ぴくるす
自己紹介
2歳男子を育てながらの治療です。
上行結腸癌は手術にて根治。リンパ節12/25転移があったため、抗癌剤治療中です。
子供が成人するまでは元気でいたいので、今は副作用と付き合いながらXerox療法にしがみついています。
6/30お薬が合わないようでTS1へ変薬。
応援している会員は20人です
応援している会員
年齢
43
性別
女性
住まい
香川県
病種(大区分)
消化管
病種(小区分)
大腸がん
病種(備考)
ステージ
ステージ3
告知年月日
2019年04月14日
通院・入院先の病院
日本赤十字病院
現在の状況
通院治療中
治療歴
職業
その他
配偶者
有り
こども
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投稿
今日の気分
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皆さんから教えられたこと
4月末から保育園の申請をして、未だ待機。 悲観ばかり、現状を嘆いてばかりでした。 言わなければいけない事、伝えて残さなければいけない事がたくさんありますね。 私はとても弱虫で伝える勇気がなかったです。 今日、高松市ホームページ内の市長さんへの提言フォームでメールを送ったり、高松市の子育て支援課にメールをしてみました。 読まれはしても、何にも先に進まないかもしれないけど、私は一つ進んだ気がします。一つ大人になった、じゃないけど、一つ勇気を出せた。 CPを知ってよかった。設立者の方には本当に感謝です。 でも1番は、コメントでアドバイスしてくださる方や共感してくださる方々。 心強さを感じます。 あんまり喜ばしい仲間じゃないけど、仲間って凄い力があるんだなと感じました。 みなさんありがとうございます!
作成日 : 2017-07-05 10:20:43
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4クール目 さようならXerox療法 はじめましてTS1
6/30 4クール目 前回からゼローダを合計4週間休薬。おかげで手は治って来た。 しかし主治医に薬変えましょうかと言われる。 休薬を長くするよりは定期的に薬を入れる事が重要のようで。 Ts1を飲むことになる。 ゼローダ…色々揃えたのに… 化学療法室で点滴ももう終わり。 末梢神経障害とさようなら出来るのは正直嬉しい。 一番の悩みの手足症候群、Ts1だと軽いとのこと。その代わり色素沈着や吐き気、下痢、口内炎で悩むかもしれない。 主治医は若い先生なんだけど、手足症候群のせいで家事もまともにできず子供の世話も辛いと嘆いたことがあり、それを真剣に考えて色々調べた上での薬変更の提案だったと看護師さんから聞いた。ありがた過ぎて涙が出た。 昨日の都市伝説のあばれる君風に言うと 信頼、せざるを得ません。です。 と言うわけで 4週間の投薬、2週間の休薬合計6週間を1クールとし、6クール受けないといけないけど前半のXerox3クール分を配慮し、当初の予定の秋まで、飲み続ける事に決まりました。 どんな副作用出てくるかな…
作成日 : 2017-07-01 08:55:18
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3クール目 6/9 と副作用のために用意した物
副作用が酷い。明らかに薬が溜まってきてると感じる。末梢神経障害の回復がどんどを伸びる。 3クール目、手の荒れが回復しないので飲み薬のゼローダは無しになる。点滴のみ。 点滴治療の日から5日間、今回から母が応援に来てくれることになった。 妹も家に帰り手が空いたのと、おばあちゃんが私の代わりに文句を言ったらしい。 おばあちゃんありがとう。口下手で甘え下手な長女にナイスサポート。 1〜3クールを経て、副作用に負けないよう用意した物 【美白用化粧水、乳液、美容液】 ・エリクシールかHAKUか迷ったけどエリクシールに。エリクシールは美白+アンチエイジング、HAKUは美白に特化しているらしい。 【美白用パック】 ・末梢神経障害が落ち着く3週間目からパックを毎日顔に貼る。 【ハイチオールCホワイティア】 ・必死 【衣類】 ・ストンとしたワンピースやゴムのスカートパンツ。トイレに駆け込むことが多いし、なんせ手が割れてる時はパンツ降ろすのも痛いため。手袋してても痛い。 【スニーカー】 ・ヒールは封印。スタンスミスの真っ白スニーカー、履き心地もよく歩きやすい。点滴の日、帰りは足がもつれそうになるし足の裏の皮膚も割れてくる。スニーカーが安心。 【手袋】 ・常に木綿の手袋をしてます。保湿剤やステロイドのマイザー塗ったり手が乾いていることがないので。あと布一枚あれば刺激も少なく感じ痛みが軽減されます。 ・家事炊事用にゴム手袋。木手袋綿+ゴム手袋。ただしとことん不器用になる。 ・紫外線対策に手袋。木綿手袋+手袋。 ・薄いゴム手袋も用意。お風呂で自分の髪の毛やタオルを素手で触れないので。常にゴム手袋でお風呂に入る。 【靴下】 ・シルク製800円とか木綿製1000円とか買ってみたけど、5本指の木綿が1番涼しい。暑がりなので靴下すぐ脱ぐけど、保湿剤塗ってる時は履く。 【ストール、帽子、日傘】 ・紫外線対策に。 【タッチペン】 ・手袋してるのでiPhoneやiPad触る時に使います。指紋認証は使えなくなる。指紋消えるから。T^T 色素沈着で黒くなった顔や手足は美白で保つ。 手の荒れは手袋などで常にガードする。 倦怠感等でふらつきやすいので、スニーカーで足場の安定。 木綿の手袋は、薬局行ってゴム手袋のコーナーによくあります。ゴム手袋の下に付ける薄い木綿手袋。医療用の手袋はしっかりしすぎて逆に痛い。
作成日 : 2017-07-01 08:27:28
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2クール目 5/12
手足症候群で手が痛くて痛くて。 でも上の写真の手はまだマシな方だと後から思う。汚いけどまだ綺麗。笑 2クール前に一度、手に塗るステロイドもらいに外来に行き、 救急時に造影剤なしのMRIで大腸がんを見抜いて造影剤のMRI撮ろうと諭してくれた先生に当たる。 40代くらいの先生で、本当に優しい先生でした。 手の荒れや顔の色素沈着をよく見てくれて、2クール目はゼローダ減らしてもらいなさいって言ってくれました。 診察終わって救急の時のお礼が言えて本当に良かった。この先生いなかったら私帰されてた。小腸破裂してた。腫瘍も腸壁ギリギリだったから飛び出してたかも。私の運命を分けた人です。 そして2クール目、手の荒れがひどいので、さらに1週間休薬になる。 この日は岡山の友達が来てくれて子供の面倒を見てくれていた。 私は香川県なので、瀬戸大橋渡ってまで来てくれた。ありがとう、本当にありがとう。助かります。 子供は一時保育に行ってるのだけど、人数制限もあるし、前月に予約しないと預けれないため5月は大変だった。 このままでは色々と大変なので、治療の間は保育園に入れようと思い市役所へ登録しに行く。 条件が厳しくて、入れそうになかったので主治医に一筆書いてもらう。 しかし、未だ入れず。待機児童が多いそうで。 愚痴ですが、私のような副作用でゲーゲー言ってトイレで過ごす時間も多いし倦怠感でろくに動けず点滴したところは血管が炎症してしまいボコッと腫れて触れられるだけで痛いのに、子供を見てくれる所がないとはどういうことか。 地域は助けてくれないのか。もっと重症な患者じゃないと預かってくれないのか。 前に保育園に入れないお母さんが、私が死ねば子供を預かってくれるのかみたいなのが取り上げられてて、悲しくなったが、 今まさに私も思う。 私が死ねば入れるのか、もしくは余命宣告でもされれば受け入れてくれるのか。 これくらいで死ぬとか余命宣告とか言ってはいけないのは良く分かる。 でも、見放されたようなとても辛い。 「あなたはたいした事ないんだから、もっと大変な人はたくさんいるんだから」 と言われている気がする。 2歳なんてね、聞き分けてくれないんですよ。 まま痛い痛いよ~と言ったってね、飛びついてくるんですよ。痺れてる腕にぶら下がってきたり、吐き気で横になってる所馬乗りにされたり髪の毛引っ張って起こそうとしてきたり。 悲鳴を上げながら逃げて布団にかくれたって、彼からしたらそれはかくれんぼなんですよ。 手を挙げてしまうこともある。私は立派な大人じゃないから。 智尋は全く悪くないのに、私の体調で怒られたり泣いたりしてる。 本当に申し訳ない。本当にごめんなさい。こんなママでごめんね。
作成日 : 2017-06-29 13:39:42
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術後イレウス 4/17
退院からXerox療法始まるまでに、術後腸閉塞にかかり救急車呼びました。 17時頃、夕方ごはんを作っていて、立ちっぱなしで疲れたな~なんて椅子に座った途端おなかに激痛が。 トイレへ駆け込み出すもの出しても激痛。ゴムのスカートはいていたので、ゴムがきついのかなと思いスカートを脱いだら・・・ 体験したことのない激しい痛み。その場で倒れこみ、脂汗と震える手で119番。 状況や名前や住所言うのも必至で、智尋は私の異様な姿に怯えて泣いていました。 電話切ったあと、急いでスカート履いて日赤の診察券と財布と携帯をバッグに入れて せまい廊下で倒れてました。 救急隊員さんたちが来るまでずっと「ううううう」とか「あああああ」とか唸っていたら救急車のサイレンの音が。 なんだかんだで右下の小腸が捻じれてうっ血していたようです。 痛み止めの点滴を18時に打ちました。痛み止め切れて痛むようなら緊急手術、痛みがなくても翌朝のMRIでまだ小腸捻じれてたら緊急手術とのこと。 手術も嫌だったんですが何よりまた子供と離れるのが嫌で嫌で本当に嫌で。 夜中痛みも発生せず、翌朝のMRIでなんと… 自力で治ってたみたいです。 え、捻じれって勝手に治るもんなんですか?って先生に聞いたら 「さ~・・・基本は治らないですけどね」 と言われました。 本当に嫌だったから小腸が頑張ってくれたのかな、よく分かりませんが3日の経過観察入院で終わりました。 その間、子供は風邪をひいていて、私の実家には新生児もいるし義母とは衝突してしまいで預かってもらえる所がなく、 そしたら幼馴染宅(小6、小3、小1子供有)が預かってくれました。 衝突は色々と良くない…わかっちゃいるけど意地張ってしまって…。大人にならなきゃと反省。 反省と言いながらまだ意地張ってる今現在。
作成日 : 2017-06-29 13:14:47
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1クール目 4/21 Xerox療法
初めての事だし、弱冠楽しみにしてた私。 初日という事で夫が休みを取ってくれて、子供と3人で病院へ行く。 オキサリプラチン点滴中から腕の痺れを感じる。 途中トイレに行ったのだけど、トイレのドアノブ触って悲鳴をあげる。 病院のお会計でびっくりする。45,000円ほど。 帰りにカレーが食べたくなりココイチへ。 常温のお茶を無意識に飲みその場で吐き出す。ココイチのドレッシングも触れず、サラダは食べれなかった。 車に乗ってる途中、顔面の筋肉が痺れ出す。まぶたが勝手に閉じてくる。口がすぼんでくる。 薬を取りに薬局へ行き会計に再度びっくりする。15,000円ほど。 1クール目は朝夜ゼローダ5錠づつ、計10錠。 点滴から4日は吐き気どめを飲むので便秘になる。それ以降はゼローダのお陰で水便。トイレに何回も駆け込む。 手足の痺れは1週間続く。 寒冷刺激も1週間。 常温の物を飲み込めるまで2週間かかる。 スーパーを一周回れずカートの手すりにもたれかかって休む事が多い。 体重が2キロ落ちる。 二週間目、風邪をひく。 鼻水がすごいのでかんでいたら、鼻の下が茶紫になる。色素沈着も進む。 手足顔がどす黒くなる。 三週間目の休薬日で手が荒れ始める。 手の硬化、ひび割れ、むくみ、痛み、全て味わう。 倦怠感と、まともに家事が出来ない事にイライラする。 上の写真は安心しきった寝顔。ちょうど点滴後のためかなり痛むのを我慢した。まぁこの後すぐに腕外したけど。笑
作成日 : 2017-06-28 13:21:37
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覚書 その後
4/14 夫と腫瘍の病理検査の結果を聞きに行く 上行結腸ガン ステージ3b リンパ節12/25転移 臓器に転移はなし なので根治、ただしXerox療法は受けた方がいいので1週間後から始めましょうとのこと。 看護師さんが話をたくさん聞いてくれた。 私と一緒に泣いてくれた。 不安しかない私に沢山希望があるよと言ってくれた。 その後、点滴で通院のたびに待ち合いで声をかけてくれる。 副作用を頑張れる一つの理由は、この看護師さんや気を使いまくってくれる薬剤師さんや、他にもたくさんの人が頑張れと言ってくれるから。期待されると頑張る単細胞な私。笑 退院後は私のお婆ちゃんを呼んでご飯の支度やちひろを見てもらう。 80歳なのに…頼られて嬉しい反面大変だったと思う。足も不自由なのに。 ごめんね、ありがとうお婆ちゃん。 実母は、緊急手術から一度もお見舞いや自宅には来てくれなかった。 電話も一度きり。 何故かと言うと、妹の2人目の出産とかぶっていたから。 私の退院後4/6に無事産まれる。 その後母は、仕事をしながら新生児の世話から、上の2歳女子の世話やらで多忙に過ごす。 理解はしてる。母には一度きりの電話の時に妹についててね、大変やけど頑張って。と言った。 不安な時や寂しい時、お母さん…と泣いた日も多々ある。 でも私お姉ちゃんだし出産には勝てんわーと割り切ってたし、妹大好きだし、ほぼ毎日妹に連絡してたし。まだ産まれんのかー?って。心待ちにしてた出産、私も手伝いに行く予定だった。 でも本当は寂しかった。 自分の身体と見えない未来が怖かった。 出産という素晴らしいイベントに参加したかった。お手伝いして喜びを分かち合いたかった。 心細さと無念に1人泣き。 4/21 いよいよXerox療法1クルー目が始まる。
作成日 : 2017-06-27 19:44:09
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覚書 入院、退院
術後、そのまま入院。 キレイな病棟に若い看護師さんたち。 天然な看護師さんや、明らかに風邪で体調不良な看護師さん、笑顔でスパルタな美人のリハビリの先生。 【思い出】 術後、次の日にはリハビリの先生来てトイレまで歩いてみましょうと。 起きる事で精一杯で、吐き気とめまいでそのままダウンして点滴に吐き気どめを入れてもらう。 というか吐き気どめ用意されてた笑 主治医に摘出した腫瘍は見た目が悪性ぽいと言われる。ガンの可能性有りと教えられる。怖くて泣いた。 友達にライン等で手術と入院を報告したけど、誰もエイプリルフールやろ!って笑わなかった。 子供はまだ「パパ」「ママ」くらいしか喋れない。でもあの子は我慢していた。 病室では泣かない。病院出て駐車場で泣いてたらしい。 私にお水をくんでくれたり、ストローさしてくれたり、車椅子引いてくれたり。まだ2歳なのに。優しさに泣く。 病室で子供が40度の熱を出す。抱っこしたら明らかに熱かった。やっぱその辺はママの私がいち早く気づける事に自信を持つ。 いきなり環境も変わって我慢もして、ストレスからの発熱かなー?とみんなで話す。 日曜だったけど救急で診てくれる事になり、扁桃腺が腫れるかもしれないのでとクスリを貰うが薬嫌いの子供は飲まなかった。 カーキのコートとミニオンのリュック背負ったら病院に行ってママに会うというルーチンだったため、義母の家に行く途中大暴れの大泣きをしたらしい。病院に行かないから。1日会ってなかったため。 義母と衝突する。子供を暫く預かる、退院後も預かるからゆっくり療養してとの申し出を断ったから。 私は子供視点で考えた。急にママと離されて我慢して高熱も出してそれでも私に会ったら笑顔でぐずりもせず、バイバイの時は私がぐずって泣くくらいなのに。ちょっとくらいシンドくても、子供の側に居てあげたい。 義母は私の体視点。傷口開いたらどうするの、ゆっくり休まないとダメ、たったの2週間やないの!と。それはゆきちゃんのワガママやで!とも怒られた。 なんと言われようが、ワガママだろうが、子供がさみしい思いしてるのに無理をしない親がいるだろうか。 私に涙を見せなかった2歳児男子、彼は十分に頑張った。本当に頑張った。オッパイ大好き甘えん坊が強制断乳、しかもママがいない。 彼はまだ喋れない。寂しいとか言葉に出きない。だからこそ汲んであげたい。 傷口が開くなら退院許可は出ない。動くことがリハビリだし。 この一件はずっと心に残ってる。蟠りとして。暫くはギスギスするんだろうな…。 子供は結局退院日含め2日ほど、県外の義母宅へ預けることに。 そして4/5、桜の中を退院。 帰宅した我が家のベランダでいつの間にか色んな花が咲いていた。 夫が帰って来た後、夜7時ごろから義母宅へちひろ(子供)を迎えに行く。 私は車の中で待っていたのだけど、真っ暗な車内で私を見つけたのか「まま!」と嬉しそうに叫んだちひろを見てまた涙。
作成日 : 2017-06-27 11:09:19
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覚書 3月30日 緊急手術
2018年の年末から年明けにかけて胃の辺りに痛み 近所の病院にてMRIや胃カメラ検査で慢性胃炎と診断される。 胃炎にしては痛みもひどく痛み止めの点滴も効果のない日があった。 氷食症がひどく常に氷を食べていたので、同じ病院に行き血液検査 極度の貧血のため薬を処方される 2019年3月30日 昼ごはんを食べた後、激しい腹痛と嘔吐 赤い水便 (子供が一時保育だったので私はカップラーメンを食べた。カップラーメンが辛い系だったので、食当たりと赤い水便はラーメンのスープだと思った。) 迎えの時間16時になっても痛みは引かず。しかし身内は全員県外、私に友達もいないため決死の思いで迎えに行く。今思えば車の運転は危なかった。でも仕方なかった。 19時、夫に早めに帰って来てもらい、子供を任せる。 動かないほど痛みが強まる。5分〜15分痛みが和らぎ、その後激痛が来る。それをずっと繰り返して流石に耐えるのが辛くなる。 夜間病院を考える。 23時、痛みに耐えタクシーで夜間病院に行く。閉院だった。 タクシーのおじさんが見兼ねて別の夜間救急を探してくれるも、病状を伝えたら断られた。なので自宅へ泣きながら帰った。 (症状を伝えてもお医者様が救急ではないと判断されたんだろうな、と思った。) すごく心細く、明日の朝またいつもの病院に行こうと考えた。 3月31日 0時過ぎ、痛みは変わらず、疲れと眠気で意識が朦朧としていた。夫が日赤に連絡してくれ、受け入れてくれるとの事で旦那のおんぶで車に乗り込む。子供は寝ていたところを起こされ一緒に車に。 救急車を呼ぶべきだったかもしれない。 3時ごろ MRI、血液検査、触診などなどの結果異常なしと言われる。 痛み止めの点滴も効いていたし、普通に動けていたので、点滴が終われば帰ってもいいと言われる。 これは胃炎の痛みなんですか?と何となく聞いてみた。多分この言葉で帰ってよしと判断した救急の先生も気になったのか、ほかの先生と相談しだす。 胃のあたりが痛いのに、なぜか右下腹部をエコー検査しだす。腹水が溜まってるとかなんとか。胃だと思い込んでいたので意味のわからない検査に疲れて早く帰りたくなった。 4時 外科の先生が突然やってくる。 造影剤を使ってMRIを撮りましょうと言われるが、まだ授乳中だった私は断った。 外科の先生が怖い顔で生死に関わるかもしれないので。と静かに言われて承諾。 現実味が全くなく、元気で歩けるのに車椅子で移動される。初めて車椅子に乗った。 5時 夫と抱っこで寝ている子供と一緒に検査結果を聞く。 上行結腸に腫瘍がありそこから腸閉塞を起こし、小腸が破裂寸前とのこと。 腹部右下の腹水らしきものは血のようで、もう血が漏れてたらしい。 一気に怖くなるが自分の体の事とまだ理解できなかった。 6時 緊急手術 5時から6時にかけて外科の先生2人、麻酔の先生、救急の先生と入れ替わり立ち代り忙しかった。また親に電話もした。お父さんは出たがお母さんは起きなかった。 もし術中に死んだらと怖くなった。 車椅子で手術室に入る。子供がさすがにママ〜と泣いた。私も泣きそうだった。 全身麻酔の前に鼻からチューブ通すのが嫌でたまらなかった。胃カメラでこりごりなのにーと時計を見ながらオエッてしてたら意識がなくなった。6時45分頃だった思う。それか45秒。 9時 麻酔の先生に、はい!起きてくださーいと肩を叩かれて覚醒。 びっくりするほどの痛み。 やばい、痛い、寒い、痛いって呻いてたら背中に入ってるチューブの痛み止めを増やしてくれたようでまた意識を失う。 夫が集中治療室に来てくれたのを覚えてる。その時には私は口についた酸素送るマスク?が邪魔でのけようとしたらほっぺがヨダレだらけだったって言うどうでもいい事を覚えてる。笑 とりあえず夫は安心した顔をしていた。
作成日 : 2017-06-26 23:08:05