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なびころ(46)
大阪府 / 急性骨髄性白血病 / ステージ4日記
最後の日記
これは最後の日記です。 代理でアップしてもらっています。 2017年より闘病していましたが、治療関連性骨髄異形成症候群により、天に召されましたので、 投稿します。 2017年に急性前骨髄球性白血病を患い、妹からキャンサーペアレンツを知りました。 記録のために日記をあげていましたが、 オフ会に参加したり、つながり友達もできました。 ここに書くときは本音を書いていました。 そのままの自分が出せるっていいですね! その後、抗がん剤治療が原因で、別の血液がんを 発症しました。普通は高齢者か、5年くらい経ってから出てくるもののようです。 がん抑制遺伝子が働いてないのではないか? ということでした。 抗がん剤治療が原因だったので、最後の方は治療が好きじゃなくって(苦笑) もう疲れちゃいました(;_;) みなさんは、生きてください。 まだこっちに来なくていいですよ。 でも来てしまったら待ってます。 お友だちになってくださいね それでは、また ありがとうございました(*'▽'*) ※5/13に天に召されました。
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まっちゃき(56)
東京都 / 肝細胞がん / ステージ4日記
ヤツは今頃どこに行った?
ヤツは今頃どこにいるのかな? きっとまた新しい道を切り開こうと動き出してるんだろう。 思えば2015年あたりはがん患者業界?は大きく動いた年代だったような気がする。 この時期から動き出したのは現役バリバリのがん患者が主体となって「自ら動く」という活動がいくつか立ち上がった頃だった。 従来の患者会とかとは違うものがいくつか立ち上がった。ものすごい知識を持つためにアカデミックな活動をする団体、そしてここのように子どもを持つ親でもある患者が集う場としての団体、僕は「これからがんになる「かもしれない)人に向けて発信するロックンロールショーのイベントをやりはじめようと決意した。 それぞれ方向は違うが、お互いかなりの状況に置かれた「現役がん患者」という共通項があった。 2015年、僕はヤツと出会った。その頃までの僕は何度も死にかけた後遺症で、やっと歩けるようになったが、ヤツより5年以上の病人特有の負け犬根性からやっと抜け出した頃だった。 まだキャンサーペアレンツをどうしていくのか?構想が形になる前だったかな? 東京駅近くの喫茶店で話して、僕はNPO法人とかをまずは目指したら?と言ったらヤツは NPOじゃない形を目指したい!とハッキリ言った。「ちゃんとマネタイズ出来るようにした形にしたい」 簡単に言えば「ちゃんと食っていけるようなものにしたい。寄付とかありきじゃなく」ってところだ。 そりゃいい事じゃないか!と僕は応援しようと決めた。ただ、一抹の不安を感じていたのも事実だ。 それは何か? その頃僕はがんになって6年目、ヤツより現役がん患者としては歴史を積んでいた。 僕はただただ自分の生きがいを見つけたい、そしてこの患者としての経験が1番役立つのは「これからがんになる(かもしれない)人」に伝える事で、それを自分も楽しんじゃえという勢いだけで採算なんか考えないでやればいいや… と思っていたからそんなにプレッシャーはないはずだったけど、それでも考え込んだのは「自分が突っ走れば突っ走るほど、自分に何かあった時にこれは続いていくのだろうか?」ということだった。 「自分がいなくなっても何とかなるようにしなきゃね」 そんな話をした。僕もわかってたんだけど、そう思ったら前に進まないし、足かせになるだけだってこと。 ただ、僕はその頃ヤツより危ない状況だったから、老婆心ながらあえてその事は頭のすみに覚えて欲しくて言ったのをよく覚えている。 そんな僕の心配をよそに、ヤツは走り出した。そのエネルギーはそれこそ「生きる」を体現していて、鬼気迫る勢いだった。 たまに顔を合わすと「どや?やっとるかい?」わしもやっとるで〜みたいな感じだった。 ヤツに会うといつも「僕ももっとやらなきゃ」と刺激を受けたものだ。 ヤツが頑張れば頑張るほど僕はヤツとは違う形で頑張ろうとますますふざけたイベントをハイペースで続けられた。 今年に入ってヤツもこれから先に続いていけることを視野に入れて動いているのを感じていた。 ヤツは今、新しい道を切り開こうとどこかに行ったようだ。 今、みんながどうするか?ニヤニヤして見てるんじゃないかな? 僕は親としてはかなり変わった考えでいるので、ドン引きされると思い普段はあまり投稿しない。 ただ、ヤツがどこかから見てるんだと思ったので気の向くままに書いてみた。 悲しむのは誰でも出来る。その悲しみを糧に「自分はどう動くのか?」が大切なんじゃないかな? 今こそ皆さんがこれからどうアクションを起こすのか? ヤツが切り開いたこの道の先を、どうやってこの先切り開いていくのか? ここから皆さんが「主体的」にどう動くか? 真価が問われるのではないかと僕は思っています。ロックンロール。 ※僕は普段、自分なりの対案が浮かばない政治的なことと、人の訃報に関しては書かないのですがこの何日かどうしても書かねばと思って書かせていただきました。 これをどこに投稿すべきか?についてもいろいろ悩んだのですが、ヤツが1番目にしそうなここでと思い拙い文章ですんません。 長文失礼しました。不適切でしたら削除してください。
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k00ji_cancersurfer(40)
新潟県 / その他 / ステージ3日記
西口 洋平 さんへ
【訃報】 悲しいお知らせをこの度は綴らせて下さい。 私はInstagramをメインSNSとして利用している他、「キャンサーペアレンツ」という「子供を持つがん患者と繋がろう」というコンセプトとの子育て世代のがん患者の交流の場として親しまれているSNSサイトでブログを執筆させて頂いておりました。 (以下朝日新聞より抜粋) そんな一般社団法人「キャンサーペアレンツ」の代表理事で、胆管がんをわずらっていた西口洋平さんが8日、40歳で死去した。葬儀・告別式は親族で行った。 2015年、人材会社の営業マンだった35歳のとき、ステージ4の胆管がんで完治は難しいと告げられた。6歳の娘にどう伝えれば良いか悩み、仕事、お金など不安は尽きなかったが、同じ年代や立場の人とつながれず、孤独だった。 翌年4月、インターネット上で子どもを持つがん患者がつながるサイト「キャンサーペアレンツ」を開設。その後、一般社団法人を設立し、抗がん剤などの治療を受けながら、ネット上や催しで交流の場を運営し、会員数は3600人を超えた。SNSなどでも発信をしつつ、企業や研究機関の調査への協力、「治療と仕事の両立」「がん教育」といったテーマでの講演など、活動の幅を広げた。 私が2月に出演した「がんノート」の次の回に出演されている姿、その他の番組でも、お元気そうにされてたので一昨日飛び込んで来たニュースにとても驚きました。 ついに訪れてしまったか、と悲しい気持ちになりました。 が、西口さんは、みんなに「行動を起こしてほしい」というメッセージをずっと発していたので、悲しんで何もしないよりも、悲しみを抱えながらも行動をすることを望んでいると思います。 私も今までと変わらずにチャレンジを続けることが、彼の意志を受け継ぐことにもつながるかなと思っています。 これからも「キャンサーペアレンツ」が続く限りブログの方も更新していきたいおもいます。 心よりご冥福をお祈りいたします。 今日は夜から出版社の方と「がん」をテーマにzoomを使用したオンラインインタビューの仕事があります。 どこか、気持ちの片隅に西口さんの意思を留めて次にも繋がるよう取組みたいと思います‼️?
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海翔の父さん(47)
宮城県 / 軟部肉腫(成人) / ステージ3日記
ありがとうございました
今後も子を持つがん患者のコミュニケーションという場所として、利用されると思います。西口さんありがとうございました
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とっしー(49)
茨城県 / 肝細胞がん / 寛解日記
いつかどこかで
ぐっちさんの訃報に接し、ただ驚きしかありませんでした。事務局さんからの投稿にコメントは入れさせていただきましたが、徐々に私の感情の波が落ち着きはじめたので、改めてぐっちさんに対する哀悼と感謝の日記を投稿させていただきます。 私は9月で発病後19年になります。もうすぐサバイバーとしての成人式を迎えます。 しかし、患者会活動を始めて4年ほどです。 病気直後から「この奇特な経験を活かしたい」と思っていました。しかし、当時は今ほど患者会などなく、さらには「がんは高齢者がかかる病気」「がん=死」というイメージが今以上に大きかったこともあり挫折しました。定年後の楽しみにやればいいかと考え、会社員生活を過ごしていました。 4年前の夏。仕事で外回り中に立ち寄ったコンビニである雑誌が目に留まりました。「ステージ4のがんと闘うお父さんの最後の仕事」そこにはステージ4の胆管がんと闘いながら「つながりは生きるチカラになる」という信念のもと子を持つがん患者がつながることができるSNSサービスを作った人の話でした。読んでいくうちに自分の中に「この人スゴい」そして「自分は何をやっているんだ」という2つの感情が芽生えました。 早速そのお父さんに会いに上京しました。見た目は病気を患っているように見えない。さらには話をすればするほど面白い。理路整然としながらユーモアがあって。単細胞な私にも丁寧に教えてくれました。そして登録。これが私の患者会活動への第一歩でした。名前は 『キャンサーペアレンツ』すでに登録されている方の日記を見たりして、様々な境遇の方がいるんだなぁと感じておりました。 そのうちオフ会などイベントなども始まるようになり、ネットでやり取りしといたサバイバー達とリアルに会って話すことができるようになりました。年齢も生活背景も病状も千差万別。でも「子持ちのがん患者」というキーワードで妙な連帯感が生まれました。ネット環境の発達もあるかもしれませんが、私のfacebook友達の7割はここで知り合った友達です。 患者会活動を地元茨城でもやってみようと決め、仕事までも変えました。 私が学校で「がん教育講演」を行うことが決まった時も真っ先に相談に行きました。自分が使っているスライドをそのまま提供いただき、とても感激しました。今私が使っている学校用スライドは彼のスライドをベースにしております。おかげさまで「シリアスなのに笑いがとれる」内容になっております。 5日の「キャンサーペアレンツ」のオンラインイベントにも参加させていただきましたが、体調の悪い中みんなに魂のメッセージを送ってくれました。 訃報に接したのは職場でした。 仕事中でしたが、涙が出てきました。 悲しみと感謝の念がごちゃごちゃに混ざった変な感情。しかし今は感謝しかありません。 朝日新聞デジタルに訃報の記事が載り、子供達に見せました。子供達は「グリーンルーペ」や「えほん発売記念パーティー」などで、ぐっちさんと会ったこともあるので、絶句していましたが「お父さんは立派な人と知り合い、活動ができて幸せだね。」と言われ、子供の成長に改めてキャンサーペアレンツに出会えたことに嬉しくなりました。 ぐっちさん、ありがとう。 多分「あっち」はたいそう盛り上がってるでしょうね。メンバーも濃そうですし、まさに「銀河系軍団」ですもんね(笑) 私も交ぜていただきたい思いもありますが、まだまだ「こっち」でやらなくてはいけないことが山積みなので、頑張らさせてください。 ぐっちさん、「いつかどこかで」会いましょう。
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でんでん(55)
愛知県 / 胆管がん / ステージ4日記
感謝
西口さんと同じ胆管がんステージ4で、集いでもお話ししたりして…CPでは、どのようにガンに向き合うか、幼い子供にどう伝えるのか、本当に勉強になり、心の支えでした。私は抗がん剤治療の後、手術することができましたが…同世代で同じがん…ただただご冥福をお祈りいたします。ゆっくりお休みください。
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みゆちゃん(54)
兵庫県 / 乳がん / ステージ4日記
ほんとにありがとうございました
不安で心細くてたまらなくなった時にこのサイトに出会い、皆さんが色々な状況でも頑張っておられる姿を見て本当に励まされました。 私自身文章が苦手で、なかなか投稿、コメントができないのですが、毎日、皆さんの投稿を読ませていただき、ありがとう、一緒に頑張ろう‥色々な気持ちでありがとうを押させていただいてます。 このような事しかなかなかできないのですが、また、反対にこの事で皆さんと繋がる事ができる、一人じゃないんだって、そのような場所を作ってくださった西口さんには感謝と尊敬の気持ちしかありません。 本当にありがとうございました。
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二茶(51)
山形県 / 胃がん / ステージ2日記
ご冥福をお祈りいたします
西口さんありがとうございました!
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ルミルミ(50)
愛知県 / 胃がん / ステージ3日記
残念です。
ぐっちさん 今はただただ残念です。 初めてPCを見た時、 ステージ4の方でPCを立ち上げ 頑張って生きてる人がいると 驚き嬉しかったのを覚えてます。 この PCで 顔も見たこともない がん患者さん達に励まされて 何とかやってこれました。 こんな素敵な出会いの場をありがとうございました。 そして、お疲れ様でした。
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Nakama(52)
沖縄県 / 大腸がん / ステージ4日記
残念…
グッチさんの訃報CPのメールで知りました。思えばいきなりのステージⅣを宣告され、5歳と1歳の息子たち、妻のことを考えると思考が回りませんでした。家族にそんな顔はできないし平然を装い治療へ向け主治医と打つ合わせをしましたが今ではなにをはなしたのかすら、覚えていません。そういう状況の中でふと見つけなんとなく加入したCP。でも同じ子育て世代、グッチさんとの年代も近いことに次第と落ち着き原発巣手術も納得して無事に乗り越えました。それからは長い抗がん剤生活。2年になりました。でも辛い時CPのメンバーが生きる力を与えてくれます。時には真面目に、時には楽しいお喋りで。この洋間場所を作ったステキなグッチさん。残された家族も気がかりだとは思いますが、よく頑張られました。これからはリラックスしてゆっくり休んでください?本当にありがとうございました。そしてこれからもこの会を見守っていてくださいね?
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ふかちゃん(63)
千葉県 / 肝細胞がん / 不明日記
御礼
西口さんの訃報を先程知りました。 滅茶苦茶、悲しいですし、淋しいです。 しかし、西口さんがこのようなHPを開設してくれ、自分が癌告知されてどん底でしたが、 皆様に励まされ、どんな薬より効きました。心より御礼申しあげると共に安らかにお眠り ください。本当に有難うございました。 西口さんが残してくれた、このサイトはずっと私の宝物です。
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ゆうこりん(61)
京都府 / 非ホジキンリンパ腫 / 寛解日記
ぐっちさん、感謝してます、ありがとう。
2年半前に癌になりました。それ以来、毎日毎日このサイトを見ています。 今はおかげ様で寛解し普通に仕事ができるようになりましたが必ず寝る前に見ているのは自分は1人ではないと実感したいからです。このサイトに出会えて本当に救われました。心から感謝です。 ありがとうございました。安らかに眠って下さい。
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しずりん(59)
長崎県 / 卵巣がん / ステージ1日記
みんな支えられました
ご自分の体調も良くない時もあったでしょうに、多くのがん患者の心と家族を支えていただきました。私の闘病中の支えはこのサイトと家族と病院でした。西口さんに感謝しかありません。
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おい(49)
北海道 / 鼻・耳・舌 / ステージ4日記
西口さん、ありがとうございました。
3年前、出産直後にがんと予後を告知され、自分が宇宙一不幸だと落ち込んでいましたが、新聞記事でCPを知り、登録すると、宇宙一不幸仲間を見つけることができました。共感し合い、励まされながら、一皮むけた自分を取り戻すことができました。 この場所を作って繋いでくれた西口さんに、本当に救われました。 今年の講演会で直接お礼を伝えることができましたが、改めて、本当に感謝しています。ありがとうございました。 ご親族の方、心よりご冥福をお祈りいたします。
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フォートレス(48)
北海道 / 肺がん / ステージ1日記
ありがとうございました
同年代という事もあり、勝手にがん友、だと思ってきました 会う事も話す事もありませんでしたが、あなたが繋げた思いは一緒だったかと、これからも繋がっていくことだと思います ありがとうございました 合掌
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まなたい(45)
静岡県 / 膣がん / ステージ2日記
ありがとうございました。
西口さん、ありがとうございました。 希少癌になり前も出口もわからず悩んでるときに光が見えた気がしました^_^ ご冥福をお祈りします。
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ふぁいとおかあさん(52)
大阪府 / 乳がん / ステージ4日記
ありがとう
西口さん、ありがとうございました。今、ネットニュースで訃報が届き、驚きました。 癌告知直後、病院のポスターでこちらを知り、時々胸の内を書き殴ることで心落ち着かせ、他の方のお話を聞いて参考にさせていただいておりました。このサイトで、どんなに心を支えてもらっていたことか。 西口さんの残されたものはこの先も多くの似た境遇の方の支えとなるでしょうね。 ありがとうございました。
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花(58)
東京都 / 乳がん / ステージ1日記
西口さん、ありがとうございました
訃報を知り、涙しております…。 尊敬しております。 感謝しております。 心からご冥福をお祈りします。 愛と感謝を送ります??
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みちこ(58)
愛媛県 / 乳がん / ステージ2日記
西口さん、ありがとう‼️
あなたの活動に参加できて幸せです。 あなたのダジャレが好きでした。 安らかに … … … ありがとうございました❗️