かおる

自己紹介
<CP友の会サポーターです🍀>
私が体験したことは、
臼後部癌(小唾液腺腫瘍)
手術(腫瘍摘出、頸部郭清、左前腕遊離皮弁)、
1カ月入院(春)、術後左腕のリハビリ、開口訓練、
放射線、放射線宿酔、
ただ今勉強中&頭を占めているのが、
発達障がいと、Uターンを機に元気をなくした夫のこと。
よろしくお願いします!(2020.09.23 追記)
<がんの記録>
2018.10 MRIにて左臼後部に粘膜下腫瘤を指摘される。
「おそらく良性だけど念のため」と日帰り手術を勧められ、「良性なら手術しない」と断固断って、2005年から薦められていた奥歯1本の矯正を決意。
2019.05 息子の保育園入園を待って、矯正スタート。
2019.12 歯が痛んだため歯科大を受診し、MRI撮影。
(痛みはMRIの撮影日より前に治まった。副鼻腔炎の影響が濃厚。)
「多分大丈夫だけど、技師さんは去年見つかった腫瘍が少し大きくなってるって言いよう。
もしもの場合、ここでは手術できんし、
念のため大きい病院で検査しておきませんか?」と言われました。
「一年前に断った日帰り手術は、もう免れないな」と覚悟し、良性腫瘍と思い込んで、
2020.01 紹介状とMRI画像を持参して転院。
「すみませんが、おそらく悪性です。
これから細胞診検査を行っていいですか。」は、青天の霹靂でした。
2020.01.15~ 検査
2020.02.06 セカンドオピニオン
2020.03.13 入院
2020.03.17 手術 ( 耳鼻科+形成外科=10h )
腫瘍全摘、頸部郭清、左前腕遊離皮弁、鼠蹊部から前腕へ植皮。
(5月から矯正していた歯も上下セットで抜かれました)
2020.04.15 退院。
退院2日前に病理検査結果を聞き、ステージ4だと分かりました。
2020.05.14 こちらを知りました。
1月からずっと、この様な場所を探していました。
5才の娘、2才の息子のお陰で、毎日笑って過ごしています。
でも、1人になった途端に落ち込み、不安で潰れそうです。
もっと不安だろう夫に心配をかけたくないのに、
ここ最近ついネガティブな返答をしがちです。
今の幸せな毎日を、笑って過ごしたい。
これから少しでも長く、家族のそばにいたい。
今、みなさんの存在が、とても心強いです。
よろしくお願いします。
〈追記〉
2020.06.03 追加治療で放射線30回スタート。
初回から体調不良で焦っていますが乗り切ります!
2020.07.14 無事に放射線終わりました。
ラストにCPの先輩がお祝いに病院まで来て下さいました。
お陰様で、体も心も元気です!
2020.08.05~精神科受診。服用スタート。
2020.11.01 京都→福岡へ引越
2020.11.27 療育センター受診。子どもたちに診断がおりました。
2020.03.17 無事に手術から1年経過しました。
応援している会員は104人です
応援している会員
年齢
39
性別
女性
住まい
福岡県
病種(大区分)
その他
病種(小区分)
その他
病種(備考)
臼後部癌(小唾液腺腫瘍)
ステージ
ステージ4
告知年月日
2020年04月13日
通院・入院先の病院
九州医療センター
現在の状況
通院治療中
治療歴
手術
放射線
職業
無職
配偶者
有り
こども
女性 / 6歳
男性 / 3歳
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投稿
今日の気分
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「メンぺ?」短いプレゼンは私には無理かもしれません。今日も超長文です。
11月。転居先で保育園を探している時に、妹が勤めている保育園にも見学へ。 結局定員いっぱいで、その時も、この4月からも入園は出来なかったけれど、11月に園長先生から娘のことを詳しく聞かれました。 ・家庭での困りごと(激しい癇癪と弟への暴力) ・園では模範的で、先生方に発達障がいの可能性を全否定されたこと ・月末に、療育センターで受診予定であること 「うーん。使い分けているんだねぇ。でもどっかでぼろが出るはずだし、丁寧に観察していたら園でも気づくはずなんだけどなぁ。園の対応は残念だったね。 とにかく、4月からの小学校だよ。今のうちに必ず小学校にも話に行って。新入生の情報は学校だってほしいからね。」 とアドバイスを頂きました。 小学校の校長をされていた先生だと妹から聞いて納得。 その後、 ・11月 療育センターで診断がおり、 ・12月 「就学相談」で丁寧に聞き取りをしていただき、 4月に市立小学校の普通学級に在籍した上で、週に1回授業を抜け、通級指導教室に通えることになりました。 しかも、在籍校の通級指導教室に。この校区に転居した甲斐がありました。 以前住んでいたところとは違って、送迎不要の在籍校であれ保護者の来校が必須なので、仕事を再開したら大変なこともあるかもしれませんが、やはり送迎する時とは時間の負担も違うかと思うので助かります。 この、通級指導教室についても、随分地域差があるようですね。 今住んでいるのは政令指定都市ですが、教育面、福祉面は、以前のコンパクトシティの方が充実していました。それでも「関東に比べたら10年ほど遅れてる」と仰っていました。 さて、2月に予定されていた「入学前説明会」が、コロナの感染拡大に伴って中止され、配布物を受け取りに行った際に、「娘のことをお話しする機会が欲しい」とお願いすると、「人事異動があるので、年度が替わったらお電話ください」と言われました。 3月にはようやく通級指導教室の決定通知が届き、通級指導教室の先生から娘同伴で面談に呼ばれました。娘と別室で、娘についての聞き取りがあり、お願いしようと思っていた「入学式の前日見学」を、先方から切り出されました。さ、さすが・・・ 物腰柔らかく、終始笑顔でとても感じの良い先生で、安心しました。 昨日、先生から前日見学についてのお電話があり、思い出しました。 「学校への相談」 すぐに教頭先生に電話すると、学年の先生から折り返しがあり、早速今日、1年生担当の先生方と通級指導教室の先生とに、お時間を設けて頂けることになりました。 き、きましたよ、この日が。 11月に、療育センターで「フェイスシート」について教えて頂きました。「先生方お忙しいから、A4サイズ1枚に、お子さんの特徴と、それだけじゃ困るから「対策」を書くようにして」とアドバイスされたのですが、なんせうちの子は家と外とで全く様子が違うので、 集団の中にいる時の娘の様子を、親である私があまり把握できていない(+_+) それに、対策?と頭を抱えたものです。 家での娘については、10月にA4用紙2ページ分に6年分のエピソードを織り交ぜてまとめた記録があり、それは放課後等デイサービスを見学する際に追記修正して3ページになってしまいました。これは、「集団生活時の娘とはかけ離れているだろうけれど、トータルでこんな面もある子なんです」という参考資料として、可能だったらお渡しだけしようと思います。 やはり、転居前に2か月だけ通った療育の事業所の心理士さんが作成して「コピーして、どこにでも配ってもらっていいからね。これからは、お母さんが〇ちゃんの代弁者になってあげてね」と言って下さった、A4用紙1ページに娘の特徴と苦手が記された、親である私のバイブルのような紙をレジュメにして、極力シンプルに(←これが一番苦手)、プレゼンしてこようと思います。 昨日夫に相談して、今日何を伝えたいのかを2人で整理した後に、 私「モンスターペアレントやね」 夫「そんなん、モンスターペアレントじゃないやろ」 私「じゃぁ、めんどくさいペアレント位かな。メンぺ?」 と笑いました。 10年近く前まで中学校・高校勤務でしたが、そっちの立場からすると、保護者からの電話相談や面談、「めんどくさい」なんて思ったことはありません。 また、職員室で実際に「モンペ」なんて言葉は聞いたことなかったです。 当時は経験の浅い、独身の自分。 保護者の皆さんからすると、本当に頼りなかったと思います。 それでも、思春期の育児に悩んでお話しを頂くことも多く、学校だけでは見られない面も分かって、生徒の姿が立体で見えてくるので、ありがたかったです。 「保護者」と「教員」は同じ方向を見ていたいと思うし、チームを組んで、それぞれの立場から子どもたちへ働きかけたり見守ったりできたら心強い、と思ってたはずなんですけどね。 どうも立場が変わると、また急に自信がなくなるから不思議です(笑) 先生も一人の人間で、また、一人、二人と、娘を見守る大人が増える。心強いことです。 件の娘は先週から癇癪再開で情緒が激しく不安定。 やはり、どんなに楽しい場所であれ、「新しい場所」「新しい人」「新しいルール」で気が休まらないのでしょう。「あぁ、春ってこうだったけ。こんなに酷かったっけ」と少しずつ思い出しているところで、これから例年通りなら3か月は続きます(;’∀’) 娘が週末からまた実家にお泊りに行ってしまい、息子も登園してくれたので、先週の「毎日が戦い」weekから一転。お一人様時間を頂いて、今はプレゼン準備に勤しんでいます。 また、今回自分の病気について話して学校に話しておくかを悩んでいました。 結局、現在は経過観察中なので言わないことにしたのですが、環境が変わる度に、「誰に」「どこまで」話すかについて考えます。 腕には色の違う皮膚が大きく目立つし、うっかり髪を結んでしまうと、こぼれてしまった大量の後れ毛。昨夏の放射線治療で一度はなくなった髪が、今伸びてくれています。 いずれコロナが落ち着いてマスクを外したら左右の顔の違いや、角度によっては大きな傷も見えてしまう。 目にした人によっては、心の「それ、なんだろう」が音声になるかもしれません。 その時に、「この人にだったら話してもいいか」と思える信頼できる知り合いが、娘の学校にも出来るといいな、と思う。 さらには「がん」がタブー視されなくなったり、「うちの子は発達に凸凹があってね」っていうのを、偏見の目を怖がらずに気軽に話せるようになったりしたらいいな、そして会話が広がって、お互いに情報共有や理解ができたらいいな、と思う、春のこの頃です。
作成日 : 2021-04-06 14:35:44
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ぜんぶ薬のせいにしたい
8月から精神科で処方された薬を飲んでいるけれど、 飲み始めて1か月頃から効果が出始め、同時に体重増加の原因がこれかも、と思い当たりました。 関西にいる間は5㎏増をキープ。 「それ以上は増えないように」と言われていましたが、福岡に来て現在、9kg増。 メンタルの調子も安定しているし、それ以上に太ったことで悩んでいると訴えたのですが、薬を変えるには至らず。 そうこうしていたらクリスマス頃から、コントロールできないほどのイライラが。 1月の受診時に、飲み続けている薬の副作用を指摘され、はじめて減薬指示が出ました。 結果、一人になった途端、メンタルめっちゃ不安定。運転中さえ心もとない。 でも、イライラが爆発したトラウマの方が大きくて、次の受診時に減量キープを訴える。 却下され、薬の量戻りました。 メンタル安定。でもイライラは健在。 イライラが女性特有の周期と一致していることに気づいて少し安心はしたけど、出されていたイライラ対策の薬は運転前には飲むな、との注意があり、毎朝保育園まで運転必須なので薬飲めずじまい。(送った後は一人なので、イライラしない) この週末。実家を訪れ、母に責められた際にイライラが爆発。 とてもここで言えないような、言ってはいけないセリフを叫んでしまいました。娘の前で。 驚いた父が止めてくれたのですが、涙が止まらない。 もうめちゃくちゃ自己嫌悪だったけど、「自分を責めたらいけない」と父が優しく慰めてくれたので、自分のための言い訳をつくってあげました。 だって、1日目でホルモンの影響受けまくりだし。 そもそもメンタル不安定だから薬飲んで治療してるんだし。 その薬のおかげで何とか保ってるところ、唯一の支えになってる「育児」を否定されたら、もう自分の何を認めてあげたらいいんだかわからない。 ってか、その薬の副作用でイライラ増してるんだし。 それでもやっぱりいい年してあんな失敗するなんて情けなくて、立ち直れない・・・ 娘は実家に引き続き泊まると主張するので、息子だけ説得して2人でそそくさと自宅に帰ってきました。 もう当分、実家には帰れないなぁ。 病気が分かってからすっかり優しくなった母と復縁できて喜んでいたけれど、そういえばいつも母とは揉めがちでした。それすら忘れていたけど、母に傷つくたびに父に救われてきたことも、やっと思い出しました。 父、ありがとう。(でも恥ずかしいから言えない) さて、ぼっこり両瞼が腫れてしまった今日の話ですが、物の扱いが荒めの息子が、数か月前に壊した100均のプラスチック製ミニカーを、不意に思い立って、最近買ったばかりのプラスチックにも使えるアロンアルフアEXTRAで、くっつけてみました。 なんか、左目が急に痛い。 慌てて洗面所の鏡を見に行くと、左目が充血している。 接着剤の注意書きを見ると、 <応急処置> 目に入れないよう充分注意する。目に入ったときはすぐに洗顔し、医師の診察を受ける。 と書いてある。 「医師の診察」って、今日は日曜日なのに、なんで普段起こらないようなことが起こるんだろう・・・ でも、瞬きはできる。 触ってみると、左の下瞼に水のりが乾いたときに出来る膜のようなものが。 「何でこんなところに付いたんだろう」と左手を見ると、爪にマニキュアのような透明の固まり。 左手に持ったミニカー →親指の爪 →下瞼 →成分のみ目に入ったに違いない。 「目に入った時の応急処置」を見るたびに、「目に入るわけがない」と思ってきたけれど、 あったわ。 (その後、レンチンした蒸しガーゼで左瞼の乾いたアロンアルフアを慎重に拭き取ったら、痛みもなくなりました。) ぜんぶ薬のせいにしたい。
作成日 : 2021-03-22 00:16:34
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3月17日。親友の誕生日は、私の手術記念日。
朝「一周年だ~」と言ったら、夫に「そんなおめでたいことみたいに」って笑われましたが、今日で手術からちょうど1年です。 私の左腕の一部が、口内の皮弁1歳になりました。 利き手じゃなかったばっかりに、ある日突然、景色も見えない口内に行くなんて思いもしてなかっただろうに、健気に新しい場所でがんばっている皮弁に、ほんと感謝です。 耳鼻科、形成外科、歯科の医師とスタッフ総勢10名以上での10hのオペと聞いています。 コロナ禍、予定通り手術が出来たのも、こうして今私が日常生活を送れているのも、このスタッフ皆様のおかげ。 当日は夫が子どもたちを朝一で保育園に預け、9時からのオペに間に合うよう、病室に来てくれました。 着圧ソックスに履き替え、看護師さんに誘導されて手術室前で夫とバイバイ、と別れてからの、「緊張」。 過去にあれほど緊張したことは、たぶんなかったです。「心臓が出そう」ってわかる。 オペ室でベッドに横になり、初めて顔を合わせる先生や看護師さんから声をかけられ、あれ、トップの主治医の先生はいない・・・と不安に思ってると、室内にオルゴールのBGMがかかりました。 「これ、なんだっけ」と集中したら、癌がわかってからずーっと聴けなかった大好きなミスチルでした。箒星。 「あぁ、ここでミスチルなんだ。 結局私はいつでも桜井さんに力をもらうんだなぁ」と思ったら、涙がつーっと流れて、でも動けないから拭けなくて。 すぐに部分麻酔がかかり、気管切開の執刀をする若い主治医の先生を、先程の中堅の先生が叱り飛ばす。 「下!下!何でそんなに下行くの?〇〇先生、きせつ(気管切開?)の講義受け直したら?」 私の喉はどうなっているんだろう、と思いながらも痛みはなく、ただ血が流れている感覚だけがあって、次第に意識がなくなっていきました。よく見るカウントもなかったな。 ****************************************** 去年の今頃は毎日がドラマの中みたいで、詳細まで覚えていたりします。 今年1月頃から、何かにつけて夫と1年前を思い出していました。 「去年は年始に呑気にあっちゃんと『義母と娘のブルース』の一挙放送見てたよね。」 「ママが入院するって分かって、あっちゃんが「ママもみゆきちゃんのお父さんみたいに死んじゃうの?」って聞いたんだよ。」 「去年の今頃は、まだ癌なんて分かってなくて、映画村行ったよね」 「楽しかったな~。あっちゃん愚図って逃げて家族写真撮れんかったけど。」 「去年の今日、車の契約したよね。その3日後には癌が分かって解約しようかとか言ってたけど、やっぱり買ってよかったね。」 と、何かにつけて夫と1年前を思い出していました。 そのおかげか、普段イライラしている夫が穏やかだったり、子どもの卒園入学を前に9kgも太って悩んでいる私に「太ったくらいいいやん」と嬉しそうだったり、「長生きしてくれたら何でもいいよ」なんて普段言ってくれないことを言ってくれたり。 ここ3か月半、1年前の振り返りをしてきて、やっぱり手術当日は今や誕生日並み(笑) 4月からの娘の放課後等デイサービスの契約に今日を指定され、後から気づいて、「まぁ、こんな感じで日常の中に埋もれるんだなぁ」なんて思っていましたが、CPのニュースで以前から気になっていた猫舌堂さんとの合同イベントを知り、運命を感じて参加させて頂きました。 とっても楽しい時間で、何よりのお祝いになりました(*’▽’) 先日は「孤独」と日記で呟くなりCPの先輩方からLINEがきたりプチオンライン会を開いて頂いたり、人と繋がることが心への何よりの薬だな、と身をもって感じるこの頃です。 みなさんとのつながりのおかげで、今日この日をこんなに幸せな気持ちで過ごせて、CPの存在に感謝せずにはいられません。いつもありがとうございます(^-^)
作成日 : 2021-03-17 15:47:35
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退職後も傷病手当金を申請するにあたって 【お金のお話】
結論から申し上げますと、 傷病手当金を受給中に退職し、その後も引き続き受給申請する場合、退職後の健康保険はどこに加入していても問題ないようです。(受給条件は満たしている必要があります) なぜ、こんなことをわざわざ言うかと言うと・・・ 私は退職する際に、「退職後も傷病手当金を受給したい場合、任意継続で今の健保に加入する必要がある」と会社から説明を受け、退職後、年金は夫の扶養に入り、健康保険は自分で支払って、以前の会社時代の健保を任意継続していたのです。 今月、そろそろ傷病手当金の受給も難しいかもしれないと判断するようなやりとりが主治医とあったので、健保に「退会後にも過去の申請はして問題ないか」と問い合わせたところ、冒頭の回答が来たのです。 「え・・・遡って退会することは・・・」と聞いてしまいましたよ。ダメでしたけど。 だって。 退職後、トータル71,000円。夫の扶養に入っていたら、支払う必要がなかった出費。 しかも、退職後、転勤して転院した主治医に、「証明する」と言われてからの任意継続だったけど、先日再度主治医に話をすると、証明断られて。 傷病手当を受けたら健康保険料支払えると見越した上での「任意継続」だったのに。 分かってるんだけどね。私の復職を躊躇うのは、もはや「癌」そのものが原因じゃなく、「手術によって変わったアピアランスや、会食(勤務中の昼食)への抵抗、そして「癌」になったことで、職場の人々から全く望まない対応をされたことへのトラウマ。 癌の主治医ではなく、同時に通っている精神科に変更しようかと、在職中から病院に相談し、その時は「耳鼻科で書くよ」と言われて転院するまで耳鼻科のみに証明してもらっていたけど、今となっては、「在職中から病名が変更ないこと」という条件を満たせないので、当時すでに罹っていた精神科の病名も証明してもらっておけばよかった。 お金と言えば、息子出産時に来てくれた母の「お母さん、やっぱり癌じゃなかったと思うの。あんたも癌保険にそんなにかけなくても、月々の生活を苦しめないでいいんじゃない?」という言葉を真に受けて、女性の癌は遺伝しやすいと思ってかけていた医療保険・入院保険の契約を切った、たった2年後に癌で1か月も入院して、その後も毎日通院して・・・ ほんと、お金に縁がないなぁ、と思う。 70,000円あったら、工房のランドセルが一個買えるのに。(子どもの入学準備脳) めっちゃくちゃ使いたいことあるのに。 出費に意味がなかったって・・・どよーん。 もし、万が一、私のような勘違いをされている方がいたら、加入されている健保を確認してみてほしいなぁと思って。 って、なかなかいませんかね。お金のこと、制度のこと、ほんとに苦手です。
作成日 : 2021-03-15 22:35:45
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コロナ禍の孤独
去年の1月に癌の疑いと診断されて以降、同時に広まったコロナへの感染を予防するために、プライベートで人と接することがなくなりました。 また、入院を機に休職して以来、自宅で過ごしているので、会話するチャンスは通院、送迎時の保育園のみ。5年間お世話になってママ友や先生たちに恵まれていた京都の保育園を去ってからは、孤独感増。 福岡に戻って最初の1か月は妹とも頻繁に会えていたけれど、コロナの感染拡大に伴って年末から控えて会えず。 元々「人と繋がりたい!!」とサークル活動や習い事が大好きだった私は、この1年間うずうずモヤモヤしているのですが、入院が決まった病院の患者会はまさかの手術日! その後コロナで休止。 今の病院には患者会なし。 もしコロナがなかったら、患者会に入りたいし、新しいママ友にも出会いたい。 もしかしたらオンラインミーティングなるものがあるかもしれないし、繋がっていれば、コロナが終わればオフ会があるかもしれない。 と、うずうずが溜まると検索してはみるのですが、まだヒットしていない。。。 気になる福岡の「頭頸癌の患者会」もhp見つからず。 CPにも、初めの4か月たどり着けていなかったし。検索が下手なだけかもしれません。 昨日、病院のがん相談支援センターを初めて訪ね、「この病院には患者会がない」「他の病院の患者会も今はコロナで実施していない」という事が改めて分かり、同時に相談員の方がとっても優しくて、「やっぱり自分は人と会って話したかったんだなぁ」って再認識しました。 先月から、今の症状に合わせて精神科の薬を半減した途端に、あの「どうしようもない不安感と焦燥感」に毎日とらわれて数日してから自覚して、あぁ、環境が好転して治ったんじゃなくて、薬でコントロールできていただけだったのかぁなんて自信をなくし、でも寂しくてやっぱり気持ちは外に向いていて。 元々の友達とつるめたらいいんだけど、福岡の友達とは離れていた12年半の間にほとんどの友人がずいぶん疎遠になってしまったし、「帰ってきたんなら会おうよ!」となるのが怖くて、術後の顔のアピアランスが1~2年後に元に近づく、という担当医の言葉を信じて、それまでは元の顔を知っている友人と会う勇気がなかったりするめんどくさい一面もあり。 いや、職場や馴染みの美容室で、癌について原因やらステージやら根掘り葉掘り聞かれてしんどかった去年のトラウマが一番かな。 一方的に面接受けているような、答えたくないが通らないような、後から物凄く傷ついていていることに気づいて落ち込むような。 あまりにプライベートな、体のこと。そして心の変化を、好奇の目に晒されたくない。 ただ共有したい。安心して話したい。経験談が聞きたい。 (このトラウマが、復職を躊躇う一番の原因になっています。) きっと癌かどうかにかかわらず、今世界中の多くの人が孤独感で悩んでいるのではないかと思うのです。 皆さん、どうやってこの状況を乗り越えていますか。 そして、福岡の頭頸癌の患者会「えがおの会」をご存じの方はいらっしゃいますか? CPのオンライン会も、引越し後のバタバタで何度も逃してしまい、まさに参加したい会を見つけたのに、定期検査の日でした( ;∀;) 参加はできないけれど、声にする勇気すらなかった自分の思いが叶った気持ちで、勝手に嬉しいです。 CPの皆さんの投稿や返信から、それぞれにお忙しい中で、そして痛みや不安と戦ってらっしゃる中で、優しさや心のつながりを感じます。ここがなかったら、孤独がどんなに大きくなっていただろう、と思うと怖いです。
作成日 : 2021-02-09 16:44:45
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小さな喜び
マスクの下で、にやけてしまいました。
作成日 : 2021-01-18 10:07:59
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京都→福岡
今から半年程遡ります。。 ・ 3月中旬から1カ月入院しました。 その間に、階下から我が家の足音、声に対して苦情が。 階下の家族が越してきて2年間、特にトラブルもなかったのに、急になんで? 子どもたちが保育園に登園する時間が1時間早くなったから? 一方、下の子どもたちは小学校が休校になって起きる時間が遅くなったから? 色々考えてみても、迷惑をかけているのは事実。 クッションマットを大量に買い足して2重に敷き詰めても、子どもたちへの声掛けを増やしても、私が退院してからも、 毎月2週目の頭になると管理会社経由で苦情の連絡が入り、自宅で神経を使う日々。引越しを考えるようになりました。 上の子が0歳児の時からのママ友親子が多数いる環境で子育てを続けたかったので、校区内での家探し。 ない。 賃貸は同じような造りのハイツばかりでマンションはなく、戸建ては分譲ばかり。 転勤の可能性が0ではなく、二人して地元は福岡。ここで家を建てる覚悟はまだなくて、八方塞がり。 夫がエリアを変えて、子育て世帯におすすめされる、吹田や豊中の物件を探すようになりました。 ママ友と離れて一人になるの? 子どもは別の小学校に入学するの? ・・・・なら、福岡がいい。 ・ 4月中旬に退院してから、朝子ども達を送り出す時に急に湧き上がる「もう二度と会えない」という強い不安感。 その日子ども達と再会するまで、何も手につかなくなるほどの焦燥感。 ・ 5月。放射線治療中の体調不良に備え、福岡の母が長期で京都に来てくれました。 メインの耳鼻科、歯科、形成外科の為の大学病院に加え、 組織移植で部分的に失って不自由な、左腕のリハビリに通い始め、 週2、3回子ども達をおいて家を空ける様になりましたが、 前述の不安感、焦燥感を感じることが全くなくなりました。 ・ 7月。放射線治療中の私の為に、コロナを警戒する夫と母の気持ちと、 階下からの苦情が続くプレッシャー、 私が外遊びに連れて行けず子ども達が思い切り遊べていないこと、 色んな葛藤の末、自粛していた子ども達の保育園生活を2か月半ぶりに再開。 ・ 7月14日。 30回の放射線治療が無事に完了。 akiraさんにお会いできるとあって、 週明けはあっという間にその日を迎えることが出来ました。 当日は雨だったのに、わざわざ私の通う病院まで来て下さって、 手書きのお手紙とピンク色の花束を頂き、感激。 (「この花束の写真とともに喜び日記アップ!」と思っていたのに、 突然 i phoneが潰れ、PCも潰れ、 修理や買い替えが完了した頃に「タイミングを失った…」と、隠れておりました(・・;)) その時、「私、自分が病気だということを普段忘れちゃってて、考えて落ち込むことがないんです。」とお話しして、 「それはいいじゃないですか」と笑って頂いたことを覚えています。 当時こちらの日記で「皆さん真剣に病気と向き合ってらっしゃる」と感じる一方で、 退院以降、毎日目の前の子ども達に振り回され、校区内の物件を探す日々。 病気と全然違う悩みを抱えていたせいか、自分の病気に向き合えていないから落ち込まないのかもしれない。 逃げてる?という感覚がありました。 それでも毎日楽しく過ごしていたのですが、放射線治療が完了し、 長く滞在してくれていた福岡の母が、「そしたら2日後に帰るね」と言った途端、 急に「もう、今後どちらかが死ぬまで会えない」という強い不安にとらわれ、 気持ちが動揺して急にイライラしたり落ち込んだり。 そこでようやく、自分がものすごく病気や死を恐れていることを自覚しました。 4月の退院以来、耳鼻科では「精神科も紹介できますがもう少し様子を見ましょうか」と言われていましたが、 8月の受診時に「紹介しましょうか?」と言われ、お願いしました。 私の不在時に見かねた夫が母に相談し、母が帰宅を延長した途端に気持ちが安定。 一方、緊張型、混合型の頭痛持ちの私が過去に経験したことがない、 1秒毎に電流が走るような偏頭痛に連日襲われ、頭頸部の癌だったこともあり不安に。 耳鼻科の主治医に「自律神経が乱れているのかもしれない」と指摘されたことで安心したのか、 ちょうど一週間続いて、CTの結果が出る前に収まりました。 精神科に通い出してちょうど1か月程たった頃、 「以前ほど強い不安には襲われてないな。」と自覚する様に。 薬が効くのに1か月かかると言われていた通り。 「だからと言って、やる気が起きて何でもこなせる、という訳でもなく、 何も手につかない状況ではないけど、やりたくないなと思いながらも最低限の家事をする程度。」 と精神科医に伝えると、薬の効果として適正な感想とのこと。 ・ 8月頭。夫の誕生日。 この頃、「ここじゃないなら福岡」という私の希望に、夫がOKをくれて、主治医に福岡への転院を相談。 ・ 9月頭。娘の誕生日。 この頃、夫が会社に転勤の希望を伝え、転勤が内々定。ネットで福岡の物件探しスタート。 娘の就学前相談、療育機関、保育園の空き状況など、福岡市内各所への問い合わせスタート。 6歳になった週に、娘が療育を受けられることに。 3歳から相談し続け、あまりお勧めされなかった療育施設に行ってみて、 6年間の私の悩みが他人に初めて理解されるという体験。 たった2か月しか通えなかったけれど、ここで丁寧に関わっていただき、 娘は目に見えて(療育当日は)満たされていました。 今後の娘のために、そして私たち親のために、最大の助けを頂きました。 ・ 9月下旬。息子の誕生日。 ・ 10月頭。8年半お世話になった会社を退職。 夫の辞令が総務に伝わり、物件探しにGOサインが出て、子連れ弾丸家探しツアー決行。 コロナ禍、買物や外食、旅行。我慢し続けたのは何だったんだ?と可笑しくなるアクティブさ。 ・ 10月末。夫が特別休暇をもらい、ようやく私も荷造りを本格化。 最終日は二人とも貫徹でどうにか完了。 福岡まで初めての高速移動。(運転はすべて夫) ・ 11月頭。福岡で新生活スタート。 怒涛の2020年。 がん告知、人生初の入院、手術、治療、に加えて、12年半ぶりのUターン。 さすがにもうイベントは控えていないはず( ´艸`) 2年前、大阪北部地震や台風(停電)の際、助けてくれる友達が複数いて、 やっと故郷を離れて暮らす覚悟ができたと思ったのに。 自分の根っこがぐらついて、隠していた本音が出たのかもしれません。 もう槇原敬之の「遠く遠く」を聴いても、泣かずにいられる気がします。
作成日 : 2020-11-15 01:45:29
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放射線治療の記録
放射線、前半が長くて長くて・・・・ やっとゴールが見えてきました。 ・幹部は左臼後部 ・耳の上のラインから鎖骨の下までが照射範囲。左半身を前後から。 ・66Gy ・全30回(週5回×6週) 【1~4回目】(土日含めると6日間) 放射線宿酔 <対策> ・食前に吐き気止め(ドンペリドン) ・鎮痛剤(ロキソニン) ・眠る ・空腹状態を避ける 【5~8回目】(土日含めると6日間) 梅雨の低気圧が原因の頭痛に悩まされるも、放射線の影響はあまりない穏やかな1週間。 【9回目】 ・歯科受診で、唇の内側に口内炎を指摘される。あまり痛まず2日ほどで小さくなる。 ・土日を挟んで久しぶりの照射だからか、蓄積された回数のせいなのか、照射後吐き気。(この日以降続く) ・開口訓練器を加える度に、えずくようになる。それを機に吐き気が始まる。 <対策> ・うがい(アズノール) ・吐き気止め(ドンペリドン) 【10回目】 ・舌の左側に、大きな口内炎の様な白い炎症。 ・左だけ、首、鎖骨周りにニキビが一気に出来た。 【11回目】 ・この日から、シェルの一番下を「そこはいいです」と止められなくなった。 まさか放射線治療中にも関わらず、太った?? 【13回目】ここで一気に副作用スタート ・左後頭部洗髪時、まとまった量の髪の毛が抜けた。 髪を濡らし、シャンプーで洗い、すすぎ、トリートメントをつけ、流し、向きを整えつつ水を切り、タオルドライ、手櫛でオイルをつけ、ドライヤーで乾かし、整える。この日以来、10工程の一つひとつにまとまって抜けてしまう髪にビビる毎日。 でも、よく見ると毛根がついていない気がする。抜け毛じゃなく切れ毛?? ・食事をすると、まず舌に当たる時、咀嚼で舌が動くとき、嚥下して喉に当たる時、猛烈に痛い。 ・連動して、左耳、左こめかみが痛い。 父の日に、母のアイデアで寿司好きの夫(と娘)のためにスシローでテイクアウトしたけれど、自分はほぼ食べられず。 こどもの日のテイクアウトは、わくわくして楽しかったのになー( ;∀;) この日、でも寿司しかなかったので、めちゃくちゃ痛いのに、1時間以上かけて意地になって食べました。 大好きなコーンといかめかぶオクラ軍艦!フライドポテト! 正面で泣きそうな顔で私を見つめる母・・・・そんな顔しないで。 ・特に起床時の口内の粘着きがすごい。目覚めると大量のねばねばの唾液。(ごめんなさい!!!) それを口から吐き出すためには、舌や口内の筋肉を思いっきり使っていたんだな、と気付くくらい猛烈に痛いし、血が混じっている。 ・週末の口内の痛みに伴い、毎食前に行っている開口訓練器を口に入れるのも辛く、いつもと同じ時間行っても開きが悪い。 歯科受診時、放射線照射時に口内(歯など)を保護するために加えるスペイサーが、口に入らないほど口が開かなくなる。 <対策> ・口腔被膜剤(エピシル)を塗布 ・寝る前、舌の左側面に軟膏(デキサメタゾン) ・鎮痛剤(ロキソニン) ・開口訓練器を病院に持参し、待ち時間に一番奥の椅子でこっそり実施。 ・食事 【17~20回目】 ・左後頭部(脱毛が多いところ)に痒み。ふと掻いてしまい、更に髪が抜ける。 洗髪時、皮膚にぶつぶつと発疹が出ているのに気づき、家族に確認してもらう。 皮膚の発疹、脱毛、ともに肯定される。どうも切れ毛ではなく抜け毛だった模様・・・ <対策> 頭皮に弱いステロイドを塗布 →7月1日から痒みが治まる。発疹もほぼなくなる。 【18回目~現在】 ・急に、夫の前に用意された母の野菜炒めが食べたくなり、久しぶりに普通食を食べてみたら・・・痛くない!! 結局一皿完食しました。夫、喜んでメインを提供してくれてありがとう。 おそらく、喉と舌の炎症が少し落ち着いたのではないか、と思うのですが、毎日照射されていてそんなことあるのかな。 19回目の歯科受診時に聞いてみましたが、口内も喉も炎症で赤いそうです。 ・頭痛。鉛のかたまりが体内に入ってバランスを崩すような不思議な体の重さ。吐き気?とにかく「具合が悪い」としか説明しづらい初めての感覚。 なぜ照射がない土日にしんどいんだ、と思うけど、放射線は蓄積されるものだから、金曜日と同じレベルのダメージを体は受けているのかな。 【20回目~】ついに来た!! 帰宅後なぜかスナックが食べたくなり「サッポロポテト」を食べると・・・無味。強烈な匂いはしているのに。 驚いて別のスナックを試し、「しょっぱい」味覚を失ったことが分かりました。 辛いのがダメで普段食べられない「ベビースターラーメン」を試すと、食べられる!!と思った後に辛さだけがくる~。 一口食べては食べやめたサッポロポテトの袋を、ショックに浸っている隙に息子が完食Σ(゚д゚lll) この日の夕食は、私の好物。母の煮込みハンバーグでした。 たっぷりかかったソースの味がしない・・・実に不思議な感覚で、私が食べるのはもったいない・・・と思いながらも、栄養を摂取すべく完食しました。 20回の節目に、くるのか、くるのか、いつ?とドキドキしていた副作用がきました。 一方、口内は常にしょっぱくて、つわり中のような不快感。 その塩っぱさを消したくて何かを食べても全く塩味を感じない、不思議な矛盾。 【21回目~】 ・一旦落ち着いた舌にまた炎症。痛い。食事に加えて、発話も痛くて辛い。少し活舌が悪くなる。動かさなければ大丈夫。 ・洗顔時、「痛い!」と思ったら、鏡に映った左頬が真っ赤に、一部だけ日焼けした様に色が変わっていました。 少し前から、母が「左だけ首が焼けてる。黒くなってるよ。」と言っているので、外からの炎症も始まってるんですね。 放射線科のスタッフの皆さんが毎日「変わったことはない?」と聞いて下さるので、小さいことも報告しています。 強い痛みで薬で緩和した方がいいと判断された時には、毎週1回のDr.の診察を急遽入れてくれたり、他の科の予約を取ってくれたり。 お陰様で、症状が出る度何かしら対策をさせてもらって、1週間待たずにきつい状態が落ち着き、 また新しい副作用に悩んで試行錯誤する・・・という感じです。 毎日行くのは憂鬱でたまらないけれど、照射中は、7回目頃に慣れ、 照射を示すブザー音、私は7回なんだなー、とか、 最後の2回は後頭部から当ててるんだなー、とか、 直前に読んでいた辻村深月の小説の続きを考えたり、 それまで読んでいたところを反芻したり、 CPのお友達からのメッセージの返信を脳内で書いていたり、 照射直前に読んだ別の方の日記の、おもしろかったところを思い出し笑いしちゃったりとか、 考えさせられる投稿に、実際にはコメントする勇気ないけど脳内ですごーく返信を考えていたり、 副作用が分かるたびに私を見つめる母の心配そうな顔を思い出して、申し訳なくて涙が出てきたり、 見ないようにしていた照射の機械、1回のブザー中に銀色の板がすーっと動いて変形している!これで調節しているの?とか、 天井についた装置に書いてある英語の注意書き(上下逆さま。誰宛て?)の、主語が4単語?初めの2単語はサブタイトル?なんて訳すんだろう?と読むたびトライしたり、とか。 やっと暗記できたりとか。 今日はなんだかしんどいな。部屋で鳴ってる周りの複数の機械音もすごくつらいな、とか。 そんなことを、約10分間の黙想タイムに考えている毎日です。
作成日 : 2020-07-08 15:18:22
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七夕、竹馬、保育園。
保育園で毎年1人一枚、クラス毎の笹に飾ってくれる短冊。 年長になると本人記入用、保護者記入用の1人2枚に。 昨年と比べて、親子で願いがリアルになってきた。 4月半ばの退院翌日から登園自粛してきたけれど、6月に要請解除されてからも、コロナ含め感染症予防での登園自粛。 ・感染症怖い ・子ども達いないとメンタル落ち込むからもっと怖い ・2人は休園喜ぶ でも ・持ち上がりで娘を担任してくれている先生に、竹馬の練習もしてるし6月からは全員登園してるし連れておいでと電話で言ってもらい ・放射線治療後帰宅してしんどくても、横になると2人して起きろと暴力的で、全然横になれない ・最終学年なのに私の理由で休ませてていいの? ・コロナ渦中に始まった階下からの足音の苦情。平日は朝と夜しか居なかった3人が24時間在宅してるせいだろうなぁ。 ・弾むように歩く息子に注意し続け、だからと言って夫の休日以外は外出も0で、2歳児に酷すぎるよなぁ。 と、どちらがいいのが迷いながら悩みながらの2カ月半でした。 今日、延期続きの娘の発達相談に夫も母も急遽一緒に行くと言ってくれて、久しぶりに登園することにしたら、娘は昨夜から大興奮! 先生も友達も大歓迎してくれて…こりゃ一日だけなんて言えないわ。 毎年恒例、年長になると竹馬の練習に取り組んで、その効果を10月の運動会で発表。 1人ずつ、それぞれの高さの竹馬で半トラック歩く間、BGMのように担任の先生からのメッセージが涙ながらに読まれるので、観ている保護者は他学年でも涙涙… あぁ、○年後には…と自分の子のイメージを重ねながら、目の前の年長さんの努力と雄姿に声援と拍手を送り、年長に進級すると「あぁ、ついに竹馬の練習が始まるんだなぁ」と思ってた。 娘は、私にそっくりな運動音痴で、さらに完璧主義者で自信がないものに取り組むのがとっても苦手。 寝返りも、歩くのも、遊具も、何でもみんなより随分遅くて、その原因は能力以上にメンタルだったから、竹馬もすご〜く心配だった。 の、に、私理由の休園。 1人だけ参加させていない竹馬練習。 梅雨の晴れ間の今日、初めて竹馬練習に参加した娘。 まずは両手で持ってジャンプ、の練習だったそうで、 「がんばりマメできたかなぁ」とか言いながら手をチェックしてました( ̄∀ ̄) これからいっぱい練習してマメ作って、いっぱい転んで、失敗しても大丈夫なんだってこと体験して、友達と励まし合って、そして願わくば乗れるようになって自信つけてほしいなぁ。 息子は去年の願いが叶って元気100倍なので、少しシンプルにまとめてみました。 もちろん、元気100倍な息子が私は可愛くてたまらないんだけどね、ちょっと手を焼いて困ってる家族もいるしね(゚∀゚)
作成日 : 2020-07-03 00:55:57
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【放射線宿酔】と退院後3回目の頭頚部受診の忘備録
放射線治療の記録 1週目は3回の照射で、それぞれ照射30分後位から、 ・吐き気 ・頭痛 ・しんどい ・服痛、下し ・喉に軽い痛み(唾を飲む時のみ) ・左後頭部の皮膚にピリピリ感 そのタイミングで放射線科診察があり、吐き気止めが処方され、ロキソニンも飲んでいいと言われ、金曜日の病院帰りに薬局へ。 その後は食事前に吐き気がコントロール出来て、頭痛さえ引けば快適に過ごせるように。 食事をスキップしたのも、2日目の夕食のみ。 土日は放射線が休みで、この2日間の中休みがどんなに大きな存在かを思い知りました。 しかし…なぜか土日も同じ症状に悩まされ、結局寝込む時間が。 そこにやってくる2歳の息子。 吐き気と服痛の最中にお腹に乗ってきて、しつこく降りず、 手術後の左顔面、触られるとまだ痛む左前腕を庇って 「やめてって」 と背を向けると 「ごめんなさい…」と離れ… 気がつくと私は眠っていたようで、見ると隣の布団に眠る息子の姿が。 そこで眠る前のやりとりを思い出し、「眠いからしつこくまとわりついていたのか」と、いつもなら分かることに初めて気がつき、息子が居た堪れない… 夫は出勤。 母が長期滞在してくれているけど、子ども、特にイヤイヤ期の息子は手に負えず。 母親に背を向けられるなんて寂しかっただろうなぁ。 まだ治療の出だしなのに、これからどうなるんだろう… 思いがけず凹んだ週末。 そして憂鬱過ぎる月曜日。 【4日目】 吐き気止めは頓服で、毎日ちょうど2回ずつ。 次の受診日まで薬がもたないので、急遽診察してもらい、処方してもらう。 帰宅したら私はいつも通り気分が悪く、ひと休み(毎回、本当に眠る) でも無理して子どもたちを公園に連れて行こうと、2時間外気に触れたら ・・・復活 【5日目】 元気。 夕食時、虫刺されに気づく。 22時頃、虫刺されが数十か所に増えている。 母に「やっぱり蚊に刺されてたよー」と言いながら痒み止めの軟膏を塗っていると、息子がやってきて、 「ママ、カニが食べたん?悪いねー。〇〇が助けてあげる!!」 「ありがとー。優しいねぇ。」 このやり取りが寝室に移動して彼が寝るまで続く。 4時頃。猛烈な痒さで目覚めると、虫刺されが世界地図状になっている。 ・・・蚊やなくて蕁麻疹やった( ゚Д゚) 痒い。痒すぎて眠れない。保冷材で冷却。 【6日目】頭頸科受診日。 普段より2時間早く、昼食をとらずに家を出て、2時間近く頭頸科で待って、気持ちが悪くなって吐き気止めを飲み、次呼ばれる、という順番で照射の時間。 理由を言って、照射から戻ってみると最後に回されたようで、また順番待ち・・・頭痛薬も飲んだけど、吐き気も頭痛も収まらない。 滞在4時間+頭痛時に往復1時間の運転=疲労 帰宅してからずっと横になって、でも頭痛で眠ることも出来ず、吐き気止めの時間が切れるのを待って再度服用し、 夕食時。しれっと食卓へ。母の手料理を完食。復活。 どうも、空腹時に吐き気が起こる、ということが6日目にして分かる。 1か月ぶりの頭頚科では、外来最後だったので気になっていたことを全部聞いてみました。 ・最近、左顎に一瞬で消える痛みを感じます。 →(診て)問題なさそうです。5月20日の造影剤CT結果も異常有りません。麻痺が取れてきているのかもしれないですね。前向きに捉えましょう。口は、固着が始まってますね。頑張って訓練してください。 ・先週は~の症状がきつかったですが、処方された薬でコントロール出来るようになり、今週は楽です。喉の痛みも消えて、口内の症状がないので食事も採れています。 →放射線酔いですね。早くから症状が出た人は、すみませんが初めてです。 ・先週は皮膚がピリピリする感じでしたが、週末から痒くなってきて、洗髪時には何だか違和感があって、強くこするとずるんと皮膚がずれそうで怖いので、力を入れずに洗髪しています。術後麻痺も残っているので変な感覚だったのですが。金曜日には赤くなっていると言われましたが、照射焼けでしょうか。 →~になっているかもしれませんね、失礼します。あ、なってますね。 怖がらずにガシガシ洗ってください。ニキビの様なものです。ニキビケア、分かりますよね。 ・ケトン食の本を読みだしたのですが、勝手な判断で実行するのもよくないとは思うのですが・・・ →初めて聞きましたね。放射線は体力を消耗しますから、バランスよく食べてください。 ・昨夜から蕁麻疹が~(多分、最初に聞けばよかった) →明日、皮膚科の予約をとりましょうか?紹介状書きますけど。 ・え?あ、それなら近所の皮膚科でもいいですよね! (明日もここに来るなんてありえない!!!遠いし待ち時間長いし、子ども達預けてるのに。もう今日一日でぐったり。) →はぁ。皮膚科では~を確認してもらってください。この薬は問題ないと思うので次の受診日まで処方します。 その後の会計でようやく「明日もあさってもここに来るんだった( ゚Д゚) 放射線の日に別の病院にも行くとか、時間的にも無理・・・」と気付いたのでした。 こういうポンコツっぷりに、自分でも疲れる約40年。いや、自覚してからは25年。 大きな病気も分かって悩むけど、結局この残念な自分と、日々の育児の悩みを越せてもいないような・・・同率一位で全部しんどい。 そういえば先生、断った時に少し意外な顔をしていた様な・・・ いや、「こいつ長いな」って思ってただけかもな・・・ この日、初めてお会いする若い看護師さんから処方箋と予約票を受け取った際、 「今、頑張られているんですね」 と声をかけられ、 放射線科の予約でびっしり埋まった予約票を見ながらの言葉だと気づいて、 「はい、がんばってます」 と答えると、 「何でも言って下さいね! ・・あ、一番はもちろん放射線科のスタッフがしっかり支えて下さってると思うんですけど・・・でも、私たちのことも忘れないで下さいね!!」 と。本当に、こういう人の温かさには、力がある。すごくうれしかった。 【7日目】 ・朝、蕁麻疹が消えている!! そもそも四肢にしか出ずに、体を移動することなく消えている。 過去の2回の世界地図蕁麻疹は、注射を打ちながら抜けるまで5日間くらいかかったのに・・・ ・先生のアドバイス通り左後頭部も指の腹で思いっきり洗ったら、大丈夫だった!痒みも収まってきた。あのピリピリは炎症じゃなかった!! ・ケトン食の本を読むのは一旦やめて、控えめにしていた米やパンも普通量摂取再開。 ・これまでの照射後の体調不良一切なし。 14時には帰宅し、子ども達とおやつを食べ、15時から3人で夕食を作って、16時から3人で入浴。 パパをの帰宅を待たずに(おい)18時から4人で夕食。 19時に息子就寝。(昼寝3時間) 普段より前倒しで時間に余裕あり過ぎる夜。今日こそは早く眠れる・・・と大人3人が期待したこの日、娘がなぞなぞにハマり、4人で22時までなぞなぞ大会。まぁ、いいか。 【8日目】 引き続き快調。また、中休み。 「今日は体調がいい」という喜びを感じ始めてからも、「いよいよ副作用が今日の照射で始まるのかもしれない」というドキドキも、毎日感じてはいます。 しかも、それは夫や母も、自分のことの様に同じく感じているということが、ようやく分かった今日この頃。 「放射線酔い」を検索すると、「放射線宿酔」という言葉がヒットしました。読むと、私のこれまでの症状が全部載っていました。 2日目のタイミングで技士さんに「そういう方も中にはいらっしゃいます」と即答された時、そして、「何日かで慣れると思います」と続けられた時に、私はすごくホッとしました。 少数派かもしれないけれど、他にも経験した人がいる。そのことが放射線科では認識されている。しかも数日で消えるという希望。 高校生の時に国語の教科書で読んだ「何事にも先達はあらまほしきことなり」という言葉。 この病気の治療、向き合い方に際して、これまでで一番実感しています。 「先達」と、「今、共感できる、そして同じ時期に近い境遇にいる存在」と、「自分のことを案じてくれる人」。 ありがとうございます。
作成日 : 2020-06-13 05:59:11
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ローストビーフと指輪(放射線スタート)
予約時間が近づくと、放射線技師の方から改めて丁寧な説明があり、「66Gy」ということが分かりました。 これから30日間です。 そこで「20日にお面を作らせて頂いたんですが、今日はあの時より更にきつくなっています。」と言われたので、型取りの時に数秒パニックになった話をすると、 隣から夫が「穴を開けたり出来ないですか?」と。 (「日記に不安なことを書いたら、鼻と口に穴を開けてもらえたよとアドバイスを頂いて気持ちが楽になったから、今後またパニックになったら相談してみる。少し緊張取れたよ。」と話したばかりでした。) 技師さんから「前回は急に型取りと言われて、きっと緊張されていたこともあると思います。穴は開けられるのですが、位置がずれると困るので眉間と鼻と顎は固定したい。ただ、少しでも楽に治療を終えて頂きたい。様子を見ながら調整していってもいいですか。」とお返事頂いたのに、いざ時間になって看護師さんに案内されたら、技師さんが口のところに穴を開けて下さってる最中でびっくり!! いずれもベテランという感じの技師さん1名、看護師さん3名が、マスクを被せたり頭部を手で微調整したり…「きつですよね」「きついですよね、少し緩めますからね」「もしかしたらこのまま頑張れそうですか?」「それならこのままに越したことはないので良かった!」と。 おそらく前回「息が吸えない」と思ったのは顔面だけでなく喉や胸元の圧迫感という実感があったのですが、今日は前回よりきついはずなのに、「やっぱりこれ以上無理に吸おうとしたらパニックになりそうだから、浅くこのまま。」とコントロール出来ました。 経験と口の開放感のおかげ!! その後、声をかけて部屋を出るとアベマリアがワンフレーズほど流れ、機会音もたっぷり聞こえ、ライト照射! いよいよなんだな、と、思った時に、お会いしたことないのにCPの皆さんの存在を感じて、すごくエールをもらっている感覚でした。 「みんながいる!」と新参者のくせにすごーく力を頂き、この照射で癌細胞消えて!と念じながら、自分の体にエールを送りながら、そろそろ終わりかな?と思ったところで、 「それでは調整が終わったので、これから照射に入りますね」 ∑(゚Д゚)フライング念力!! 話には聞いていたけれど、調整ってこんなに長いんですね(〃ω〃) 2回目の自己暗示をかけながら、照射終了。 勘違いのせいで長く感じましたが、テキパキ着替えて「お面の型がついちゃってるけど取れるからね笑」「こんな感じだけど大丈夫だった?」と次々声をかけて頂きながら 「大丈夫です!全然問題ないです!」 と大股に部屋を出て、更に技師さんから 「目のところにも穴を開けますか?随分開放感が得られると思います」 「デメリットは?」 「ありません」 との事だったので、明日から「照射中、目を開ける派」になるかもしれません。 治療が終わったら遅めの昼食を取る予定でしたが、何だか胸焼けが… 明らかに口数が減り、心配する夫に「お昼を食べてないからかも。」と言われ、会計や書類受け取りや何だかんだ終わって15時にようやくお昼。 翌日以降久しぶりに大学病院まで自分で運転するので、帰りは3ヶ月振りに病院からの道を運転させてもらいました。 帰宅すると、倦怠感、微かな喉の痛み、頭痛、胸焼け。 ちょうど息子が眠ったところだったので、一緒に隣で眠らせてもらい、1時間に娘に起こされた時には少し楽に。 しんどいけれど、午前中時間切れで夜出直すからと診察を伸ばしていたリハビリの病院へ送ってもらい、帰宅したら夜。 全然食欲ない… 船酔いした時みたいな、つわりのときみたいな、ずーっと引かない安定した胸焼け。 よりによって今日は、私が夫に「放射線治療の前に食べたいものは?」と尋ねられる度にリクエストしていた大学病院前のお店のローストビーフを、夫が予約して取りに行ってくれたのに… 入院中の絶食期に書いた食べたいものリストにも挙げていたローストビーフなのに… 入浴したら少し楽になり、まさかたった一回の照射で疲れるとは思ってなかったので内心凹んだけど、「喉の痛みで食べれなくなるまでは頑張らなきゃな」とあがると、夫も母も食卓についたまま口をつけてない! 分かりやすく凹んでいる。 私が落ち着いて食卓に座るのを待って、「冷めても美味しいね。」と言いながら食べたローストビーフ。 一晩眠ると胸焼けがなくなり、喉の痛みと倦怠感だけに。 午前中も母に子供たちをみてもらって1時間ほど昼寝。 実は放射線は関係ないかも。退院してから毎日チャンスさえあれば1〜2時間眠ってしまう。夜も眠っているのに… 2日目の今日は、あっという間。目が大きく開いていたので何でも見れるし、息苦しさもずっと楽に。 昨日の様子を話すと、 「副作用とも緊張のせいとも言い切れないのですが、本当に個人差があって、そういう方もいらっしゃいます。船酔いのような。」 「一緒です!」 「2、3日で慣れてきます。横になると感じにくいようです。」 1回目から変化を感じる人もいるんだな、という安心感に、昨日ほど急には感じない吐き気。 昨日より短く感じた治療時間に、開放的なマスク。ありがたい… 1日目昼食(照射1) ・飲むヨーグルト ・ハムサンドイッチ一切れ ・シュークリーム 1日目夕食 ・ご飯 ・サラダ ・念願のローストビーフ ・ポテト 2日目朝食 ・ご飯少量 ・味噌汁(人参、小松菜、麩) ・生卵とひきわり納豆 2日目昼食 ・ご飯少量 ・ローストビーフ2枚 ・ポテト少し 昼前に大学病院に行く時、折紙で(ほぼ夫が)作ったエメラルドの指輪を娘が私の小指にはめてくれました。 放射線科の前の歯科で、荷物を降ろした際、指輪が落ちてしまい、衛生士さんもいらっしゃるしおそらく鞄の中だろうと思って後で探すも見つからず(涙) 帰宅して「指輪はー?」と無邪気に聞いてくる娘の両肩を持って「ほんとにごめん!」と訳を話すと、「なんだ、大丈夫!また折ってもらったらいいんやから!謝らんでいいよ。」と。(夫に謝るべきやったんかな笑) 昼寝していると、「ママ、指輪だよ!」と起こされたのでした。メッセージに眠気も吹っ飛んだけど、その後母宛のを読んだら「く」が頻繁で難解度が上がってました(о´∀`о)
作成日 : 2020-06-04 14:24:17
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ビバ羞恥心 (放射線開始前夜)
明日はムネリンの誕生日。 大学生の時に一目惚れしてから、 (TVの向こうに。 野球のこと全然わからないのに。プレイがかっこよすぎて。) 時に背中を押され、 (TV越しに勝手に。 退職後、「証明書」が届くまでは春休みだ!と開き直ったくせに実際離職1週間目にもう焦ってしまい、「同い年なのに片や日本を代表し、片や・・・」みたいな『同い年』以外むしろ共通点全くないのに勝手に比較して落ち込んで一人でTV見ながら泣いて・・・なぜか背中を押されて行動に出たら翌日希望職に就職が決まって、その後12年間続く関西での生活がスタートしました。その職はその後京都に越すタイミングで辞めることになりましたが。) 時にその笑顔に癒され、 (・・・TVで。ホークスファンの夫がムネリンの写真集を買ってくれた時には戸惑い、実はまだ開いていません。異性の写真集贈るかなぁ。) そんな彼の誕生日に、放射線治療が始まる~(こじつけ) 手術も怖かったけど、放射線も怖い。 何が怖いんだろうと最近自問自答しているけど、やっぱり副作用かなぁ。 初日から副作用は感じないと思うけど、ぬぐえないこの緊張感・・・怖いのは副作用じゃなくて閉所かな。 いやでも、放射線科の初診の数日前からいよいよ緊張感強くなってるから、放射線という大きなインパクトかな。 2週間前が放射線科の初診で、歯科でスペイサー、そして放射線科でマスクを作って頂いたけど、マスクがきつかった。 「閉所恐怖症ですか」と確認される度に「違います」と回答してきたけど、顔面から胸の上部にかかるマスクの型取りをしてもらっているときに、数秒「息が吸えない!」とパニックになった。息は吸えるようになったし、きっと実感するよりすごく短い時間だったんだろうけど、怖かった・・・ もしかしたら、閉所恐怖症?? CTやMRIくらいの余裕があるスペースは大丈夫だけど、密着マスクレベルの閉所は怖い、みたいな。 入院中に同じ部屋の2人から伺った放射線の経験談。2人が「熱かった」と言った型取りは、正直「温かくて気持ちいいなぁ」という感想だった。すでに個人差もしくは気温差。 「照射中、目を閉じる派」と「開けておく派」に分かれていたなと思って、目を開けてみたけど、マスクが狭くてあまりはっきり開けられなかったし、閉じると視界からの情報がなくなって反対に少し安心した。普段は好奇心が勝って大抵目を開けているけど、マスク着用中は目を閉じる派に入ろう。 うちお1人は私と同じ回数で、「とにかく分刻みにスケジュールされていてたくさん人が並んでいるから、急いで着替えなあかんと思って。してくれはる人によって、マスクがきれいにハマる時と、少しずれる時があって、でもそんなこと言われへんからそのままつけてるんやけどね。痛いことは何にもないんよ。位置の調整に時間がかかるだけで、照射されてるんは5分もないくらい。」と話して下さったけれど、「人を待たせないようテキパキ出来るかな」とか、「マスクずれたままの数分間に耐えられるかな」、とか聞いているだけで緊張。きっと型取りで「息苦しい」恐怖を感じてしまったから、これで更に装着がずれたらどうしよう、という不安だ。 入院期間中のうち2週間隣のベッドで、「私が最後まで出来たんやから(年齢が半分やし)きっと大丈夫やわ。」「個人差があるから、副作用も軽いかもしれへんよ」「放射線科の看護師さんがみんな優しくて、毎日励まして下さるんよ。」と、いつも数か月先の治療にビビる私を安心させるためにかけてくださった、その言葉を信じたい気持ちもまだまだある! 「放射線治療が始まったら思うように食事がとれないから、始まる前に食べて体力をつけておいて」もその方にもらったアドバイス。 この治療に備えて福岡から母が泊まり込みで来てくれたというのに実際の治療開始はかなり遅くなったけど、でもその間ほぼ毎日母の手料理を食べられたので、このアドバイスだけは守れた!! 初診の前から緊張していたことは夫にばれていたらしく、初診に仕事を休んで付き添ってくれるというので「今回は検査もないから深刻な話もないんだから大丈夫だよ」と断ったものの当日は緊張MAXで、付き添ってくれて随分心強かった!! そして、明日も付き添ってくれると休みも取っちゃってるので、もう甘えようかな!初日さえ経験すれば、明後日以降は大丈夫なはず! もう一つあった。。。漠然と抱えているモヤモヤ。 この治療が終わったら、戻る予定で休みをもらっている(といっても、休暇制度はないので欠勤。半年毎の契約を自動更新してもらっている模様。)6h×週5日の仕事に復帰予定。 仕事に戻るか、辞めるか。 3月に休み始めてからずっと迷っていたけど、全然答えが出ない。 いろんな懸念事項がどちらにしても浮かぶし、本音が自分でも見えない。 でも、手術後は「復帰なんかできるわけない」と思っていたのに、今、迷えるということは、機能回復面に自信がついた証拠でもある。 放射線治療を終える時には、また何か状況が変わっているかもしれないので、それまで答えを出すことは焦らずにいこうとも思う。 あぁ、昨日の電話である人から職場復帰のタイミングを尋ねられたからモヤモヤし始めたのか、そうか。(やっと自覚) 打ってる間に、ムネリンの誕生日当日になりました。おめでとうございます。 病気でも、病気じゃなくても、みんなそれぞれの課題に日々向き合って、楽しいだけじゃない一日を乗り越えている。 私なんか、こんな大人になってまで家族にめちゃくちゃ優遇されて、パート職だけど「待ってるよ」と言ってくれている人もいて、何より、治療を受けることができる。 閉所や、まだ始まってもいない副作用にビビってる場合じゃないなぁ。 でも、治療が進むとまた弱気になるかもしれないので、モヤモヤしている脳内を勝手に整理し始めたり、弱音を吐いたりしたいと思いますm(__)m 夜型人間じゃないのに夜文章書いたりして、朝には恥ずかしいと思ったりミスに気づいたりしているのかもしれませんね。羞恥心で緊張和らげ!
作成日 : 2020-06-03 00:45:11
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ありがとサンキュー!!
今日、39歳になりました。 毎年恒例、同じ誕生日の父に電話。 京都と福岡、なかなか会えないけど父の明るい声を聞く度こちらまで元気になる。 3日程前から毎日カウントダウンしてくれていた5才の娘は、昨夜レターセットを出して、 「ママにお手紙書いてあげるね! 早いけど今日欲しい? じゃあ明日まで見たらあかんで。 明日は早起きしてや、お誕生日やからな。 あっちゃんが『おきて』って言ったらすぐに起きてな! 絶対やで。 どこにお手紙あるか探してや。 あっちゃんヒントあげる! ケーキも食べれるで! プレゼントもあんで!! プレゼントは… パパ、プレゼントはいつ渡すん?晩ご飯の時?わかった。 ママ、プレゼントは晩ご飯の時な! それまで何あげるか内緒やで! お楽しみやからな!」 パパは計画が漏れまくって残念そうでしたが、私は翌日のことを考えて計画的に自主的に行動出来る娘の成長が嬉しくて感激。 夜眠る時もずっとワクワクしていて、 「ママ、明日お誕生日やね! おめでとう!! また明日もおめでとうって言ってあげるしね! どうしよう、めっちゃ楽しみ!!!」 (静かに目を閉じて数分後) 「…ママ、もし眠らんかったらどうなるん?」 と不意に初めての質問。 「うーん。寒くなって体冷えたら怖くなってくるかも。寝た方がいいんちゃう?みんな眠ったら1人になるし。」 と適当な返ししか出来なかったけど、 「じゃ、寝よ」とあっさり眠ってくれました(´ー`) 娘があまりにも楽しみにしてくれているのが嬉しくて、何だか昨日からすごくhappy(〃ω〃) 言葉は得意、数字が苦手、という娘は、親の年齢を覚えるのも一苦労。 しょっちゅう「ママ何才?」と聞かれて場所によっては回答を躊躇っていましたが、今朝同じことを聞かれたので 「ありがとサンキュー、39才!」と言ったら、とりあえず今日1日は覚えていました。 また、私の放射線治療に備えて、先週から長期で泊まりに来てくれた母と、十数年振りに一緒に迎えた誕生日。 ここ数年は確執もあり、2年近く全く会っていなかったので、告知されてから伝えるかをすごく悩んでいたのですが、伝えてからは頻繁なメールのやりとりが復活し、こうして素直に甘えられるんだなと思うと、伝えてよかったと思います、あくまで私にとっては。母にとってはどうだろう… しかし、よりによって今日、会話の中でうっかり「ステージ」という単語を口にしてしまい、「しまった」と思った時には遅く、 「…何、ステージってもう分かっとうと?」 「…」(でも答えなかったらそれも同じ回答だ)、と思い切って伝えました。 つい私も涙が出て顔が見れなかったけど、タオルを手渡してくれた母の目が真っ赤。 その後しばらく子ども達にバレないように泣いていました。 母がいよいよ落ち込んだらどうしようと思ったけど、それが怖くてこれまで伏せていたけど、その後部屋に引きこもることなく、10分くらいで私や子ども達のところに戻って来てくれました。 私が生まれた時刻に母からも娘からも、そして真似しんぼうの息子からも「おめでとう!」と言ってもらえて、母にも素直に「(出産)お疲れ様でした。産んでくれてありがとう。」と言えて、今まででもしかしたら一番忘れられない誕生日かも… 昨日は入院以来2ヶ月振りに、娘と一緒のシャワー浴。 前腕遊離皮弁手術後、左腕がかなり不自由で痺れと痛みが強かったため、子ども達の入浴を夫に任せていたけど、左腕で洗いにくい私の右腕や背中を娘が洗ってくれて感激。 ずっとお喋りしてるので久しぶりにシャワーの時間が楽しくて。 自信もついて、今日は息子も一緒に3人で。 すると「〇〇の!」と言ってシャワーヘッドを私から取り上げようとし、揉み合ってシャワーは娘の顔を何度も直撃。 奪取して娘の髪を流していたら、断乳から半年以上経つのに不意に息子が食いついて来て、びっくりするわ、噛まれないか怖くて逃げるわ、息子しつこいわ、さすがに娘も爆笑するわで大騒ぎ。 息子と揉み合ってる時に、普段覆っている私の左腕患部は何度も直に触られるし、今までなら怖さが優ったはずだけど、最終的に3人とも笑ってるし、洗いあげて一旦浴室から出した息子が、私が片付けてあがるまでずっとタオル巻き姿で待ってくれてるし、入浴一つでこんなに楽しめるとはε-(´∀` ) 母の手料理の後は、夫が無理して買いに行ってくれたケーキ。しかもホール。 毎回上の苺しか食べない子ども達が、なぜか今日はケーキも食べ、 「あっちゃん今日初めてケーキも美味しいと思った!!」と言ったから、22日はケーキ記念日。 夫が「本当はもう一つ、あっちゃんと〇〇からのプレゼントがあったんやけど、今日間に合わんかった!ごめん」と、悔しそうに娘並みに事前に報告してくれました。 サプライズが好きなんだけどなー、と伝えて14回目かな?ですが、まだサプライズしてもらえたことはありません∑(゚Д゚) でもここのところずっと考えてくれて「バッグかなぁ、服かなぁ」と言うので、「本当に思いつかないよ。通院以外あんまり使う機会ないかもしれないし…」と正直に答えてしまって夫に悲しい顔をさせてしまったのですが、結果選んでくれた贈り物が部屋着だったので、「今の、なかなか外出出来ない癌サバイバーとしての私を肯定してくれているんだなぁ」って感じて嬉しかったです。 部屋着自体は可愛すぎて自分のテイストと違って&お腹のシルエットが誇張されて恥ずかしいけど…とか思う私は、サプライズを希望出来る性格じゃないな。 今日は絶対詳細まで忘れたくない!!と思ったので、ダラダラ書いちゃいました。 おととい放射線科の初診でマスクを作り、2週間後放射線治療がスタートします。 入院中に、「誕生日は治療中なんだなぁ」と思っていたのが、まさかの平和な1日。 しかも家族みんなに祝福されて、幸せな1日。 誕生日はやっぱり特別で、大好きな人に祝福されたら嬉しい! 今年は娘にどこで年を聞かれようが、フォルテ気味に答えようと思います(`_´)ゞ
作成日 : 2020-05-22 23:58:36