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あかまろ(45)
東京都 / 悪性骨腫瘍(骨肉腫、軟骨肉腫、ユーイング肉腫など) / 寛解日記
今日から入院
4回目のIE療法(イホマイド+エトポシド)のために今日から入院しました。 VDC療法と合わせると8回目の化学療法。 17回を予定しているので、ようやく折り返し地点が見えてきました? 入院前の血液検査で、やや赤血球が低め。 最近、立ちくらみが続いていたので、そんな気はしていましたが…? 胸部と腹部のレントゲン、心電図は問題なし。 術後1ヶ月で撮ったCTも、 「肉眼的に確認出来る異常はないです。」 とのこと。 先生の言い方に含みを感じるものの、目に見えない転移は否定出来ない疾患だけに、こういう表現になるのも仕方ないのかな?? 何はともあれ明日から5日間連続の抗がん剤スタートです! IE療法、苦手だけど頑張ります!!
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k00ji_cancersurfer(40)
新潟県 / その他 / ステージ3日記
庭のウッドデッキと、幻の新築工事図の思い出
小波ながら久しぶりのサーフィン後に庭にウッドデッキを敷きました?♂️? . ボロい賃貸ですが、庭が少しはまともになり娘は大喜びで飛び跳ねてました?✨ . おうち時間#ガーデニング#ウッドデッキ#庭いじり と、Instagramではここまでですが庭にウッドデッキを敷きたいという事にある思いがありました? https://www.instagram.com/cancer_surfer_73norigram 「思い?」「思い出?」どっちかな⁇? 私達家族には約4年前に、マイホーム建をてる計画があり、たまたま実家近くの新興住宅エリアに今は亡き父が所有していた宅地の土地に私と妻と娘、3人住めれば充分といった位の小さな家を建てる計画がありました? 叔父の大工さん、知人の建築士、材料費もロス材を使って極力お金を掛けず計画を進めていて、その間も意見の衝突など様々ありましたが図面完成!いざ着工‼︎のGOをかける直前に肺への転移が発覚しました…? そして家族との話し合いの結果の末、家を建てる計画は断念しました。。。? 叔父さん、建築士の方には大変ご迷惑をおかけしてしまいましたが、着工が始まる前にストップをかける事が出来て今思い返しても経済的にも助かったと感じます?? 建てる予定のマイホームにもウッドデッキを施工する予定があり、私としても楽しみの一つでした? しかし、そんなエピソードから約4年。安物で見栄えも良く無く、形も違えど今になってウッドデッキを庭に実現できた事に何だか感慨深さを感じます?✨ コロナ禍で新しい生活様式が求められる時代となりましたが、家族が健康で過ごせますよ〜に?✨
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アキコ(51)
海外 / 肺がん / ステージ4日記
検査
今日夫はCT検査があります。 1月からタグリッソをのみはじめ3月半ばの検査では大分小さくなったとよろこんで、その後すぐこちらではコロナのため外出禁止令が出て、夫はほとんど外に出ず気をつけて過ごしました。 あれから3ヶ月。体調には特に変化はないものの、ここ1ヶ月ほど軽めではあるけれど毎日咳が出ているのが気になって、本人になにか変化を感じないかきいてみるのですが、アレルギーかもしれないし、病気がみつかるずっと前もよく咳は出ていたし、と。 いろいろな可能性を考えてしまいとても不安ですが、子供達の手前なるべく普通に生活をおくらねばならず、それが大変でもあり助けにもなっています。 病気のこともコロナも、仕事も学校もどれもこれも先が見えないことばかりで、ついお酒を飲む日も頻繁になります。 子供達の学校も少しずつですが始まり気分も変わると思うので、もっとちゃんと調べ物などやりたいです。 とにかく今日の結果が心配です。
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なおこ(58)
神奈川県 / 膵臓がん / ステージ4日記
自粛解除後の娘
こんにちは。いつも目を通して下さる方、どうもありがとうございます。 コロナによる自粛も解除され、皆様のお子様も、学校が始まったことと思います。 うちの自閉症の娘は、カフェの運営や軽作業をする施設に通っているのですが、「自粛できるなら自粛を…」という要請もあり、夫が在宅勤務だったこともあって、1ヵ月以上休ませてしまいました。 先週から再び通い始めたのですが、久しぶりだったので極度の緊張で、選択制緘黙症(場面緘黙症)が出てしまい、声が出せなくなってしまいました~?? ご存じの方、いらっしゃるでしょうかー、特定の場所でだけ、声が出せなくなるのです。 うちの娘の場合、中学入学、高校(特別支援学校)入学…等、環境が変わる度に出てしまい、その都度、すごく焦ります…。 頷いたり筆談で意思表示はしているのですが…。 家に帰ると堰を切ったように喋りだし、いつもの明るい娘に戻るんですけどねー。 帰宅後の最近お気に入りの遊びは、ミュージカル制作です。娘が監督、演者は私、出演はクマとウサギのぬいぐるみで、変てこりんな即興ソングを熱唱したものを動画撮影して、それを見ては息もできないくらい笑ってます。 家にいるときと外では別人のようなのです。 うちの娘の場合、親亡き後は、人様にご厄介掛けずには生活できないので、気持ちが伝えられないのは本当に困るんだけど…と内心ヒヤヒヤしつつ、緘黙の子には無理強いは逆効果だそうで、どうしたらまた声を出してくれるのか…と悩む日々です。 皆様のお子様も、「学校始まって嬉しい!」という子が殆どかと思いますが、「ちょっとしんどいなー」というお子さんもいらっしゃるかもしれませんねー。 すべての子供達が、無理をせずに、辛いときは辛いと言いながら、それぞれの場所に戻って穏やかな日常を取り戻せるといいなーと祈っています。
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いも。(57)
徳島県 / 卵巣がん / ステージ2日記
ケモ6回目
おはようございます。 今日もよいお天気で暑くなるそう。 いよいよケモ6回目最終(ドセタキセル+カルボプラチン)です。 効いてくれると信じてます。 5回目から指先の痺れが気になるからちょっと警戒。どうにかどうにか。
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c-hiho(48)
東京都 / 乳がん / ステージ2日記
#shiningwoman
2020/06/07(日) 今日は写真を撮ってもらった。 写真家の殿村任香さんのアートプロジェクトに参加させてもらったのだ。 年末にネットで新聞記事を見かけてアクセスしたヒデカさんのSHINING WOMAN PROJECT。 これは彼女自身にがんが見つかり手術するその人生の中で見つけたプロジェクトで がんを経験した女性たちのポートレートを撮りインスタ上でどんどん発信しているものだ。 初めて見た時は、抗がん剤治療には慣れたものの手術に漠然とした不安を感じてたころで この写真の人たちはみんな、乗り越えたんだな。強いな。すごいな。と思った。 そしてこんなプロジェクトを一人で積み重ねているヒデカさんを すごくカッコイイな。うらやましいなと思った。 でもその後、自分が治療を続けて手術もして、 胸を失って傷を得たころに、またこの作品たちを見ていたら ちょっと違う気持ちを感じた。 みんな、そんな「戦ってる」とか「強い」とかってことじゃない。 ただ、「生きることをがんばってみた結果の今この顔」なんだと思った。 写っている女性たちはがんの種類も経過もこれからも、それぞれみんな違う。 だから何か同じ達成感を持っているわけではないのだけど ヒデカさんの言うところの「命の芯」に 「私は自分のがんに対峙した上で女として生きている」というプライドみたいなものはあるのかもしれない。 撮っている彼女もアートだとかテーマだとかいうより このプライドみたいなものを、伝える手段があるんだから伝えなくちゃと思ったんじゃないだろうか。 彼女をカッコイイとかうらやましいとか思った時の自分は、まだどこかヒトゴトだったのかもしれない。 あの、自分にがんがあると知った時の気持ちとか、 周りの人にがんだと知らせた時の気持ちとか、 あえて知らせないままに誰かと話す時の気持ちとか。 今もふと思い出す、もう自分のがんを知る前の自分には戻れないカンジを ここに写っている人たちはみんな経験してきたんだなと思った。 そんなことを感じながら、長女の小学校卒業写真を撮ったり ベランダのプチトマトの成長を楽しみに写真を撮ったりしながら 3月末に自分の誕生日が来てまたひとつ歳をとったら、 私も、ヒデカさんに今の私を撮ってもらいたいなと思ったのだった。 それからインスタを通してヒデカさんと連絡を取らせてもらい、 コロナのジャマが入ったりなんかしながらも、今日ついに撮影をしてもらった。 ひさびさの東西線に乗って神楽坂の駅で降りた。 なんだか少しきれいになってるけどあんまり変わらない東西線の駅を歩くと 大学生で遊んでたころや社会人で走り回ってたころを思い出して すごく自由で活動的な気持ちになった。 改札でヒデカさんと初合流しご挨拶。 すぐにおしゃべりしながら事務所に向かい、着いてからも色々とお話しした。 私たちは、歩んできた道も今いる場所も全然似てないけど なんだか共有できる気持ちが多くて、いくらでも話してられそうだった。 いつまでも続けてしまいそうなおしゃべりを一旦やめて撮影へ。 ヒデカさんの城である事務所で 大きくてきれいなプロのレンズが私に向いている。 レンズってこっちから見るとなんか不思議な物体だな…なんて思いながら撮られている。 これがヒデカさんの作品なんだな。そして私はそれに参加してるんだな。 ヒデカさんは照明や自分の立ち位置を変えつつ、私への指示はほとんどなくどんどん私の写真を撮っていった。 撮影の間も終わってからも、二人でしゃべって笑って、 ホントこのまま飲みに行こうよ!って感じだったのだけど 今日のところはまだ東京アラートなるものも出てるし渋々解散。 暑い中帰宅してインスタを見ると SHINING WOMAN PROJECTに私の写真が上がっていた。 自分のポートレートをこんなふうにじっくりみたのは初めて。 初めてみるけど、確実に私だ。 胸も無いし髪もものすごく短いが、確実に私だ。 これが私なんだ。 信念のあるプロジェクトに参加できて、心からうれしい。 このプロジェクトはこれからも続く。もっと育つ。 たくさんの人に彼女の信念が伝わって、近い未来に社会を少し変えてくれることを願っている。 https://instagram.com/shining_woman_project?igshid=6de24gd4g2ne
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なおこ(58)
神奈川県 / 膵臓がん / ステージ4質問・相談
もう一つの大きな悩み…仕事のこと
こちらで優しい皆様と繋がれてすごく幸せです。ありがとうございます。 今日は是非、体験を聞かせて下さる方が見つかったら嬉しいな…と思い、投稿させて頂きます。 膵臓がんになって、まず悩んだのが自閉症の一人娘の将来……それと同じくらい悩んだのが会社のことでした。 私は31歳の時に小さな会社を作り、20年以上続けてきたのですが、がんになるまでかなりハードに仕事をしてまして…。 繁忙期は週に3、4回全国に出張し、3、4時間立ったまま大勢の人の前で話をする、というような仕事です。 今はコロナで仕事は全てキャンセル、雇用調整助成金でスタッフに休業手当を払おうとしています。 私自身は膵臓半分、脾臓摘出、リンパ郭清の手術が終わり、これからTS-1を半年間やる予定です。 仕事は大好きだったのですが、抗がん剤中はハードな仕事は難しいのでは…と覚悟しています。 抗がん剤が今年いっぱいで終わって(仮にコロナも落ち着いているとしたら)、例えば来春になれば、「終日デスクワーク」という以外の仕事もできるものでしょうか。 経過観察になってから、アクティブに動くお仕事に戻られた方(またはお仕事を変えられた方)がいらっしゃいましたら、是非一言でもアドバイス頂けたら本当にありがたいです。 (勿論個人差が大きいと思いますし、私の今後は私でも予想できないくらいですので、皆様のお話がお聞きできたら嬉しいです) コロナが落ち着くまで会社が存続できるか…ということ自体分かりません。 がんになる前の私なら、借金をしてでも存続の為に全力を尽くしたと思うのですが、今は借金したら返せるか不安です。 もしがんになる前のように仕事をするのが難しいとしたら、早く断念してスタッフ達に伝えるべきか…長く一緒に仕事をしてくれたスタッフが多く、皆35歳は過ぎてしまっているので、一刻も早く転職活動をしてもらう方がいいのか…悩みは尽きません。 長文を読んで下さった方、本当にありがとうございます。 どうぞよろしくお願いいたします。
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ゆう(53)
埼玉県 / 大腸がん / ステージ4日記
第11クールゼロックス治療‼️
ゼロックス治療も11クール目になった やはり回数を重ねただけ副作用とアレルギーはきつくなってきています しかし今回は吐き気も痺れもきつくて泣きそうです でも良い事もありました 肝臓の転移ガンに関して目視での確認がしにくいくらい小さくなっていました このままいけば12クール後オペ出来そうとの事です 肺に関しても小さくなっているのは確実で良い兆候だと言われました きつい抗がん剤治療ですがまだまだ頑張ります
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なおこ(58)
神奈川県 / 膵臓がん / ステージ4日記
退院後の娘の変化
昨日初投稿をさせて頂いたら、読んで下さった方がいらして、とても嬉しかったです。 とりとめのない文章になりましたが、気持ちを聞いてもらえるだけでも本当に嬉しいものですね。 ありがとうございました。 退院後、10日ほど経ちました。入院は25日に及んだのですが、その間コロナのせいで娘に会えず…。自閉症の娘とこんなに離れているのは初めてでした。 その間、とても良い子にしていたそうなのですが、その反動なのか、私が帰ってきてから少し様子がおかしくて。 笑い上戸で笑ってばかりいる子だったのに、最近ちょっとしたことで逆ギレしてプンプン怒ってます。 会えなかった埋め合わせに優しくしようと思いつつ、私もキレ返しで大暴れしてしまったり…。 大いに反省して、なるべく一緒に遊んであげようと思い、昨日はいっぱい遊びました。 娘が中村隼人さんというイケメン歌舞伎役者さんのファンになったことで、いくつか古典ではない歌舞伎を見に行ったらすっかりハマってしまい… 昨日は「歌舞伎役者さん達が牛になる」という物語を作って演じるよう命じられました。 牛ーっ??なぜ牛??と戸惑いつつも頑張ってやってみたらウケてました…。 さすが自閉っ子、独創性のあるお題を出してきます。 遊んでいるうちにいつもの娘に戻っていくかな…いくといいなと願う日々です。
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やさい(43)
神奈川県 / 乳がん / ステージ4日記
ぽかーん
心に穴が空く 私が直接ご家族から報告を受けるのでは無いけれど、ぐっちさんやCPの仲間との別れを知る。 旅立ってしまったことを知るのは悲しい、寂しい。 だけど、会えたことに後悔なんて一つもなくて、むしろありがとうの気持ちがたくさん。 でも、この切ない気持ちの消化の仕方がわからない。
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だぁーきぃー(46)
大阪府 / 胃がん / ステージ4日記
4つ葉パワーかな??
こんにちは。 実は今、入院中です。 先月下旬に告知後初のPET検査をして、腹膜播種の状態がよくわからなかったので、審査腹腔鏡で検査しましょうとなり、6/3に入院、昨日6/4に審査腹腔鏡をしました。 結果、、、 目に見える限りは腹膜播種がなくなっていたそうです。 ほんまかいな?? 腹水の病理検査結果は来週なので、まだわかりませんが、もしかしたら、手術にもっていけるかも?な状況だそうです。 主治医曰く『かなりええ感じ』だそうです。ほんまかいな?? 勿論、腹膜播種はそんなに優しいやつではなくかなりかなりやっかいなやつ。 CPや他のがんブログを読んでいて、腹膜播種が一度なくなった方もほぼみんな再発してる。 目に見えないやつはきっと残ってるだろうし。 けど、一年間抗がん剤を続けてきて、両手をあげて喜びはできなくても、片手をあげて喜べる状況にはなったのかな?? もともと、心配性だしネガティブな私。主治医は『ネガティブじゃなくてリアリスト』とおっしゃったけど。。。 いやー、心配。 ほんとかな?ほんまに腹膜播種なかったんかな? 初発より再発の方がショックを受けるんやろうな。と、今からそんな心配? でも、頑張ろう。 家には待ってる家族がいる。 早く退院して、次につなげれるように頑張ろう。 写真は最近はまっている、公園での4つ葉探しでゲットした4つ葉さんたちです。 ママ友は5つ葉だけじゃなくて、6つ葉もみつけてます。 きっと、いいことが起こる‼️と思って始めた4つ葉探し。 皆さんにもいいこと起こりますように‼️
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なおこ(58)
神奈川県 / 膵臓がん / ステージ4日記
初めての投稿です。
はじめまして。治療の先輩の皆様、よろしくお願いします。 今年1月の人間ドックで「膵嚢胞の疑い、要精密検査」と知らされ、2月から超音波内視鏡等、様々な検査を受け始めました。 3月に検査入院をして、膵臓に入れた管を鼻から出し、24時間膵液を取り続ける…という検査で膵臓がんと分かりました。 膵臓がんは見つかりにくいそうなのですが、ステージ1で見つかり、術前抗がん剤もなく、すぐに手術をして頂けることに…。 4月1日に告知を受け、一旦は4月26日に手術と決まったものの、手術予定の病院の看護師さんのコロナ感染発覚…手術延期となり…。 膵臓がんは進行が早いとのことなのでドキドキしましたが、5月2日に手術して頂くことができました。まるでジェットコースターに乗ったような気分でした。 今は漸く1ヵ月経ち、お腹の不調も治まりつつあります。これから、再発リスクを下げるため、初めての抗がん剤スタート…どんな副作用が出るか、またドキドキの日々です。 私の一人娘は自閉症で、年齢は25歳なのですが、知的発達、心の年齢は7、8歳くらいの感じです。 今まで夫と私の母で溺愛しながら育ててきましたが、夫は私より9歳年上でもう初老にさしかかり、母ももう86歳と高齢で…。 膵臓がんは再発リスクが極めて高いとのこと… 私が再発したら、娘はどう生きていくのか…考えると、泣くまいと思ってもやはり涙が出ます。 娘は私の長い入院期間、寂しさに耐え、ママの病気は治った!と思っています。 再発したら…と思うと怖くてたまらないのですが、一方で娘と笑顔で楽しく過ごしたいと思う気持ちも強く…心が揺れ動いています。 昨日会員登録をさせて頂いたら、早速応援を頂き、すごく励まされました。 本当にありがとうございました。
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k00ji_cancersurfer(40)
新潟県 / その他 / ステージ3日記
EXTREMEな、がんサバイバーの約半年間の活動の軌跡
昨年11月頃より術後の晩期障害で体調を崩してしまい、更に辛い思いをした自身の経験を、逆に誰もまだ経験したことが無い経験と無理やり感はありますが、それでもポジティブな考えに転換しSNSでの情報発信など自らチャリティー活動に取組んで、勿論周囲の協力やサポートも得ながら、克服までとはいきませんが癌と共存して辛い過去をバネにしてここまで乗り越えてきました?✨ . (ここ最近も「何故わざわざ病気の事をお前は話さなきゃいけないのか」や「お前がやってる事はただの綺麗事」と回答に詰まる言葉を受ける事が度々あります?) . . 確かに自身の辛い体験談をグッと胸に秘めて強く生きて行く人もいますし、私の様に発信したいという人もいますし、ただただ不安を抱えている人、不安を抱えて辛い思いをしてる人などそれぞれで、間違いか正解なんか私にもわかりません。 . ただ希少がんの情報やAYA世代や働き世代の方のがん、がん患者のその後のアフターライフ事情についての情報というのは圧倒的にまだまだ不足していて、そこに着眼点をもちフォーカスしようとしている個人・法人・団体はいます。私もその1人です。 . . ■ 私の具体的な活動の内容 非常に悪性度の高い希少癌に罹患した自身の闘病経験を活かし、AYA世代・働き世代へ向けての情報発信や講演会、インタビュー活動 . . ■ 私のこれまでの実績や成果 2019年11月 SNSにてがんに関する情報発信をスタート、NPO法人がんノート公開放送の場にて一般社団法人がんチャレンジャー理事長、花木氏と出会う 2020年2月 NPO法人がんノート 番組出演 2020年3月 NPO法人キャンサーペアレンツ 闘病記インタビュー 出演 2020年4月 一般社団法人がんチャレンジャー発行の「寄り添いガイド」制作に協力 2020年5月 出版社 株式会社ZINE様 がん患者向け医療関連記事作成の協力・取材協力 2020年5月 情報・通信業 株式会社 日本総研様 がん罹患者向け新規事業立ち上げに関する取材協力 2020年5月 株式会社 広報しえん様に「寄り添いガイド」を受け取って頂きました 2020年6月 株式会社 バイタルネット様より「寄り添いガイド」のご依頼を頂きました 2020年6月 あおば社労士事務所様に「寄り添いガイド」を受け取って頂きました 2020年7月 AYA学会と新潟県立がんセンター主催のセミナーにて登壇予定 . . ■EXTREMEながんサバイバーの私が今後お役にたてそうと思うご相談分野 がん罹患者や医療関係者の方々への情報提供およびサポート、記事執筆活動やセミナーの協力等…?? . . 今の時代って、コロナウイルスの流行によって、病気に罹患した人だけでなく患者を支える医療従事者の方々もまた大変な思いをしていて、私も支持者として協力させて頂いている一般社団法人がんチャレンジャーの最大のミッションである「人が人に寄り添える社会を目指して」はとても重要視されてくる時代に突入していくと思います? . そんな社会を一日でも早く実現できる為にお役に立てる様なことがありましたら是非、御用命の程を宜しくお願い申し上げます‼️??♂️ Instagramにて動画もアップしてますので宜しければご閲覧ください? https://www.instagram.com/cancer_surfer_73norigram
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nishizoo(64)
三重県 / 非ホジキンリンパ腫 / ステージ4日記
R-CHOP終了
本日8回目のリツキシマブ点滴を終了、これで一通りの抗がん剤治療は終了し、1か月後の血液検査と2か月後のPET-CTを待つことになりました。半年間自宅療養と治療を繰り返した日々に一区切りがつき、ほっとした気分です。 コロナの終息とともに日常が戻ってくることを願っています。
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かおる(43)
福岡県 / その他 / ステージ4日記
ローストビーフと指輪(放射線スタート)
予約時間が近づくと、放射線技師の方から改めて丁寧な説明があり、「66Gy」ということが分かりました。 これから30日間です。 そこで「20日にお面を作らせて頂いたんですが、今日はあの時より更にきつくなっています。」と言われたので、型取りの時に数秒パニックになった話をすると、 隣から夫が「穴を開けたり出来ないですか?」と。 (「日記に不安なことを書いたら、鼻と口に穴を開けてもらえたよとアドバイスを頂いて気持ちが楽になったから、今後またパニックになったら相談してみる。少し緊張取れたよ。」と話したばかりでした。) 技師さんから「前回は急に型取りと言われて、きっと緊張されていたこともあると思います。穴は開けられるのですが、位置がずれると困るので眉間と鼻と顎は固定したい。ただ、少しでも楽に治療を終えて頂きたい。様子を見ながら調整していってもいいですか。」とお返事頂いたのに、いざ時間になって看護師さんに案内されたら、技師さんが口のところに穴を開けて下さってる最中でびっくり!! いずれもベテランという感じの技師さん1名、看護師さん3名が、マスクを被せたり頭部を手で微調整したり…「きつですよね」「きついですよね、少し緩めますからね」「もしかしたらこのまま頑張れそうですか?」「それならこのままに越したことはないので良かった!」と。 おそらく前回「息が吸えない」と思ったのは顔面だけでなく喉や胸元の圧迫感という実感があったのですが、今日は前回よりきついはずなのに、「やっぱりこれ以上無理に吸おうとしたらパニックになりそうだから、浅くこのまま。」とコントロール出来ました。 経験と口の開放感のおかげ!! その後、声をかけて部屋を出るとアベマリアがワンフレーズほど流れ、機会音もたっぷり聞こえ、ライト照射! いよいよなんだな、と、思った時に、お会いしたことないのにCPの皆さんの存在を感じて、すごくエールをもらっている感覚でした。 「みんながいる!」と新参者のくせにすごーく力を頂き、この照射で癌細胞消えて!と念じながら、自分の体にエールを送りながら、そろそろ終わりかな?と思ったところで、 「それでは調整が終わったので、これから照射に入りますね」 ∑(゚Д゚)フライング念力!! 話には聞いていたけれど、調整ってこんなに長いんですね(〃ω〃) 2回目の自己暗示をかけながら、照射終了。 勘違いのせいで長く感じましたが、テキパキ着替えて「お面の型がついちゃってるけど取れるからね笑」「こんな感じだけど大丈夫だった?」と次々声をかけて頂きながら 「大丈夫です!全然問題ないです!」 と大股に部屋を出て、更に技師さんから 「目のところにも穴を開けますか?随分開放感が得られると思います」 「デメリットは?」 「ありません」 との事だったので、明日から「照射中、目を開ける派」になるかもしれません。 治療が終わったら遅めの昼食を取る予定でしたが、何だか胸焼けが… 明らかに口数が減り、心配する夫に「お昼を食べてないからかも。」と言われ、会計や書類受け取りや何だかんだ終わって15時にようやくお昼。 翌日以降久しぶりに大学病院まで自分で運転するので、帰りは3ヶ月振りに病院からの道を運転させてもらいました。 帰宅すると、倦怠感、微かな喉の痛み、頭痛、胸焼け。 ちょうど息子が眠ったところだったので、一緒に隣で眠らせてもらい、1時間に娘に起こされた時には少し楽に。 しんどいけれど、午前中時間切れで夜出直すからと診察を伸ばしていたリハビリの病院へ送ってもらい、帰宅したら夜。 全然食欲ない… 船酔いした時みたいな、つわりのときみたいな、ずーっと引かない安定した胸焼け。 よりによって今日は、私が夫に「放射線治療の前に食べたいものは?」と尋ねられる度にリクエストしていた大学病院前のお店のローストビーフを、夫が予約して取りに行ってくれたのに… 入院中の絶食期に書いた食べたいものリストにも挙げていたローストビーフなのに… 入浴したら少し楽になり、まさかたった一回の照射で疲れるとは思ってなかったので内心凹んだけど、「喉の痛みで食べれなくなるまでは頑張らなきゃな」とあがると、夫も母も食卓についたまま口をつけてない! 分かりやすく凹んでいる。 私が落ち着いて食卓に座るのを待って、「冷めても美味しいね。」と言いながら食べたローストビーフ。 一晩眠ると胸焼けがなくなり、喉の痛みと倦怠感だけに。 午前中も母に子供たちをみてもらって1時間ほど昼寝。 実は放射線は関係ないかも。退院してから毎日チャンスさえあれば1〜2時間眠ってしまう。夜も眠っているのに… 2日目の今日は、あっという間。目が大きく開いていたので何でも見れるし、息苦しさもずっと楽に。 昨日の様子を話すと、 「副作用とも緊張のせいとも言い切れないのですが、本当に個人差があって、そういう方もいらっしゃいます。船酔いのような。」 「一緒です!」 「2、3日で慣れてきます。横になると感じにくいようです。」 1回目から変化を感じる人もいるんだな、という安心感に、昨日ほど急には感じない吐き気。 昨日より短く感じた治療時間に、開放的なマスク。ありがたい… 1日目昼食(照射1) ・飲むヨーグルト ・ハムサンドイッチ一切れ ・シュークリーム 1日目夕食 ・ご飯 ・サラダ ・念願のローストビーフ ・ポテト 2日目朝食 ・ご飯少量 ・味噌汁(人参、小松菜、麩) ・生卵とひきわり納豆 2日目昼食 ・ご飯少量 ・ローストビーフ2枚 ・ポテト少し 昼前に大学病院に行く時、折紙で(ほぼ夫が)作ったエメラルドの指輪を娘が私の小指にはめてくれました。 放射線科の前の歯科で、荷物を降ろした際、指輪が落ちてしまい、衛生士さんもいらっしゃるしおそらく鞄の中だろうと思って後で探すも見つからず(涙) 帰宅して「指輪はー?」と無邪気に聞いてくる娘の両肩を持って「ほんとにごめん!」と訳を話すと、「なんだ、大丈夫!また折ってもらったらいいんやから!謝らんでいいよ。」と。(夫に謝るべきやったんかな笑) 昼寝していると、「ママ、指輪だよ!」と起こされたのでした。メッセージに眠気も吹っ飛んだけど、その後母宛のを読んだら「く」が頻繁で難解度が上がってました(о´∀`о)
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なつ☆(47)
佐賀県 / 乳がん / ステージ4日記
次女が帰ってきた!
去年、私が入院した際に、死ぬ予定(笑)だったので、1番手のかかる次女を旦那の実家に住所変更して、そちらの小学校に通ってもらってました。 そして、エンドレス抗がん剤が効いてきて、幸い腫瘍マーカーも標準になってきたので、次女を呼び戻すことにしました。 その手続きの多さにへっとへとになっており、この頃は反応が遅れていて申し訳ないです(>人<;) 娘のADHDの手続きもあり、通常の2倍は書類関係がメンディーでした。でもなんのその! 血液検査の結果はよくても、最初が酷すぎて、体力はぜんっぜん戻ってないのですぐ寝込むのですがねw 主治医に聞いたところ、余命はあと一年半前後らしかったので、母の反対を押し切って呼び戻せてよかった! めちゃくちゃやんちゃな性格をしているので、(一人で5人分くらい喧しい)、大変ですが、毎日「愛してる。ママの宝物だよ!」と言って抱きしめて寝ています。 笑うとナチュラルキラー細胞がパワーアップしてしてくれるらしいので(はたらく細胞で得た知識)、出来るだけ映画を見たりアニメを見たりしてヲタク趣味を満喫しております(#^.^#) 1日でも長く一緒にいたいので、治療は頑張ってますが、最近は口内炎が口中に出来ていて、痛いのなんの(;ω;)痛み止め飲んでてこれとか、恐ろしい子です副作用め! 今のところ、2歳の三女のランドセル姿を見るまでは!と頑張っております(`・ω・´) 死にたくないよー!! 上手くガンと共存出来るように慣れればいいのになーっと日々思っております。 余談ですが、はたらく細胞のガンの回がありまして、すごーく勉強になるにで、お時間のある時にでも観てみてください! Amazon会員ですと、アマプラで観れますよ♪ 今日も背中と舌が痛いですが、医療用麻薬様の力を借りて、ニコニコ生きて行きたいと思います。
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かおる(43)
福岡県 / その他 / ステージ4日記
ビバ羞恥心 (放射線開始前夜)
明日はムネリンの誕生日。 大学生の時に一目惚れしてから、 (TVの向こうに。 野球のこと全然わからないのに。プレイがかっこよすぎて。) 時に背中を押され、 (TV越しに勝手に。 退職後、「証明書」が届くまでは春休みだ!と開き直ったくせに実際離職1週間目にもう焦ってしまい、「同い年なのに片や日本を代表し、片や・・・」みたいな『同い年』以外むしろ共通点全くないのに勝手に比較して落ち込んで一人でTV見ながら泣いて・・・なぜか背中を押されて行動に出たら翌日希望職に就職が決まって、その後12年間続く関西での生活がスタートしました。その職はその後京都に越すタイミングで辞めることになりましたが。) 時にその笑顔に癒され、 (・・・TVで。ホークスファンの夫がムネリンの写真集を買ってくれた時には戸惑い、実はまだ開いていません。異性の写真集贈るかなぁ。) そんな彼の誕生日に、放射線治療が始まる~(こじつけ) 手術も怖かったけど、放射線も怖い。 何が怖いんだろうと最近自問自答しているけど、やっぱり副作用かなぁ。 初日から副作用は感じないと思うけど、ぬぐえないこの緊張感・・・怖いのは副作用じゃなくて閉所かな。 いやでも、放射線科の初診の数日前からいよいよ緊張感強くなってるから、放射線という大きなインパクトかな。 2週間前が放射線科の初診で、歯科でスペイサー、そして放射線科でマスクを作って頂いたけど、マスクがきつかった。 「閉所恐怖症ですか」と確認される度に「違います」と回答してきたけど、顔面から胸の上部にかかるマスクの型取りをしてもらっているときに、数秒「息が吸えない!」とパニックになった。息は吸えるようになったし、きっと実感するよりすごく短い時間だったんだろうけど、怖かった・・・ もしかしたら、閉所恐怖症?? CTやMRIくらいの余裕があるスペースは大丈夫だけど、密着マスクレベルの閉所は怖い、みたいな。 入院中に同じ部屋の2人から伺った放射線の経験談。2人が「熱かった」と言った型取りは、正直「温かくて気持ちいいなぁ」という感想だった。すでに個人差もしくは気温差。 「照射中、目を閉じる派」と「開けておく派」に分かれていたなと思って、目を開けてみたけど、マスクが狭くてあまりはっきり開けられなかったし、閉じると視界からの情報がなくなって反対に少し安心した。普段は好奇心が勝って大抵目を開けているけど、マスク着用中は目を閉じる派に入ろう。 うちお1人は私と同じ回数で、「とにかく分刻みにスケジュールされていてたくさん人が並んでいるから、急いで着替えなあかんと思って。してくれはる人によって、マスクがきれいにハマる時と、少しずれる時があって、でもそんなこと言われへんからそのままつけてるんやけどね。痛いことは何にもないんよ。位置の調整に時間がかかるだけで、照射されてるんは5分もないくらい。」と話して下さったけれど、「人を待たせないようテキパキ出来るかな」とか、「マスクずれたままの数分間に耐えられるかな」、とか聞いているだけで緊張。きっと型取りで「息苦しい」恐怖を感じてしまったから、これで更に装着がずれたらどうしよう、という不安だ。 入院期間中のうち2週間隣のベッドで、「私が最後まで出来たんやから(年齢が半分やし)きっと大丈夫やわ。」「個人差があるから、副作用も軽いかもしれへんよ」「放射線科の看護師さんがみんな優しくて、毎日励まして下さるんよ。」と、いつも数か月先の治療にビビる私を安心させるためにかけてくださった、その言葉を信じたい気持ちもまだまだある! 「放射線治療が始まったら思うように食事がとれないから、始まる前に食べて体力をつけておいて」もその方にもらったアドバイス。 この治療に備えて福岡から母が泊まり込みで来てくれたというのに実際の治療開始はかなり遅くなったけど、でもその間ほぼ毎日母の手料理を食べられたので、このアドバイスだけは守れた!! 初診の前から緊張していたことは夫にばれていたらしく、初診に仕事を休んで付き添ってくれるというので「今回は検査もないから深刻な話もないんだから大丈夫だよ」と断ったものの当日は緊張MAXで、付き添ってくれて随分心強かった!! そして、明日も付き添ってくれると休みも取っちゃってるので、もう甘えようかな!初日さえ経験すれば、明後日以降は大丈夫なはず! もう一つあった。。。漠然と抱えているモヤモヤ。 この治療が終わったら、戻る予定で休みをもらっている(といっても、休暇制度はないので欠勤。半年毎の契約を自動更新してもらっている模様。)6h×週5日の仕事に復帰予定。 仕事に戻るか、辞めるか。 3月に休み始めてからずっと迷っていたけど、全然答えが出ない。 いろんな懸念事項がどちらにしても浮かぶし、本音が自分でも見えない。 でも、手術後は「復帰なんかできるわけない」と思っていたのに、今、迷えるということは、機能回復面に自信がついた証拠でもある。 放射線治療を終える時には、また何か状況が変わっているかもしれないので、それまで答えを出すことは焦らずにいこうとも思う。 あぁ、昨日の電話である人から職場復帰のタイミングを尋ねられたからモヤモヤし始めたのか、そうか。(やっと自覚) 打ってる間に、ムネリンの誕生日当日になりました。おめでとうございます。 病気でも、病気じゃなくても、みんなそれぞれの課題に日々向き合って、楽しいだけじゃない一日を乗り越えている。 私なんか、こんな大人になってまで家族にめちゃくちゃ優遇されて、パート職だけど「待ってるよ」と言ってくれている人もいて、何より、治療を受けることができる。 閉所や、まだ始まってもいない副作用にビビってる場合じゃないなぁ。 でも、治療が進むとまた弱気になるかもしれないので、モヤモヤしている脳内を勝手に整理し始めたり、弱音を吐いたりしたいと思いますm(__)m 夜型人間じゃないのに夜文章書いたりして、朝には恥ずかしいと思ったりミスに気づいたりしているのかもしれませんね。羞恥心で緊張和らげ!
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めぐ(57)
大阪府 / 大腸がん / ステージ3日記
ありがとうございます。
今日の朝日新聞の「社説・声」の所にキャンサーペアレンツの運営に携わる方の投稿が掲載されていました。「つながりは生きる力になる」「みんなでつくる」という西口さんの想いを、みんなで共有し、活動されてる思いが書かれてありました。 私は告知からの時間が余りにも早く、1年たって、やっとここにたどり着きました。皆さんの暖かい気持ちに支えられ「子どもをもつがん患者」のつながりに、元気をいただいてます。 これから先も、西口さんの想いが引き継がれて行くことを、願っています。 ありがとうございます。そして、これからもよろしくお願いします。
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あかまろ(45)
東京都 / 悪性骨腫瘍(骨肉腫、軟骨肉腫、ユーイング肉腫など) / 寛解日記
はじめての投稿
はじめまして。 私は、2019年12月にユーイング肉腫と診断をされました。 今は、休職中で抗がん剤治療を受けています。 キャンサーペアレンツのことは、西口さんがお亡くなりになったニュースで知り、 同年代のがん経験者の方々とのつながりを持ちたいと思い、登録をしました。 これから治療のことや育児のことなどをのんびりアップしていきたいと思います。 どうぞよろしくお願い致します。
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さとちゃん(55)
京都府 / 卵巣がん / ステージ3日記
日日是好日
少し前に、CPに登録されてた方が亡くなられたという旨のご主人の投稿を読んで、直接の知り合いではないとはいえ、やはりショックはあって… しばらくCPのサイトを開くのがためらわれました… そうこうしている間に、CPを立ち上げられた西口さんが亡くなられたと知り、また少し遠のいてしまいました。 同じガンで闘っている方の訃報は、近い将来の自分のように感じてしまいます。 でも昨日久しぶりに《応援します》の通知がきて、元気をもらいました^_^ それもまたCPの有り難さかと… 相変わらずの抗ガン剤の日々ですが、それなりに元気に過ごせてます。 今まさに点滴中。 なかなか腫瘍マーカーの数値が落ち着かなくて、副作用があったり、効き目がなかったりで…色々変えて、今ゲムシタビン投与中。 再発なので、だんだん使える抗ガン剤も少なくなってくるけど、主治医がなんとか絞り出してきてくれる(笑) 元気に子どもを叱り飛ばす日もあれば、コロナで休校中お昼ご飯が作れない日もあって… なかなかソファから起き上がれずにいると、次男が「お母さん、カップ麺食べたいし、オレ買ってくるで!!」と。 お兄ちゃんと2人で買い物に行ってくれました。 あぁ、もう一人で頑張らなくていいんだなと、子どもたちの成長を有り難く感じました。 まぁ、そんな日ばかりではなくて、ずーっとゲームとYouTubeばかりの彼らにキレることも多々ありまして^^; そんな日もこんな日も、良い日も悪い日も、日日是好日。 普通の毎日を普通に過ごせたらなと、そんな日がもうしばらく続いてくれることを祈る今日この頃です。