キャンサーペアレンツとは
こどもをもつがん患者の方が、同じ境遇の方を探してつながり、仲間になることができるコミュニティサイトです。
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新着日記
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かあ (47)
鳥取県 / 乳がん / ステージ3
数カ月たってわかったこと
2026年2月に告知を受け約半年。 息子は私のことをクソ○バアからゾンビと言って目を合わせなくなった。 片胸ない上、放射線皮膚炎で皮がむけているから。 まだ寒さ残る2月末、生検のアザを見られて 「母ちゃんガンだろ。ガンなら一緒に○のうな」と真剣に優しく言われた。 約2ヶ月息子と私から笑顔が消えた。 そんな息子も半年持たつと笑顔が戻り、母をゾンビと言えるようになった。 がんは特別になる病気と思っていた。 がんは私が何か悪い行いをしたからなったと思っていた。 がんは非日常だと思っていた。 がんは60才過ぎてからなると思っていた。 すべて違っていた。がんはだれでも進化の過程でエラーが起こりなってしまう、日常的な病だった。 年金をもらうようになってからなる病気でなかった。働き盛り、子育て盛りでもなる。何かの罰でなったわけではない。 がんは日常に当たり前にある。そしてがん治療はお金がかかる。 昨日から抗がん剤の副作用で味覚がない。甘そうなもの。酸っぱそうは若干わかる。作った肉じゃがはいも本来の味しかしなかった。コロナ罹患の時と一緒。味覚迷子。 がん治療は長くつらい症状も多い。そして何より家族、友人、医療従事者の方など生かされていることを知った。 立場も部位もステージ、サブタイプも違うので、100%がん患者さんの苦しみは理解できないものだということも知っておかないといけない。 人それぞれの苦しみと悟りがあるものだとわかった。 人それぞれのがんの受け止め方。生き方があると半年たってわかった。
2026年08月07日12
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かあ (47)
鳥取県 / 乳がん / ステージ3
格安夏休みの旅
日々手足の色素沈着と倦怠感ふらつきがあるが、今日は歩ける。 ありがたい。金曜は歩けなかったから。血液検査もLマークが目立つ 私が車ならバッテリーあがったり、ワイパーゴム切れてたり、エンジンオイル変えたり、きっと車検は通らないボディだろうなと思う。 娘の幼稚園でコロナが流行りはじめた為、お休みをした。いつもなら20分で車でいけるイオンにわざわざ駅からバスで向かう。 「ぶらり途中下車の旅」気分 いつものイオンなのにバスの時間を気にしたり旅気分 片道350円の旅 フィナーレは花火 去年の残りでしけってなかなかつかないことも夏の思い出 今日動けたボディに感謝 子どもたちを笑顔にしてやれることができた 私がそう思ったように、2026年の夏母といた夏休みを大人になってから思い出してほしい 思い出は心の財産だから
2026年08月04日11
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いも。 (59)
徳島県 / 卵巣がん / ステージ2
ライブ
がんになって 再発したり ストマになったり 効く抗がん剤がなかったり もうダメかなーって 何度思っただろう 当時、私との忘れない楽しい思い出を残そうと子どもの好きなライブに一緒に行くことに。 周りが立ってノッてるのに私だけ抗がん剤中でヴィックでしんどくて座ったな。 あれから7年。 子どもは自分でそれぞれ好きなライブに参加するようになった。 たまに母さんも行く?と聞いてくれる。←財布ね 子どもに行ったほうがいい、と背中を押され ひとりで好きなライブに参加するようになった。 ライブは好き🩷 非日常 高揚感 熱気 そして 今日までいきて、今日来てくれてありがとう! 生きてりゃいろんなことがあるけどまた会おう! その言葉が嬉しい なかなか褒めてもらえる機会ないもの。 たまには褒め言葉が欲しい。 また会いにいけるように 日々を積み重ねていこう🩷
2026年08月02日2
23
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かあ (47)
鳥取県 / 乳がん / ステージ3
実感
木曜日あたりから、頭がくらくらして倦怠感がつよくなっていた。ずっと水様便がつづいていた。 放射線治療が終わり、照射部分はどす黒く焦げ、皮がむけている。 指も色素沈着し始めて、がん治療をしている体感がある。3クール目に入ったS1タイホウ。 私の場合、放射線治療とホルモン治療、抗がん剤を一気に始めた。 ホルモン治療か抗がん剤の副作用か判断がつかない。 金曜限界がきた。 娘のお迎えに行くが、頭のふらつき倦怠感が強く真っ直ぐ歩けず、車の運転も20キロ以上出せなかった。いったものの帰りが運転できそうにない。 体調不良は周りに伝わっていたようで、見知らぬ保護者さんが優しく声をかけてくださった。 幼稚園から帰ることができなかった。立つこと歩くことが困難だった。会議中の主人に来てもらった。 帰宅し、恐れていためまいが起きてしまった。病院に行くことを渋ったが周りのすすめで救急外来で処置していただいた。 情けなかった。家族の役割ができない自分。情けなくて謝っていた。1日半寝込んだ。 戦争体験の方の動画を観てこれくらいで辛いと言ってはいけないと言い聞かせていた。しかし、身体が弱ると、私がん患者でがん治療してることを突きつけられる。 迎えに来てくれた主人、病院に連れて行ってくれた姉。めまいどめを処置してくださった病院の方。ありがとうございます。私は生かされていると実感する。 情けない涙とありがたい涙が交じった。がんは私にいろんな感情を教えてくれ続けている。 髪は丸刈り、身体も温泉に入れない自慢できない母親だけど、娘が優しい。どうか神様娘は私と同じ病気にしないで下さい🙏
2026年08月01日15
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35歳でのがん告知、最後の仕事
闘病中に感じた孤独感
2015年2月、35歳のときに「ステージ4のがん」の告知を受けました。頭が真っ白になり、何も考えることができませんでした。家族や友人、職場の同僚などの支えで日常生活に戻ったものの、大きな孤独感を抱えながら、手探りの日々でした。
同世代のがん体験者が周囲にいなかった。相談できる人がいなかった。しかし、小さなお子さんを持つがん患者が毎年約6万人(2015年国立がん研究センター調べ)増え続けている事実を目の当たりにし、「孤独を感じながら闘病しているのは、自分だけではないはず」と、子どもをもつがん患者でつながれる「キャンサーペアレンツ」を2016年4月に立ち上げました。
現在も、週に一度の通院による抗がん剤治療を続けながら、会社ではたらきながら、キャンサーペアレンツの活動を平行して進めています。いつどうなるかわからない状況の中、最後の仕事と位置づけて取り組んでいます。
キャンサーペアレンツ起案者
西口洋平(ぐっち) 2016年4月