
自分自身、がんにより命の有り難みを知り、それを世の中に伝えていく上で、知覧で学んだことは大いに生かしていかないといけないと感じています。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします!
2019-08-05 21:55:09