2023-09-11 13:37:09
誕生日、おめでとう。元気?
ひとりごと
私の母は5人兄弟。
うち4人が、3人ずつの親になり、
毎年、長崎の本家に親戚が集まる盆正月は、子どもが12人。
その中に、同じ年で同性の従妹が1人。
普段暮らしているところも、福岡市内の同じ校区。
普段から男の子達と外を走り回っていて、インドアな私とは正反対。本家でも一緒に遊ぶこともなく、従妹はとにかく昼寝ばかり、という印象。
別の校区に従妹が引っ越して、それぞれ小学校に上がると、私よりずっと勉強が出来て比べられるし、字は綺麗だし(私の唯一の褒められポイント?)、もちろん体育は得意だし、何にも敵わない。
クラシックを聴いて育った私は、「中学校に入ったら吹奏楽部で楽器を始めるんだ」と夢見ていたけど、鼓笛隊のある小学校で従妹が既にばりばりトロンボーンを吹いていると知った時には悔しくて(しかも上手い)、トドメを刺された。
でも…従妹、面白いし、めちゃくちゃ優しい。
天邪鬼でなかなか友達ができない私も、従妹とは仲良くなった。
くだらないことが、一緒だととにかく可笑しくて笑えてしょうがない。
私だけ従姉妹家族の車に乗せてもらって帰省したり遊びに連れて行ってもらったり。
小学校も中学校も別々。
唯一のチャンスは同じ学区の高校。
頑張った。
けど、従妹の志望校には及ばず…
泣きながら願書書き直して、私は別の高校を受けた。
隣の高校の吹奏楽部に入部して、合同演奏会の際には、実行委員になったら顔を合わせられるんじゃないかとお互いに思って実行して顔合わせで爆笑したり。
片思いじゃなかったと思いたい笑
部活引退後は、塾の自習室でまた同じ時間共有出来て。
一方、高校出たら少し遠のいた。
私は社会人になると同時に一人暮らし。
帰省して母と2人になった時。
母が何かを言いかけてやめたので、問い詰めた。
「(従妹ちゃん)が……がんなんだって。」
「え?」
「詳しくは聞いてない。
おばちゃん(長女)から聞いたけど、おばちゃんは、おじちゃん(従妹の父親)から兄弟誰にも言うなって口止めされてて、お母さんも知らないことになってる」
言うなり、外で母は泣き出してしまった。
そこからは、本人とのメールも、罹患を知らない体でのやりとり。
会いたい。
でも、それはエゴ?
従妹の気持ちを最優先させたい。
口止めは、従妹?
いや、きっとおじちゃんの意向だろうな。
でも。
私なんかより、おじちゃんが辛い。
結局、それから1年間、一度も会えなかった。
私だけ、25才になって、
従妹は24才のまま。
子どもの頃から変わらない夢、薬剤師。
国家試験受かって。
MRとしての就職先も決まってた。
ずっと自慢の、私の従妹。
私はそれまで、一応目標を持って仕事をしていた。
なのに。
あれ、何で海外行きたかったんだっけ?
あれ、何で生きてるんだっけ?
生き方がよく分からなくなった。
きっと、「この分野で私はがんばる」って、従妹に張り合ってた。
それから、「がん」という響きを極端に避けた。有名人の闘病ブログも、読んだことはなかった。
そして、38才。
自分ががんだと分かって、「世界が開ける。いよいよ逃げずに向き合いなさいと言われているんだ。」と思った。
従妹と同じ、希少な頭頸部がんだということも、運命だと思った。
従妹の他界から18年余り。
まだまだ濃い。
地元に帰って、ますます濃い。
夏は、共通の想い出が多過ぎる。
ふいに音楽が流れれば、涙が止まらない。
寂しい。
先輩患者でもあり、治療に一切の弱音を吐かなかったと言う24才の従妹は、かっこいい。
今日、私は半年に一回の検査。
普段は忘れていても、やっぱり当日は、42才だけどビビるんだよね。
何もなかった。次回も半年後。
当時は、何で私じゃなくて、従妹?
なんて思ってた。
何で、あんなに素敵な従妹が??
と、喪失感でいっぱいだった。
でも、今は長生きしたい一心。
子ども達のそばにいられるだけいて、たくさん土産話持ってから、行こうと思ってる。
大好きな従妹。
絶対笑顔でニヤニヤと嫌がるけど、きっと待っててくれる。
人気者だから、近況報告も順番待ちかな笑
誕生日、おめでとう。
一日遅れた、ごめん。
ありがとう!をしている会員
ゆうこりんこ
かおるちゃん、
ステキな写真だね✨
なんて青い空なんでしょう!
そして、お花がまたいい感じ?
うんうん。
私もうーーーんと、やりたいことをやって、あっち支部に報告しようと思って✨
2023-09-13 16:20:08