こどもをもつがん患者でつながろう
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c-hiho(48) 東京都 / 乳がん / ステージ2
日記
2020/2/16(日)→手術3日目 今日は午後に家族が面会に来てくれる。 この病院のこの病棟は、未就学児は病室に入れない。 フロアの入口にあるラウンジまでは入れるのでそこで会うことになっている。 昨日の歩行訓練の時にラウンジに出ていいか確認しておいたので大丈夫だ。 夫からの報告LINEで見る限り、長女の長男も 特に問題なくフツーに過ごしているみたいだけど、どんな顔してくるかな。 みんなが来るまではTVerで動画を見て過ごす。 レンタルWi-Fiを手配してきてよかった。ヒマなのでたいして興味のないドラマも見る。 午前中に若い女の先生が来て傷に当ててあるガーゼを剥がすと言う。 え?心の準備がまだですが?と思いながらも ガーゼが剥がされる様子をよく見る。 しかし、いや、ただ、何重にも重ねられたガーゼの塊をテープでとめてただけだった。 えぇ~と思ったがその後も驚いた。もうこの傷の処理は基本的にこれで終わりなのだ。 溶ける糸で縫われていて表面はボンドで覆ってある。 そのうち馴染んでただの傷痕になるんだそうだ。 えぇ~ホントに?もうこれ以上何も保護してくれないの?ぬいぐるみみたいじゃない? って先生にも言ったが「そうなんですよ~でも大丈夫ですから~」と微笑まれる。 なんか。すごいな。 15:00ごろ、夫が長女長男と私の両親を連れて病院に到着。 私は帽子をかぶり直し、ドレーンの入ったポシェットをパジャマに隠して鏡をチェック。 うん。まぁフツーだ。ヨレヨレでかわいそうには見えない。 ラウンジで家族と合流する。 私の両親は「あぁ!」と駆け寄りそうな感じをかもしているが 子供たちはなんだかよそよそしい。気恥ずかしいのだろう。そういう子たちなんです。 最初はポツポツと買ってきたお菓子のことなんかを話していたが しばらくしてチョコチョコと話を振ってみると、二人ともどんどん話しだした。 あぁ元気そうでよかったと思いつつ、でも二人が私に気を使っているのもわかった。 そして、どうも違う空気をかもしているじぃじばぁばにも気を使っている。 だから「昨日からご飯を食べ始めたけどちょっぴりだからお腹すいた。スタバ買ってきて」と頼むと 夫と3人で嬉々として病院探検へ向かった。 その間に、盛大に心配がしたい両親と話をしてひと段落させ、 やっぱり予定通り順調に元気なので、子供の前では笑ってくれと話した。 戻ってきた3人が手にしたドリンクをみんなで飲んで、病院の食事の話とかをした。 長男は「おいで」というとはにかんで来たが、しばらくするとスッと夫の膝に戻った。 みんなのドリンクがなくなったところで解散になった。 帰っていくみんなをひとりで見送った。 長女は来た時よりちょっとほっとしたように見えたが、 長男は結局ずっと、借りてきた猫のようだった。 会いにきてもらったのは良かったのか悪かったのか。 悪くはなかったら良いのだが。 一人になってからはまたダラダラと動画を観た。 すると突然観られなくなって、ネットも動画も遅くなった。 どうやらこの激安プランは1日3Gという制限があったらしい。 むー。でもまぁ目も疲れてきたし。 このくらいで観られなくなる方がいいかなと自分を納得させて引き続き眠った。 http://c-hiho.jugem.jp
c-hiho(48) 東京都 / 胸部 / ステージ2
2020/2/15(土)→手術2日目−2 昼前にナースが来て「体を拭くために起き上がってみましょうか」と言われる。 かわいい顔して鬼なのかな?と思ったものの 私はプロの言うことはとりあえずやってみるのがポリシーなため がんばってチャレンジすることに。 手術した傷の近くの脇腹から出ている2本のドレーンにつながったパックを 専用のポシェットに入れて首から下げる。案外重い。 寝てる分にはそんなにつらくなくなってきたなぁとは思っていたが 起き上がろうとすると話は別で、傷周辺が痛いし腹筋にも力はいらないしでつらい。 でも手すりを持って、左手の力で起き上がるとすぐ明らかにクラクラした。 それからゆっくりナースに手伝ってもらって自分でも体を拭いたが 右腕はどこまで動かして良いやらなんとなく不安でなかなかうまくできない。 その様子を見てナースは「歩くのはもうちょっと先にしましょう」と言ってくれる。 正直ほっとする。 お昼にご飯が配膳される。 相変わらずの質素な常食だがなんだかうれしい。 やっぱりペロリとたべてしまう。 今回は内蔵器官を切ったわけじゃないしもっと食べられるよなぁと思う。 1日断食したくらいじゃ痩せないなぁとも思う。 ベッドの背を少し起こしてもらって本を読んだりしているとナースが来て 「ちょっと歩いてみましょうか」を促される。 さっき言った「もうちょっと先」って割とすぐだったんだね。 正直まだまだがんばらずにボケボケゴロゴロしていたいがプロには従う。 またゆっくり起き上がって、手伝ってもらいながら靴を履き、立ち上がる。 今度はあんまりクラクラしない。 ナースと一緒に廊下をトイレまで行ってみる。その後すこし行ったり来たり。 ん。こりゃ多少はきついが許容範囲内だな。歩けるな。 ちょっとした達成感でもってまたゴロゴロしていると 今度は尿道カテーテルも点滴も外すと言う。おおぅ。自分でトイレに行かねばならない。 ナースが来るたびに着々と回復している感がある。 それにしても何が回復しているんだろうなぁ。 今回は胸の乳腺と脂肪をとったわけで、 内蔵の何か役割のある器官が欠損したわけでも改善したわけでもないのに。 切られて、その部分が修復してるとして。 私の中の何ががんばって、何がどう修復して、なんで全体的に回復してるのか。 システムがよくわからない。 ま。考えてもわからない。 体が回復しているのはすばらしいことだとわかるものの、とにかくヒマなのだ。 http://c-hiho.jugem.jp
2020/2/15(土)→手術2日目 今日は長女の入学手続き書類提出の日。 数々のめんどくさい手書き書類を学校に持参せねばならない。 記入自体は入院前に夫とともに済ませていたけれど 今日の夫は長女も長男も一緒に連れて行動すると言うから気に掛かる。 私が在宅なら子供たちは置いて、大人が一人でタタっと行けたのになと思う。 まぁ。今日は一人で休むしかないな。 っつーかまぁとりあえず起き上がれない。 点滴の痛み止めが効いているのかとりあえず痛みこそないものの、そういうことじゃない。 起き上がれないどころじゃない。起き上がれる気がしない。 今日からご飯食べられるし歩かされると聞いているができる気がしない。 http://c-hiho.jugem.jp
2020/2/14(金)→手術当日−3 なんか青からグレイのグラデーションだけで構成されたツムツムが展開されているんだけど とにかく成功しない。むやみにピュンピュンしてるだけ。ツムツムがスルスルと動くだけ。 っつーか。苦しい。なんだこれ。っつーか痛い?なんだこれ! あ?あ?あ!そうか!手術終わったのか! っていうのが最初の感覚。 っていうのを「これブログに書くからおぼえておこう」と思ったのを覚えてる。 その一方で、とにかくスゲー痛いしスゲー苦しい。 なんか運ばれながら「痛いですか?」って聞かれてて、痛い!って答えたいんだけどムリ。 「深呼吸してください」って言われたから呼吸に集中してみたらようやく息ができて 「痛い」って言えた。そんで「こわい」って言って泣いた。 手術の後はリカバリールームという部屋で熟練ナースがずっとついて回復を診てくれる。 それは聞いていたが、もっとおだやかに見守ってもらうんだとばかり思っていた。 現実は、とにかく痛いから「痛い」と伝えるんだが どうやらすでに何種類もの痛み止めを使っている状態ならしく 時々医師が呼ばれては「ん~痛いですよねぇ。もうちょっと待ってくださいねぇ。」と言う。 結局、何人かのやりとりの後にナースが座薬を入れてくれてようやくすこし落ち着いた。 それでも「なんだこれスゲー痛い!」が「すごく痛い!」になっただけだが 自分の病室に移動することになったらしくベッドが動き出したら 今度はガゼン気持ち悪い。なんだこれ~。助けてくれ~。 痛いよ~気持ち悪いよ~こわいよ~ それだけを唱えながら運ばれている。 今、たくさんの人が私にかまってくれてるけど、私だけが苦しんでいる。なんて孤独。 部屋に着いても、痛くて気持ち悪くてこわい。 その私の周りをナースがくるくると動き回って何かしてくれている。 こんなに何かしてくれているのに孤独を感じている。勝手だ。 いつの間にかナースもいなくなり、 痛がってるのか眠っているのかよくわからない感じのところに夫が登場。 なんかいろいろ訴えたいが「痛い」と「こわい」しか言えない。しかも声が小さい。 私のその小さい声を聞いた夫がうんうんとうなづいて頭をなでてくれて、私はまた泣いた。 夫はこういう時なにも言わない。言えない。でもわかってるから大丈夫。ありがとう。 ここまでも、おそらく午前中に終わったことだが その後、少しずつ痛みが遠のくのを待つだけの私を時々病室まで見にきつつ夫は16時くらいに帰宅した。 最後にはだいぶ頭痛も落ち着いて、一応のやり取りはできたものの しゃべればしゃべるほど気持ち悪くなるのでたいしてしゃべれず 1日会社を休んで来てくれたのに申し訳なかったなぁと思ってしまう。 夫が言うには、手術後先生が夫のところに来て、「手術は成功しましたよ」と言ったらしい。 それは良かった。ホントに。 その後も、ひたすら寝て過ごす。 右胸と腕と肩が痛く寝返りも打てない。ただひたすら寝る。 http://c-hiho.jugem.jp
2020/2/14(金)→手術当日−2 7:00すぎ、まわりの皆さんはお食事が配られるものの私にはない。 8:00、着替えたものの何も考えたくなくて黙々とケータイゲームのツムツムをやっているところに夫到着。 しばらく並んでツムツムを眺める。 8:30すぎ、ナースが迎えに来て、自分で歩いて手術室へ向かう。 途中で「行ってらっしゃい」「行ってきます」と手を振ってラウンジで待つしかない夫と別れる。 一般患者は使わない先生方専用のエレベーターで手術フロアに到着。 ドラマみたいな巨大で無機質な自動ドアの前でしばし待たされる。 ヒマなのでそこに掲示されているマップの手術室数を数えるとなんと25室。 ナースに「これぜ~んぶ手術するためのお部屋ですか?」と聞いたがその通りだそうだ。 ひとつだけバカでかい手術室があったので「これは何用?」と聞いたもののナースわからず。 「あれはきっとドラマで見るような上のフロアから偉い人が見下ろしているような部屋か、 大学生がいっぱいに詰まって珍しい手術を見学するような部屋に違いない」と勝手に思う。 その後、名前を呼ばれて手術室ナースと挨拶して私の手術室へ。 当然巨大な部屋ではなくサイズ的にはフツー。でも人が多いような?撮影スタッフか? それにしてもとにかくきれい。 自力でベッドに登って横になるが天井の照明のサイバー感がものスゴい。 昨日お話しした麻酔の先生が近寄ってきて挨拶してくれる。 麻酔の先生に点滴の針を刺されて「いった~い」と思っている間も ナースがガンガン話しかけながらいろんな器具を取り付けたり服を脱がせたりしてくれる。 メガネもしてないし手術着の人がいっぱいいたので気づかなかったが 突然、主治医の先生がヒョイと顔を出して 「おはよー。今日はよろしくお願いします。がんばってね!」と挨拶。 私も「はい!よろしくお願いします!ホントに!」と慌てて言った。 がんばってほしいのは先生ですよ!って言いたい気持ちなんだけどなぁと思う。 麻酔の先生が「酸素のマスクかけますね~」と言って顔に乗せたマスクが 斜めに鼻に乗っかてるだけでぜんぜん口の上にない。 大丈夫かなぁと思っていると担当の麻酔の先生より偉そうな初見の先生が 「では麻酔を入れていきますね。眠くなります。」と言って点滴のほうに何かを入れた。 「あぁ、マスクじゃなくて点滴から麻酔入れるのね‥」と思っているうちに「無」。 http://c-hiho.jugem.jp
2020/2/14(金)→手術当日 6:00、電気点灯とともに起こされる。 朝一の手術なので 毎日飲んでるビタミン剤を飲んだらそれ以降は飲食禁止。 手術後も1日は何も食べられないので、今日は断食だ。 ナースが手術着を持ってきてひとしきり朝やるべきことを説明してくれる。 そのあとは部屋の他の患者さん一人一人に「今日は…」って話してる。 朝からキリッとしてるなぁと思ったけど よく考えたらみんなが寝ている夜もずっと働いていての朝なんだな。すごいなぁ。 さぁ、私は2時間後には手術室へ。 http://c-hiho.jugem.jp
2020/2/12(木) →入院1日目ー3 お昼ご飯のあと、ナースが様子を見にきてくれたりしてるうちに 夫が先生から手術の説明を聞く時間が来た。 朝はフツーに出社して、先生に指定されたこの時間に会社から病院に来てくれた夫と これまで3ヶ月以上、毎週お話ししてきた先生と改めて並んで座り、 3人でモニターを見ながら、今の私の状況、この先考えうる状況、 そして、だからこそ決まった今回の手術の諸々を説明してもらう。 今回の説明はよくわかったし、質問も全部答えてもらったしで安心した。 改めて、先生の提案の手術を受けて、その先の人生を歩むしかないなと思った。 そして、最後に先生が「本当に”可能であれば”のご相談なのですが」と言って話してくれた 「今回の先生の手術を、今後の学生の勉強の教材にするために撮影する」という話に 私は、同意することにした。 私のがんは病気であって、私にとっては悪だけど。 この悪を切り取るところを撮ることで、これからの誰かのなにかイイコトに繋がるなら、 それはなんだか私がうれしいから。ぜひ、撮って使ってもらおうと思った。 夫婦で並んで先生に「明日はよろしくお願いします!」と言って その後は病院内のスタバで、お茶をのんで少し話した。 うちの夫は感情的にかなりフラットな人だと思う。 入院だからって、何か買ってきてくれるとか抱きしめてくれるとかはないけれど、 こうやって、19才の大学の友達だった頃から何も変わらない空気感で 隣に並んで座って、どうでもいいようなことをフツーに共感しあえるところがとても好きだ。 スタバで夫と別れた後は、しばらく入れないシャワーを浴びて、 やっぱりかなり粗食の夕飯を食べて、ケータイを見て、ブログを書いている。 明日は手術だ。 がんが見つかったあの日から、私の中の何かが変わった。 どうしようもない孤独を知り、消せない不安を抱えた。 でも、だからなんだってんだ。結局、私は私だ。 今、最善だと思うことをするまでだ。 明日は手術だ。やるまでだ。 http://c-hiho.jugem.jp
2020/2/1(土) →抗がん剤治療(12)から4日目 昨日くらいから爪の痛いのが急激につらい。 ってことを書こうと思ってパソコンをいじるが この浅~いリアクションのMacBookのキーボードでさえ 間違えて爪に力が入るような角度になると痛い。 指先で何かをしようとすると痛いので 第一関節あたりでつかめるもの以外はいちいち痛い。 炊事も掃除も入浴もトイレも着替えもいちいち痛い。 気づかなかったけど、爪っていつもこんなに働いていたのだね。 しかし最後の抗がん剤投与も終わったのに。 今さらこんな副作用攻撃にあうとは思ってなかった。 全身の肌の乾燥、顔の肌荒れと合わせて、かなり心が荒む。 今までは「私はわりと平気」と思っていたが あくまでも大した副作用感じなかったから平気なだけだったんだな。 やっぱり実際に「痛い」とかあるとガゼン弱る。 先生曰く「爪が痛いのはしびれの延長」とのことだが 以前からナースに「抗がん剤治療終わってもしびれだけは残る人がいる」って聞いてきた。 抗がん剤が抜けきった後も、この「爪が痛いしびれ」が残ったらヤだな。 抗がん剤さん。乳がん細胞を叩いてくれたことには心から感謝します。 だけど今まだ叩いている別の部分についてはすみやか~に明け渡してください。 コテンパンにしないうちにご退出ください。 って。「がんはコテンパンに」「その他は温存で」なんて、 もう何年もいろんな人がいろんなところで研究してくれてることなんだろうなぁ。 荒む心を押しとどめて、今は「ガンを叩いてくれる薬に会えたこと」を喜ぶ方に考えよう。 http://c-hiho.jugem.jp
2020/1/29(水) →抗がん剤治療(12) 今日は抗がん剤最終回。 そして手術前のMRIと入院説明を受ける予定。 月曜に雪、火曜に雨、と来ての水曜なので混みこみを覚悟して病院へ。 今日はMRIがあるので、飲食もできずスタバにはいられない。 結果、机のある休憩スペースでパソコンを触るがとにかく診察はまわってこない。 結局、受付の人と相談して、先にMRI検査に向かう。 前にも受けた検査だから、流れもわかるし不安もない。 ただ、検査の結果だけが気になる。 これで、この3ヶ月の抗がん剤治療の効果がわかるはず。 検査も終わってまたしばらく待って、ようやく診察室へ。 血液検査の結果は問題なし。これで、抗がん剤治療は全て予定通りできることになった。 よかったよかったとホッとしていると先生が「じゃぁMRIを見てみましょう」と。 わ!さっき撮ったMRIもう見られるんだ!それはうれしい! んん~。と画像を見ている先生。 私も一生懸命見るが、どうも最初のようなわかりやすい「がん」が無い。 「うん。これは、すごく効いたね!もうほとんど無いカンジだね!」 「え!ホントですか!それはすごい!!」 わー。やっぱりこれには大きな「がん」が写ってないんだ。 すごい~。ハーセプチンありがとう!よかったよかった。よかったよぅ。 前に撮った時の同じような位置の画像と比べても違いは歴然で 先生と一緒に何枚も何枚も、画像を見る。明らかに無い! もちろん病理の先生にも見てもらわなくちゃだし、 画像上で写らないだけでまだいる可能性はあるからこその、この後の全摘出だけど。 でもそれでもうれしい! あの忌々しい「がん」の影が消えているってだけで、体が軽くなったようだ。 これで、改めて晴れて外科手術に向き合える。 と思ったが、一点やっぱりいまいち腑に落ちないままなことを先生に確認。 「そもそも、結局は全摘出がイイって状況なのに、なぜ先に抗がん剤したんでしたっけ?」 私と夫的には、 「がんを摘出しちゃっても、すでに全身へ散らばってるかもしれないがんまでを早く叩くため」かなと思ってた。 しかし先生は「それは違います」と。 そして「どっちにしても【全摘出+抗癌剤】であることは変わらないのだけれど、 先にとってしまって後から抗がん剤をすると、このがんにどの程度抗がん剤が効いたのかがわからなくなるから。 先に抗がん剤をすればこうやって「この人のがんにはこの抗がん剤がちゃんと効いた」という結果が出る。 その判断をしっかりした上で手術をすれば、その後の治療方針もたてやすいのだ。」と教えてくれた。 なるほど~。そういうことだったのか。そう言ってもらえるとすごく理解できる。 でもこの点は帰宅後に夫にも報告したのだが、二人ともそんな説明を聞いた覚えはなかった。 もしかしたら、先生も違う言い回しでそんなようなこと伝えてくれたのかもしれないけれど、 でもガン告知されて人生で一番くらいにテンパってる一般人にはよくわからないのですよ。 今日のこの説明を最初にしてほしかったですよ。 ま。でもつまり、私には今回の治療は合っていたということだ。 もう、迷う余地はない。 手術前後のことについては乳がん認定ナースから話があるとのことで、先生に挨拶して退出。 別室で説明を受ける。 まず最初に「手術2日前に入院」と言われたのだが、その2日何するのか聞いてみたら「あれ?」ってなり 追って「先生にも確認したけど、特にやることないから前日の入院でイイですよ」とのこと。 ん~?こういうところがちょっと不安だけども。大丈夫なのよね? そんで気を取り直して、手術直後、翌日、その先。 やっぱり、リンパもとるから、思っていた以上に具体的な影響がありそうだ。 でももうそれも織り込み済みだから、いちいち落ち込むようなことではない。 それに手術周辺のことは先生やナースにお任せして、私はそれで出てきた状況でがんばるだけ。 術後の下着などの件も、結局は自分でネットなどで探してねというカンジだし。 気力を保って、自分の新しい体に向かい合うしかないんじゃないかと思っている。今のところ。 で、そうしていろいろと説明してくれる認定ナースに 「ではなにか、心配なことありますか?お子さんのこととか。」と言われると 結局やっぱりツラツラと、スパッとは解決しない子供たちへの気がかりが出てきてしまう。 涙と鼻水をふきながら話を聞いてもらい、結局はさっきの自分のことと同じように、 私の新しい状況に一緒に立ち向かってもらったらイイんじゃないかなというところに着地した。 心配も不安もあって、二人の顔を思い浮かべると反射的に涙が出ちゃうけど、 でも、もう私がやるべきことはそんなにややこしいことではない。やるしかないのだ。 最後の抗がん剤はいつもと違う珍しい針を使う先生で、針を抑えるテープも変わってて、 なんか長いことここに通っちゃったな、がんばったよなって思った。 それ以上の感慨は特になく、慣れたもんで寝落ちしていたら、 これまでに担当してくれたナースが何人か顔を出して挨拶してくれた。 私は色々してもらうばっかりで、ナースになにもしていないのに。 みんな「がんばりましたね。手術もきっと大丈夫。」って言ってくれた。 うん。私、がんばった。そんで、手術もきっと、大丈夫。 http://c-hiho.jugem.jp
2020/1/24(金) →抗がん剤治療(11)から3日目−2 どうも爪がおかしい。 思い起こせば1•2週間前くらいに靴がきつい気がすると思ったのが最初で それから気がつくと足先がぼんやりと痛い。 で気がついたら最近、手の爪に違和感が出てきてわかった。 これは「足も手も、爪との接触面が痛い」のだ。 何かをつまもうと指先に力を入れると、それを外側から支えてる爪が痛い。 飲み終わった紙パックのジュースをつぶしたり、 ポン酢の内蓋を開けようとすると痛くて力が入らない。 これも抗がん剤の副作用なんだろう。 もう終わりだと思ってたのに今さらの副作用発覚。痛い。 http://c-hiho.jugem.jp
2020/1/13(月) →抗がん剤治療⑨から6日目 最近、湯船に浸かっていて思うのは 「この右胸が、もうすぐなくなるんだなぁ」ということ。 なくなった状態を想像するが、いまいちわからない。 私はGカップあるので、片方だけ取ると歩く時とかバランス悪くなるんじゃないかと思う。 だから一応、以前「全摘」の話が出た時は先生に、 この際ガンのない左胸も取っちゃうっていうのはできないですか?と聞いたら 「倫理的な問題でこの病院ではできません」と言われた。もちろん想定内の返事。 でも私は若い時に、この大きな胸がイヤで調べたことがあるのだ。 美容整形外科なら20万円とかで健康な胸を小さくすることができるのだ。 保険を効かせなくていいのなら、倫理は影響しないのだ。 っつーか「倫理」ってどこまでの倫理だ。病院のか、日本のか、世界のか。 「私の」倫理では健康な胸を取りたいと言う気持ちも「倫理的に許される範囲内」だ。 とか、「倫理」の言葉尻をとらえて喚いても何の意味もないことも知っている。 はぁ。 別に、倫理について噛みつきたい訳ではないのに 考え始めるとこんなふうに、違うところに突っ込んでいってしまう。 結局それは、考えても調べても、「私の場合」をうまく想像することができなくて スタートの「いまいちわからない」という状況に戻るだけだからだろう。 未知のものに向き合うということは、こわい。 大人で、きちんと説明を受け、同意書にサインする私本人でさえ、こんなんなのだから、 子供たちは、右胸のなくなった私の体を見たら、どう思うんだろう。 もちろん、当たり前に、絶対に、かなりのショックを受けるだろう。 いくら説明したところで、想像なんてできるはずがないし、欠損という衝撃は大きいだろう。 そのショックを受けた自分を、彼らは私に見せてくれるだろうか。 やさしい彼らは、ショックの元である私に、何も訴えることができないんじゃないだろうか。 それが心配だ。 夫とは話している。でも、彼は私ではない。 自身がショックを与える存在であることの不安や、 彼らの気持ちをぶつけてもらえないかもしれない不甲斐なさを 完全に共感してもらうのはムリなのだ。 もちろん、それでいいし、それだからこそ彼にいてもらう価値は別にある。 でも、 子供たちへの伝え方、その先の寄り添い方については 私たち夫婦には、いまだにはっきりとはわからない。 それでも、 できるだけの説明をして、 できるだけ一緒に想像して、 できるだけ一緒にショックを受けて、 できるだけ一緒に慣れていくしかないのかなぁと感じ始めている。 私たちは、家族だけどそれぞれ別の人間で、 別の人間なのに、一緒に笑って暮らしていきたいのだから。 http://c-hiho.jugem.jp
2020/1/7(火) →抗がん剤治療⑧から12日目 最近、味覚障害がキツい。 ちょっと前は「何食べてもあんま味しない」くらいのカンジだったが 今は「何食べてもマズい」カンジになっている。 抗がん剤の影響って蓄積されて変化するものなのかな。 ちょっと前は「まぁ抗がん剤やってる間だけならガマンかな」と思っていたけれど 今は「食べるたびにマズいとかどんな苦行だよ」と憤っている。 だから一人の時はホントどうでもいいものを食べたり食べなかったり。(でも痩せない) だけど、私の職業は専業主婦なので子供たちにも何か食べさせなくてはならない。 ちょっと前は「シチューとか市販のソースで味がつくものを作れば、まぁ大丈夫だろ」と思えていたが 今はそういうものを作っても「こんなマズいもの食べれるの?大丈夫?ホント?」と思いながら出すので、これまた苦行。 ついにはこの日夕食で、以前に作り置き冷凍していたカレーを温めただけにも関わらず 自分で食べたらすごくマズくて、ホント驚いた。 「マズいカレー」って食べたことなかったんだなと気がついた。 子供たちは私が食べないとすかさず「どうしたの?具合悪いの?」と気にするので よく「さっきつまみ食いしすぎたからお腹いっぱい」とかってごまかしているのだけれど この時は直前に「あーお腹空いたね~早く食べよう!」と話していたために マズいからって食べないのも子供たちの手前なんかイヤで 内心で(うう…マズい…マズいカレーってこんなにおぞましいビジュアルなのか…)と思いながら どうにかこうにかごまかして必死に飲み込んだ。 発見「マズいカレーは苦行」。 はぁ~。 抗がん剤はまだ1ヶ月残ってる。キツいなぁ。 前に「味覚障害のシェフは地獄」と書きましたが 「味覚障害の主婦は苦行」ということも明言しておきたいと思います。 http://c-hiho.jugem.jp
2019/12/18(水) →抗がん剤治療⑦−2 診察時、もう一つ質問したんだった。 口腔内の違和感の延長で、 最近どうにも何食べても味がしない。おいしくない。 だんだんその傾向が強くなってる気がする。という件。 先生は 「それは味覚障害。抗がん剤の副作用ですね。つらいけどやめたら治るはず。」だって。 ちなみにその後の化学療法中にナースと世間話でその件を言ったら 「亜鉛をとるといいとか言いますよ。あまりに辛かったらお薬出すとかもあるかも。」と教えてくれた。 今のところ、抗がん剤を使ってる間だけの副作用なら、まぁ我慢するかなって思ってる。 おいしくないだけだから。 だけど、この「おいしくない」って。長く続くとけっこう苦痛。 毎日毎食、1日3食+おやつのその全部がおいしくないの。 お腹は減るし、嗅覚はフツーだから「イイ香り~」とは思うのに いざ口に入れると「ん。ん~?え~?あぁ~?」となる。 そしてそんな状況で料理なんか、自信も無くなるしますます楽しくない。 それなのに自分以外の人のために毎食何か作らねばならない。 これって結構かなりのストレス。 抗がん剤治療も慣れてきたとはいえ、まだ半分。 耐えられるのかなぁ。 http://c-hiho.jugem.jp
2019/12/6(金) →抗がん剤治療④から6日目 脱毛が増えてから、長男とのお風呂は夫に頼んでいた。 とにかくものすごく抜けるので私が自分の作業的に一人で入浴したいのと とにかくものすごく抜けるその様子を長男に見せる必要ないかなという理由。 夫が出張や残業の時は、私は着衣のまま彼をシャワーで入浴させてた。 ついでにその間は家でも、不織布の給食当番帽子みたいなのをかぶっていた。 料理しててもフライパンに自分の髪の毛が落ちてきちゃうような状況だったから。 でも、まだ過渡期ながら脱毛も落ち着いてきて、 これは子供達に途中経過を見せておいた方が良いのではないかと思い始めた。 毎日、茶色の給食当番帽子で過ごしていて、 ある日それを外したら母が無毛になってるのってけっこうショックかなと。 だから、家族と家にいる時は普段も寒くなければ帽子をかぶらず、 お風呂もフツーに一緒に入ることにした。 もうだいぶ髪が少なくなった頭は、お風呂に入って濡らすと今までとはかなり違う。 長男はそれを「だいぶハゲちゃんになってきましたなぁ~」といって見ている。 私は長女と一緒に「そうだね~。だいぶ少なくなってきたね~」と受ける。 キャンサーペアレンツのアンケートみたいなのを見ても 「脱毛」は抗がん剤治療でつらかったことの筆頭だそうだ。 たしかに、治療のせいで外見が変わると言うのは 想像していたよりももう少し、めんどくさくて、つらい。 でも、今はこれが我が家の現実だから。 子供たちにも見ておいてもらおう。一緒に、過ごしてもらおう。 http://c-hiho.jugem.jp
2019/12/5(木) →抗がん剤治療⑤ 今日は朝さらに早く、8:30に長男をお友達の家に連れて行く。 それなのに中央線はやはり止まり、朝の努力は台無しに。 先週のエコー検査の結果が何か聞けるのかもと、夫も会社を中抜けして合流してくれる。 二人で待ってようやく呼ばれ診察室へ。 普段通りの診察はすぐに終了。 先週のエコー検査は…と言うと先生は「あ。エコーやったんだっけ」とカルテをチェック。 確かに代診の先生が入れてくれた検査だったけど。そんな扱い? しかも「はい。ちゃんとやってますね」と終わろうとするので え。先生、2週間前のMRIと比べてガンのサイズに変化あったとかわかりますか?と聞くと 「それはわからないかな。」と軽~く受け流された。 え。左胸にも何かあるからって話は?と畳み掛けると 「それは大丈夫。ガンじゃないね。」だって。 なんか脱力。何のために受けた検査なのかよくわからないじゃないか。 何か聞けるのかもと思って会社を抜けてきてくれた夫にも申し訳ないし。 ってかなんか、こっちから聞かないと進まない会話に腹たってきた。が、ガマン。 今日はもう一つ聞こうと思って来たのだ。 先生、先週お話しした際に気になったのですが、 今やってる1クールの抗がん剤治療後の外科手術について、 とりあえず全ての可能性を知りたいので「全摘」の前提は一度はずして説明してください。と言うと 「はい。」と、ちゃんとはじめて受診した時のような主治医モードで説明してくれた。 私たちの一番の疑問は「よく効く抗がん剤で限りなく小さくしても全摘」ってなんで?ってこと。 それについては、限りなく小さくって言ってもあくまでも「いろんな画像上で」小さいということ」であって 本当にそこにガンがいるのかいないのかは、摘ったもの全体を検査してみないとわからないことなんだそうだ。 私のガンは見つかった時点でかなり大きかったので、抗がん剤が効いていても 完全に、全ての場所で、いなくなっているか、と考えるとかなり不安が残る。とのこと。 それではと、「再建」を見越した手術を選べるのかという話を聞くと、 もちろん再建はできるのだが、人工物を使っての再建は今ちょうど全国的にできないのだと説明してくれた。 確かにこの夏、保険適応のできる唯一のシリコンインプラントがリコールになったニュースは読んだ。 そうなると「摘出+再建→同時再建手術」はまず無理。 でも、摘出完了してだいぶ経った後からでも再建手術は可能だと聞いて、選択肢があるという意味で少し落ち着いた。 落ち着きはしたので先生には、 よくわかりました。まだ半分以上残っている抗がん剤治療の間によく考えてみたいと思います。と伝えた。 やっぱり先生はすんごく忙しいから、重要性の低い事項についてはちょっと流しがちだけど ちゃんと聞けば、ちゃんと説明してくれる人なんだ。と自分のためにも改めて思うことにした。 が、最後に私が そういえば先週から生理になりました。なんかいつもと違って期間も長く、現在も出血が続いてます。と言うと 「あら。生理来ましたか。おそらく来月は来ないですね。」と先生。 それは、抗がん剤やめたら再開するってことでしょうか。と聞くと 「ん~。抗がん剤やると卵巣が10年加齢したくらいのダメージを受けると言われています。 だから、あなたの場合、42才プラス10才で52才。閉経してもおかしく無いです。」とのこと。 え。そうなんですか?えー。はぁ。そうですかぁ~。なるほど~。と答えた。 そんで来週に話してお礼を言って退出した。 ん?なんかモヤモヤするぞ。 「閉経してもおかしく無い」 そんなん聞いてないんだけど。え。それ最初に言っとくべき項目の一つじゃない? 確かにガン告知時の診察で、全摘も辞さないとともに「もう子供を作る予定もない」と言ったが。 だからって閉経の可能性を伝えないって。それってなんか違くない? なんか。言葉にして人に伝えることでもないが、トイレに行くたびに思い出すモヤモヤ。 先生。先生の診断を信じてがんばりたいと思ってるからこそ。 先生の言葉に、話す順序に、話し方に、こんなにも影響されてしまうんです。 先生を非難してるんじゃなく、ただ、不安で孤独なんです。 ムダ足感の拭えない会社中抜け夫を見送って、いつも通りの抗がん剤を1本。 長男のバスのお迎え時間には小1時間間に合わなそうだったので、長女にお迎えを頼んでおいたものの、 長女は自宅の鍵を忘れていて家に入れず、友人の携帯電話から連絡してきたため 彼女には児童館で待つように告げて、長男を朝もお願いしたお友達に預かってもらえるよう頼む。 みんなに協力してもらって、ようやく通っている病院で 何をできるでもなくただ番号を呼ばれるのを待ち続けるこの時間が、毎週うっすらストレスだ。 http://c-hiho.jugem.jp
2019/11/24(日) →抗がん剤治療③から5日目 髪の毛がすんごく抜ける。 風呂で頭を洗うと何の抵抗もなくスッとどっさり抜ける。 シャンプーしてもすすいでも、リンスしてもすすいでも抜ける。 湯船でゆっくり髪を撫でても抜け続ける。 抜けた髪のついた手を流し続けていると なんだか「羅生門」を思い出す。 老婆が髪を抜いていたのは死体からだった。 生きてる私の生きてる毛根。ごめんよ。また時が来たら思う存分に生えてくれ。 これ、髪の毛なくなったらフツーのシャンプーってつよいんじゃないかしら。 シャンプーって「髪」を洗うためのものでしょ。 ちょっとしらべなくちゃな…とか考えながら、ひたすら流し続ける。 (排水口は乾いてから一気に掃除する) http://c-hiho.jugem.jp
2019/11/14(木) →抗がん剤治療②ー2 そういえば、待ち時間に診察受付の人経由で医療費について聞いてもらった。 前回の「抗がん剤3本の治療で約20万」というのは、 3ヶ月1クールのセット価格なのか?単純に一回分の医療費なのか?という問い。 結論から言うと「単純にその日かかった医療費」だそうだ。 つまり今後も「抗がん剤3本の時はそのくらいかかる可能性が高い」し、 「抗がん剤1本の時はその1/3くらいかかる可能性がある」ということ。 厳密には薬剤の量とかによって変わるので当日しかわからないけども。 えぇぇ? ってかそういうのって最初に教えてくれてもいいんじゃないの? 「このくらいかかりますよ」って言ってもらわないと 治療受けてから「払えないよ!」って言う人いるんじゃないの? はぁ。とにかく。一般論はさておき。 我が家の場合の話をしなくてはならないので夫に連絡。 いろんなところで時々見かけていた「高額医療適用認定証」なるものを とっとと申請してみようという話になった。 我が家の場合、会社の保険組合で手配してもらうとのことで 夫作業で申請し、なるはやで手に入るよう祈った。 その認定証の有効期間が今月頭とかから始まっていれば 先週の分から適応されて、病院窓口で返金を受けることができるらしい。 期間が実際治療した日時より後から始まっていたら、 またその前の部分は会社経由で申請して返金を受ける形になるらしい。 あぁそんなややこしいのはめんどくさいのでヤだ。 11月1日からの認定証が発行されますように。 http://c-hiho.jugem.jp
2019/11/14(木) →抗がん剤治療② 今日の抗がん剤は1個だけ。 席に着くと担当ナースが先週と同じで なんかうれしい。 もう流れは理解してるし1個だけだしヨユー。 が、なんか今日は注射運が悪い日なのか、 血管と点滴の針の角度がイマイチでなかなか点滴が落ちない。スピードが遅い。 おかげで「2時間ほど」だった予定を大幅に上回り、3時間強かかって終了。 長男の幼稚園バスの到着お迎えにぜんぜん間に合わないので 同じバス停のママに預かっていただけるようお願いし、 OKをいただいてから、幼稚園にも電話でその旨報告。 ん~やっぱり、幼稚園のお迎え時間に帰るのは難しいのかな。 預かってくださったバス停ママにもそろそろ言わなきゃだなと思いながら急いで帰宅。 疲れてたけどやっぱりちょっと明るい気持ち。 部屋で本読んでた長女にただいま~と言うと こっちも見ずに「おかえり。どうだったの。」って言うからPET-CTの結果を話したら、 パッとこっち見て「良かったじゃん!」って言ってくれた。 やっぱり彼女も心配してて、でも出さないように振舞ってるんだと思う。 急いでご飯を作って母子3人で食べる。 2人とも競い合うように学校や幼稚園の話をしてくれる。 夫が帰宅。夕飯を温めて出す。 お互いその後に各自で調べた医療費のことなんかを話しているんだが 時々、「はぁしかし、よかった。」と言う夫。 この人自身も顔には出さないけど、きっとずっとこわかったんだなと知る。 ちなみにそれに加えて彼は 「っつーかなんで検査結果伝える時、結論を先に言わないのかな。 結果は転移無し!理由は画像をみてください...って話してくれればいいのに。 ずっと悪い結果なのかが気になって理解しづらいだろ!」って ちょっと怒っててなんかおもしろかった。 なんだかPET-CTの夜以来ちょっと甘えっこの長男とベッドに入るが なんとなくケータイを触りながら起きていると やはりムダに前から持ってるマンガを読んでた夫も寝るようでベッドに入ってきた。 長男を挟んで横になった夫が突然、変に鼻を鳴らしてむせたので 私は大丈夫か~と笑ったが、どうにも彼の様子がおかしい。 暗闇の中で鼻を鳴らし続けている。 彼は泣いていた。 私が彼の背中をトントンしながら、こわかったよね。ありがとう。と言うと 彼は「よかった。」とだけ言っまたむせた。 その後はしばらくしてゴソゴソと鼻をかんで「おやすみ」と言って寝た。 私はまだ、死ぬわけにはいかないのだ。 この人たちを残して死ぬなんてイヤなのだ。 まだまだ一緒に、ぜ~んぶのことを見ていたいのだ。 よかった。ありがとう。 http://c-hiho.jugem.jp
2019/11/14(木) →抗がん剤治療①から7日目 2回目の抗がん剤治療の前の診察と、PET-CTとMRIの検査結果を聞きに診察室へ。 病院に入って自動受付機での受付直後に採血。 手練れなカンジのナースだったのに、針を刺しても血がピューっと出ない。 角度かなんかが悪いらしく刺したままグリグリ動かしてなんとか必要量を採る。 会社を抜けて合流してくれた夫とともに診察室へ。 今日は主治医の先生が不在で代診ってわかってたんだけど、 診察室に入ったら針生検の時の若い女性の先生でした。乳腺外科の先生だったんだ。 まずは、今朝受けた血液検査の結果。 白血球も極端には落ちておらず問題無し。 今日は予定通り抗がん剤②を受けられる。ひとまずホッ。 次に、昨日受けたMRIの結果。胸のガンの広がりを正確に把握するもの。 モニターで画像を見ると、胸にギザギザした白い塊が 左胸にはガンが3個。リンパにもガン有り。 たぶん同じタイプのガン、という程度の認識で進めるんだって。 3個をそれぞれ針生検したりはしないそうだ。 そんで右胸にもガンとは限らないもののなんか小さいのがあるから、併せてエコー検査をすることに。 これの予約がちょっと先で2週間後。 そしてさらに、月曜に受けたPET-CTの結果。 こっちは全身、別の場所への転移が無いかどうか調べるもの。今一番こわい話。 これはなぜか私から で、先生、一番気になってるのはPET-CTの結果ですが?と聞いたら データをポチポチとモニターに出して、 画像の説明から入り「この光っている部分がガンです」と教えてくれる。 なるほど、なんかNHKっぽい。 ってか、すごくいろんなところが光っているように見える…転移だらけか? と血の気が引く。 が、先生は「これをみる限り、別の場所にはガンは見つかりませんね」だって。 え!やった!転移無し!夫の顔を見たらいつも通りの顔だけどちょっと力が抜けたみたい。 でもどうしても気になったので、 でも先生、私にはいろんなところが光っているようにみえるんですが。と言ったら 「それはいろんな生理現象に対しても光ることがあるので、確かに光って写ってはいるもののガンとは違います。」とのこと。 病理の先生の診断も同様に「転移無し」だったことを確認してようやく安心できた。 いつも終始感情的にはフラットな感じでそこにいる先生も ほっとしてる私たちに、明るい声で「よかったですね」と言ってくれた。 先生に言われるとさらに「よかった」に自信がつく。 最後に先生は 「それでは改めて、抗がん剤治療はしっかり続けていくことが大事ですから、 心臓などへの負担を判断してもらうために循環器科の先生の診察の予約をとりましょう」と 挨拶文から始まるメールを書いて、予約を取ってくれた。 今日も我々夫婦は 本で読んだ知識と自分の状況を正しく並べようと ちょこちょこ細かな疑問や質問を口にして先生に聞き続けたが 主治医の先生同様に代診の先生も、ていねいに目を見て 伝わるように考えながら話してくれているのを感じて助かった。 理屈っぽく気の強い私は、不信感に対して挑戦的になりがちなのだけども 相手の誠意を感じると素直に話の内容だけを聞いて対応することができるから この病院の先生方の姿勢と努力はとてもうれしい。ありがたい。 はぁ、しかし。 良かった。 他への転移はなさそうだって。 もちろん絶対なんて無いんだろうけど、でも、 今の私は他への転移が無さそうってことを拠り所にして 今の私の乳ガンとガッツリ闘うだけだな!と気合い入った。 この私のHER-2:type3のガンは90%の人にハーセプチンが効くんだって。 だから、私が90%に入れるよう祈りつつ! この3ヶ月の抗がん剤治療をがんばって受け続けるぞ!と改めて思えた。 はぁホント。とりあえず大きく一個心配してることが否定された。よかった。 http://c-hiho.jugem.jp
2019/11/13(水) →MRI 今日はMRI。 女性の技師さん。 うつぶせになって両胸をそれぞれ足のついたフレームみたいな台に入れ、 立体的に撮れるように、胸をぶら下げた状態で準備した。 説明には聞いていたけど、すごい音。 でもなんか、おもしろいかもと思い始めて どうせ何もすることないんだし目を閉じて聴いてみる。 なんだか「デザインあ」でありそうな音楽に聴こえる。 ま、上海時代の上の階の工事の音にも聞こえるけど。 10分くらい撮ったら、一度機械から出されて、 次は左手の甲から造影剤を流し入れながら再度撮る。 http://c-hiho.jugem.jp