2021-04-18 23:58:24
寛解390日目、叔母が亡くなりました
日記
こんばんは。
寛解390日目となりました。
去る4/12(月)、叔母が亡くなりました。
※叔母については以下の日記をご覧ください。
https://cancer-parents.com/posts/2077757
葬儀の関係で再度静岡に帰っており、一昨日茨城に戻ってきました。
9月にがんが判明してから、たった7ヶ月で逝ってしまいました。
あまりにも早過ぎる。
棺の中の叔母は、肝臓の機能が弱っていたため化粧で多少ごまかせてはいましたが
それでも顔が黄色に染まっており、
腎臓の機能も弱っていたため水分が排出できずに浮腫みを酷く、
1月に会った時とは別人のようになっており、
病気の辛さを表しているようでした。
叔母の病気が判明してからずっと傍で一緒に闘い続けた私の母は、
棺を抱きしめるようにして
「頑張ったよね」
と大粒の涙を流しながら叔母に言っていたのが、とても記憶に残っています。
葬儀中、ずっと考えていました。
叔母は、幸せな人生だったんだろうか、と。
結婚してビルを建て、そこで自営業を営んでいましたが、
人が良かったため色々な人に騙され(一千万弱と聞いてます)、
子供が欲しかったが子宝に恵まれず、
夫が50代の時に統合失調症となり自営業を続けられなくなり、
以降は夫の介護を続けて。
がんが分かった時には、自分の治療すらできない貯金しかなく、
兄(私の父)が全額負担して、
兄にお金を借りなければならない状況に尊厳もずたずたになったと思います。
本人が幸せだったかどうかなんて、もう今更分からないし、
他人が決める事でも無いです。
だから、きっと幸せだったんだ、と私の中では結論付けました。
叔母がそんな経済的状況だったのが分かったので、
私は食料の支援を続けていました。
特にレトルトのお粥は食べ易くて片付けも楽でとても喜んでいました。
これは、ただ単に、私が後悔したくなかったからです。
葬儀の際に、叔母の友人が私に言ってくださいました。
叔母は貴方にとても感謝していた、と。
同じ病気に先に罹っていたから心強かった、と。
もう、涙を堪えるのが大変でした。
結局、私は葬儀中一切涙を流しませんでした。
自分が亡くなる時は、笑って送り出してほしいし、
皆が泣いて悲しんでいたらきっと叔母のことだから「私のせいでごめんね」と
思ってしまうんじゃないか、と考えたからです。
やっと病気から解放されたんだから、そっちでのんびり過ごしてほしい。
久々の父(私の祖父)との再会。
皆もいつかそっちに行く。
それまではまた頑張ろう。
生前、叔母に頼まれたから。
私はしっかりしなくては。
それが残された者の使命。
明日からまた頑張ろう。
ありがとう!をしている会員
いも。
akookaさん
まずはakookaさんが元気に動けているようでよかった。
叔母さま、幸せだったと思います。
やさしいakookaさんがいたから。
親戚友人に大事に思われていたんですね。
私は夫を亡くして事業を閉めました。
そしてガンが見つかりました。
大変なことはたくさんあるけど周りに支えられて生きてます。
幸せか不幸かって自分はそれしか知らないから比べられないもの。他人と比べてもしかたない。
私の人生は私のもの。
叔母さまはご自分の人生を全うされたんですね。
ご冥福をお祈りいたします。
2021-04-19 09:18:15
akooka
ありがとうございます。
私は元気です。頑張って生きています。
叔母は多少我儘だったようですが人の好さからか
参列者は多かったように感じました。
コロナの関係で香典だけいただく形となってしまいましたが。
火葬を待つ間に叔母の友人方とお話していたのですが、
叔母の我儘に付き合わされてどれだけ苦労したかというのを
自慢するように嬉々として話していて笑いが絶えなくて、
叔母がどれだけ愛されていたのかが分かって、
個人的に、とても良い葬儀になったなぁと感じました。
自分の時もこうであってほしいなぁと強く思いました。
ガンって色々なものを奪っていきますよね。
理不尽に。
ガンになると、人生って何か、生きる事とは何か、何のために生きるのか、
必ず考える事になると思います。
考えても答えなんか見つからなくて、
でも生きたくて。
だからどうせ死ぬまで生きるなら、
せめて楽しく生きたい。
笑って生きたい。
自分の人生を全うしたと胸を張って言えるように
生きたいですね。
2021-04-27 21:10:42