-
もってぃ(46)
東京都 / 大腸がん / ステージ4日記
化学療法21回目
21回目の2日目で副作用期に突入〜月曜日に回復予定です。 今回はカテーテルがすんなり入り、上々なスタートで有り難い。技術ある先生に感謝です‼︎ 父が心臓病で8日月曜日に緊急入院、2歳児を快く預かり続けてくださった義父が間質性肺炎と分かり同日に入院、義母が背中を圧迫骨折、と両家の両親が4人元気でいてくれて励ましてくれていたのですが、3人入院となり。 皆の命をもらって治療しているのだと、改めて感じています。 出来ることはないのか探しますが、探そうとすると案も浮かばず…意外と心が慌てているのかもしれないです。 明日退院なので、入院先輩のお言葉(やりたい事とできる事は違うんだよ)を大切に、出来る事に励みたいと思います。 弟よ、どうか両親に心配をかけないよう成長しておくれ。 こちらに書き込んだら、気持ちが落ち着いてきました。読んでくださり、どうもありがとうございます。
-
ジョン(32)
北海道 / 大腸がん / ステージ4日記
免罪符
昨年から入院、手術、治療であっという間に気づけば、6月半ば。 先生から手術しなかったら半年と言われていたことを考えると、怖い様な安心する様な、時間をここまで意識したことないなと思うこの頃です。 一方で、奥様は妊娠中&仕事につき奥さんの実家、自分は治療のため自分の実家でそれぞれ暮らしていて(年末か来年中には一緒の生活予定。)、奥さんはがんばりすぎなくらいな日々を送っているのに、自分は週に一回の治療(2週間に1度は46時間持続点滴つき)のみで、ほかにはしなければならないこともなく、こんなんで良いのかなー、だらだらしてていいのかなーって定期的に考えらさります…。 たしかに治療後はだるいくて寝むたいけど寝れないとか、食欲ないとか、皮膚の発疹出るとかもろもろありますが、何かやらなきゃないことないかなとか、旦那として、今度はそろそろお父さんとして何かしないといけないことはないのだろうかとか、自問自答してしまいます…。もちろん、周りには治療に専念してゆっくり過ごしてと言われますが…。これまで忙しすぎた反動ですかね…? 治療で身体はだるいけど、それで免罪符として、治療の時だけ、心のどっかでは治療によって存在感があると言ったら大袈裟ですが、それで安心してしまうというか、なんとも複雑な気持ちになってしまうこともしばしば。 結果、何を言いたいのか駄文になってしまいすみません。 なんだか、もやもやしたので書かせてもらいました…。 皆さんも何かこんな気持ちありますかね?笑 (最後無理やりまとめてる…笑) 何はともあれ、皆さんにとって今日もいい日になりますように! 読んでいただいた方、ありがとうございました☺️
-
なおこ(57)
神奈川県 / 膵臓がん / ステージ4日記
退院後、初外来…リンパ節転移
今日は退院後、初めての外来でした…。 手術前はステージ1という診断だったのですが、リンパ節に転移していたことが分かり…。 ステージ2Bとなりました。 膵臓がんで2なら早く見つかった方だということは存じているのですが……やはり転移があったことが分かるのはショックなものですね…。 リンパ節35個のうち、2個に転移があったそうです。 2個くらい少ない少ない…と思うべきなのか…憂慮すべき事態なのか…よく分からず困惑、混乱しています。 母も高齢なので、もしも娘が大好きなおばあちゃんも、私も、立て続けに失うことになったら…と思うと、今日は泣いてしまいました。 月曜日から抗がん剤スタートです。 泣いている場合じゃない!私がんばれ!…と言い聞かせてます。 皆様の中にはもっと頑張っている方がたくさんいらっしゃるのに、甘ったれたこと言ってすみません?
-
あかまろ(45)
東京都 / 悪性骨腫瘍(骨肉腫、軟骨肉腫、ユーイング肉腫など) / 寛解日記
がんも色々
昨晩は、消灯時間ギリギリまで他の患者さんとデイルームで井戸端会議をしました。 消化器がんの人、頭頸部がんの人、原発不明がんの人など、がんの種類は様々。 進行具合も初発の人、再発の人、既存薬では使えるものがなくなり新薬の治験に参加されている人など、本当に様々ですが、共通するのは皆さん生きることを諦めていないこと。 他の患者さんのがんとの向き合い方、考え方を聴く良い機会になり、勇気をもらいました? 看護師さんからは、 あんまり密集しないように❗️ と、注意されてしまいましたが?
-
ざわ(40)
埼玉県 / 非ホジキンリンパ腫 / グレード4日記
明日から移植前処置
明日から、自家移植のための前処置(大量化学療法)にはいります。 私は、サイメリン、ラステット、キロサイド、アルケランの組み合わせ。 そして、今日先生にCAR-T(キムリア)までやることをお願いしました。 薬価3500万の新薬。 覚悟を決めるときに、役立ったのは読書でした。 100分で名著のテキストだけど。 斎藤孝先生の受け売り 「本を読むということは、一人の時間を楽しむということです。」 孤独の中で自分の気持ちにはいっていく。 治療も孤独だ。 どんなに家族が愛しくても、治療するのは自分で、副作用を引き受けるのも自分。 孤独でも大丈夫って思えたときに、覚悟が決まりました。 まずは明日から。がんばろう。
-
あかまろ(45)
東京都 / 悪性骨腫瘍(骨肉腫、軟骨肉腫、ユーイング肉腫など) / 寛解日記
今日から入院
4回目のIE療法(イホマイド+エトポシド)のために今日から入院しました。 VDC療法と合わせると8回目の化学療法。 17回を予定しているので、ようやく折り返し地点が見えてきました? 入院前の血液検査で、やや赤血球が低め。 最近、立ちくらみが続いていたので、そんな気はしていましたが…? 胸部と腹部のレントゲン、心電図は問題なし。 術後1ヶ月で撮ったCTも、 「肉眼的に確認出来る異常はないです。」 とのこと。 先生の言い方に含みを感じるものの、目に見えない転移は否定出来ない疾患だけに、こういう表現になるのも仕方ないのかな?? 何はともあれ明日から5日間連続の抗がん剤スタートです! IE療法、苦手だけど頑張ります!!
-
k00ji_cancersurfer(39)
新潟県 / その他 / ステージ3日記
庭のウッドデッキと、幻の新築工事図の思い出
小波ながら久しぶりのサーフィン後に庭にウッドデッキを敷きました?♂️? . ボロい賃貸ですが、庭が少しはまともになり娘は大喜びで飛び跳ねてました?✨ . おうち時間#ガーデニング#ウッドデッキ#庭いじり と、Instagramではここまでですが庭にウッドデッキを敷きたいという事にある思いがありました? https://www.instagram.com/cancer_surfer_73norigram 「思い?」「思い出?」どっちかな⁇? 私達家族には約4年前に、マイホーム建をてる計画があり、たまたま実家近くの新興住宅エリアに今は亡き父が所有していた宅地の土地に私と妻と娘、3人住めれば充分といった位の小さな家を建てる計画がありました? 叔父の大工さん、知人の建築士、材料費もロス材を使って極力お金を掛けず計画を進めていて、その間も意見の衝突など様々ありましたが図面完成!いざ着工‼︎のGOをかける直前に肺への転移が発覚しました…? そして家族との話し合いの結果の末、家を建てる計画は断念しました。。。? 叔父さん、建築士の方には大変ご迷惑をおかけしてしまいましたが、着工が始まる前にストップをかける事が出来て今思い返しても経済的にも助かったと感じます?? 建てる予定のマイホームにもウッドデッキを施工する予定があり、私としても楽しみの一つでした? しかし、そんなエピソードから約4年。安物で見栄えも良く無く、形も違えど今になってウッドデッキを庭に実現できた事に何だか感慨深さを感じます?✨ コロナ禍で新しい生活様式が求められる時代となりましたが、家族が健康で過ごせますよ〜に?✨
-
アキコ(50)
海外 / 肺がん / ステージ4日記
検査
今日夫はCT検査があります。 1月からタグリッソをのみはじめ3月半ばの検査では大分小さくなったとよろこんで、その後すぐこちらではコロナのため外出禁止令が出て、夫はほとんど外に出ず気をつけて過ごしました。 あれから3ヶ月。体調には特に変化はないものの、ここ1ヶ月ほど軽めではあるけれど毎日咳が出ているのが気になって、本人になにか変化を感じないかきいてみるのですが、アレルギーかもしれないし、病気がみつかるずっと前もよく咳は出ていたし、と。 いろいろな可能性を考えてしまいとても不安ですが、子供達の手前なるべく普通に生活をおくらねばならず、それが大変でもあり助けにもなっています。 病気のこともコロナも、仕事も学校もどれもこれも先が見えないことばかりで、ついお酒を飲む日も頻繁になります。 子供達の学校も少しずつですが始まり気分も変わると思うので、もっとちゃんと調べ物などやりたいです。 とにかく今日の結果が心配です。
-
なおこ(57)
神奈川県 / 膵臓がん / ステージ4日記
自粛解除後の娘
こんにちは。いつも目を通して下さる方、どうもありがとうございます。 コロナによる自粛も解除され、皆様のお子様も、学校が始まったことと思います。 うちの自閉症の娘は、カフェの運営や軽作業をする施設に通っているのですが、「自粛できるなら自粛を…」という要請もあり、夫が在宅勤務だったこともあって、1ヵ月以上休ませてしまいました。 先週から再び通い始めたのですが、久しぶりだったので極度の緊張で、選択制緘黙症(場面緘黙症)が出てしまい、声が出せなくなってしまいました~?? ご存じの方、いらっしゃるでしょうかー、特定の場所でだけ、声が出せなくなるのです。 うちの娘の場合、中学入学、高校(特別支援学校)入学…等、環境が変わる度に出てしまい、その都度、すごく焦ります…。 頷いたり筆談で意思表示はしているのですが…。 家に帰ると堰を切ったように喋りだし、いつもの明るい娘に戻るんですけどねー。 帰宅後の最近お気に入りの遊びは、ミュージカル制作です。娘が監督、演者は私、出演はクマとウサギのぬいぐるみで、変てこりんな即興ソングを熱唱したものを動画撮影して、それを見ては息もできないくらい笑ってます。 家にいるときと外では別人のようなのです。 うちの娘の場合、親亡き後は、人様にご厄介掛けずには生活できないので、気持ちが伝えられないのは本当に困るんだけど…と内心ヒヤヒヤしつつ、緘黙の子には無理強いは逆効果だそうで、どうしたらまた声を出してくれるのか…と悩む日々です。 皆様のお子様も、「学校始まって嬉しい!」という子が殆どかと思いますが、「ちょっとしんどいなー」というお子さんもいらっしゃるかもしれませんねー。 すべての子供達が、無理をせずに、辛いときは辛いと言いながら、それぞれの場所に戻って穏やかな日常を取り戻せるといいなーと祈っています。
-
いも。(57)
徳島県 / 卵巣がん / ステージ2日記
ケモ6回目
おはようございます。 今日もよいお天気で暑くなるそう。 いよいよケモ6回目最終(ドセタキセル+カルボプラチン)です。 効いてくれると信じてます。 5回目から指先の痺れが気になるからちょっと警戒。どうにかどうにか。
-
c-hiho(47)
東京都 / 乳がん / ステージ2日記
#shiningwoman
2020/06/07(日) 今日は写真を撮ってもらった。 写真家の殿村任香さんのアートプロジェクトに参加させてもらったのだ。 年末にネットで新聞記事を見かけてアクセスしたヒデカさんのSHINING WOMAN PROJECT。 これは彼女自身にがんが見つかり手術するその人生の中で見つけたプロジェクトで がんを経験した女性たちのポートレートを撮りインスタ上でどんどん発信しているものだ。 初めて見た時は、抗がん剤治療には慣れたものの手術に漠然とした不安を感じてたころで この写真の人たちはみんな、乗り越えたんだな。強いな。すごいな。と思った。 そしてこんなプロジェクトを一人で積み重ねているヒデカさんを すごくカッコイイな。うらやましいなと思った。 でもその後、自分が治療を続けて手術もして、 胸を失って傷を得たころに、またこの作品たちを見ていたら ちょっと違う気持ちを感じた。 みんな、そんな「戦ってる」とか「強い」とかってことじゃない。 ただ、「生きることをがんばってみた結果の今この顔」なんだと思った。 写っている女性たちはがんの種類も経過もこれからも、それぞれみんな違う。 だから何か同じ達成感を持っているわけではないのだけど ヒデカさんの言うところの「命の芯」に 「私は自分のがんに対峙した上で女として生きている」というプライドみたいなものはあるのかもしれない。 撮っている彼女もアートだとかテーマだとかいうより このプライドみたいなものを、伝える手段があるんだから伝えなくちゃと思ったんじゃないだろうか。 彼女をカッコイイとかうらやましいとか思った時の自分は、まだどこかヒトゴトだったのかもしれない。 あの、自分にがんがあると知った時の気持ちとか、 周りの人にがんだと知らせた時の気持ちとか、 あえて知らせないままに誰かと話す時の気持ちとか。 今もふと思い出す、もう自分のがんを知る前の自分には戻れないカンジを ここに写っている人たちはみんな経験してきたんだなと思った。 そんなことを感じながら、長女の小学校卒業写真を撮ったり ベランダのプチトマトの成長を楽しみに写真を撮ったりしながら 3月末に自分の誕生日が来てまたひとつ歳をとったら、 私も、ヒデカさんに今の私を撮ってもらいたいなと思ったのだった。 それからインスタを通してヒデカさんと連絡を取らせてもらい、 コロナのジャマが入ったりなんかしながらも、今日ついに撮影をしてもらった。 ひさびさの東西線に乗って神楽坂の駅で降りた。 なんだか少しきれいになってるけどあんまり変わらない東西線の駅を歩くと 大学生で遊んでたころや社会人で走り回ってたころを思い出して すごく自由で活動的な気持ちになった。 改札でヒデカさんと初合流しご挨拶。 すぐにおしゃべりしながら事務所に向かい、着いてからも色々とお話しした。 私たちは、歩んできた道も今いる場所も全然似てないけど なんだか共有できる気持ちが多くて、いくらでも話してられそうだった。 いつまでも続けてしまいそうなおしゃべりを一旦やめて撮影へ。 ヒデカさんの城である事務所で 大きくてきれいなプロのレンズが私に向いている。 レンズってこっちから見るとなんか不思議な物体だな…なんて思いながら撮られている。 これがヒデカさんの作品なんだな。そして私はそれに参加してるんだな。 ヒデカさんは照明や自分の立ち位置を変えつつ、私への指示はほとんどなくどんどん私の写真を撮っていった。 撮影の間も終わってからも、二人でしゃべって笑って、 ホントこのまま飲みに行こうよ!って感じだったのだけど 今日のところはまだ東京アラートなるものも出てるし渋々解散。 暑い中帰宅してインスタを見ると SHINING WOMAN PROJECTに私の写真が上がっていた。 自分のポートレートをこんなふうにじっくりみたのは初めて。 初めてみるけど、確実に私だ。 胸も無いし髪もものすごく短いが、確実に私だ。 これが私なんだ。 信念のあるプロジェクトに参加できて、心からうれしい。 このプロジェクトはこれからも続く。もっと育つ。 たくさんの人に彼女の信念が伝わって、近い未来に社会を少し変えてくれることを願っている。 https://instagram.com/shining_woman_project?igshid=6de24gd4g2ne
-
なおこ(57)
神奈川県 / 膵臓がん / ステージ4質問・相談
もう一つの大きな悩み…仕事のこと
こちらで優しい皆様と繋がれてすごく幸せです。ありがとうございます。 今日は是非、体験を聞かせて下さる方が見つかったら嬉しいな…と思い、投稿させて頂きます。 膵臓がんになって、まず悩んだのが自閉症の一人娘の将来……それと同じくらい悩んだのが会社のことでした。 私は31歳の時に小さな会社を作り、20年以上続けてきたのですが、がんになるまでかなりハードに仕事をしてまして…。 繁忙期は週に3、4回全国に出張し、3、4時間立ったまま大勢の人の前で話をする、というような仕事です。 今はコロナで仕事は全てキャンセル、雇用調整助成金でスタッフに休業手当を払おうとしています。 私自身は膵臓半分、脾臓摘出、リンパ郭清の手術が終わり、これからTS-1を半年間やる予定です。 仕事は大好きだったのですが、抗がん剤中はハードな仕事は難しいのでは…と覚悟しています。 抗がん剤が今年いっぱいで終わって(仮にコロナも落ち着いているとしたら)、例えば来春になれば、「終日デスクワーク」という以外の仕事もできるものでしょうか。 経過観察になってから、アクティブに動くお仕事に戻られた方(またはお仕事を変えられた方)がいらっしゃいましたら、是非一言でもアドバイス頂けたら本当にありがたいです。 (勿論個人差が大きいと思いますし、私の今後は私でも予想できないくらいですので、皆様のお話がお聞きできたら嬉しいです) コロナが落ち着くまで会社が存続できるか…ということ自体分かりません。 がんになる前の私なら、借金をしてでも存続の為に全力を尽くしたと思うのですが、今は借金したら返せるか不安です。 もしがんになる前のように仕事をするのが難しいとしたら、早く断念してスタッフ達に伝えるべきか…長く一緒に仕事をしてくれたスタッフが多く、皆35歳は過ぎてしまっているので、一刻も早く転職活動をしてもらう方がいいのか…悩みは尽きません。 長文を読んで下さった方、本当にありがとうございます。 どうぞよろしくお願いいたします。
-
ゆう(53)
埼玉県 / 大腸がん / ステージ4日記
第11クールゼロックス治療‼️
ゼロックス治療も11クール目になった やはり回数を重ねただけ副作用とアレルギーはきつくなってきています しかし今回は吐き気も痺れもきつくて泣きそうです でも良い事もありました 肝臓の転移ガンに関して目視での確認がしにくいくらい小さくなっていました このままいけば12クール後オペ出来そうとの事です 肺に関しても小さくなっているのは確実で良い兆候だと言われました きつい抗がん剤治療ですがまだまだ頑張ります
-
なおこ(57)
神奈川県 / 膵臓がん / ステージ4日記
退院後の娘の変化
昨日初投稿をさせて頂いたら、読んで下さった方がいらして、とても嬉しかったです。 とりとめのない文章になりましたが、気持ちを聞いてもらえるだけでも本当に嬉しいものですね。 ありがとうございました。 退院後、10日ほど経ちました。入院は25日に及んだのですが、その間コロナのせいで娘に会えず…。自閉症の娘とこんなに離れているのは初めてでした。 その間、とても良い子にしていたそうなのですが、その反動なのか、私が帰ってきてから少し様子がおかしくて。 笑い上戸で笑ってばかりいる子だったのに、最近ちょっとしたことで逆ギレしてプンプン怒ってます。 会えなかった埋め合わせに優しくしようと思いつつ、私もキレ返しで大暴れしてしまったり…。 大いに反省して、なるべく一緒に遊んであげようと思い、昨日はいっぱい遊びました。 娘が中村隼人さんというイケメン歌舞伎役者さんのファンになったことで、いくつか古典ではない歌舞伎を見に行ったらすっかりハマってしまい… 昨日は「歌舞伎役者さん達が牛になる」という物語を作って演じるよう命じられました。 牛ーっ??なぜ牛??と戸惑いつつも頑張ってやってみたらウケてました…。 さすが自閉っ子、独創性のあるお題を出してきます。 遊んでいるうちにいつもの娘に戻っていくかな…いくといいなと願う日々です。
-
やさい(43)
神奈川県 / 乳がん / ステージ4日記
ぽかーん
心に穴が空く 私が直接ご家族から報告を受けるのでは無いけれど、ぐっちさんやCPの仲間との別れを知る。 旅立ってしまったことを知るのは悲しい、寂しい。 だけど、会えたことに後悔なんて一つもなくて、むしろありがとうの気持ちがたくさん。 でも、この切ない気持ちの消化の仕方がわからない。
-
だぁーきぃー(45)
大阪府 / 胃がん / ステージ4日記
4つ葉パワーかな??
こんにちは。 実は今、入院中です。 先月下旬に告知後初のPET検査をして、腹膜播種の状態がよくわからなかったので、審査腹腔鏡で検査しましょうとなり、6/3に入院、昨日6/4に審査腹腔鏡をしました。 結果、、、 目に見える限りは腹膜播種がなくなっていたそうです。 ほんまかいな?? 腹水の病理検査結果は来週なので、まだわかりませんが、もしかしたら、手術にもっていけるかも?な状況だそうです。 主治医曰く『かなりええ感じ』だそうです。ほんまかいな?? 勿論、腹膜播種はそんなに優しいやつではなくかなりかなりやっかいなやつ。 CPや他のがんブログを読んでいて、腹膜播種が一度なくなった方もほぼみんな再発してる。 目に見えないやつはきっと残ってるだろうし。 けど、一年間抗がん剤を続けてきて、両手をあげて喜びはできなくても、片手をあげて喜べる状況にはなったのかな?? もともと、心配性だしネガティブな私。主治医は『ネガティブじゃなくてリアリスト』とおっしゃったけど。。。 いやー、心配。 ほんとかな?ほんまに腹膜播種なかったんかな? 初発より再発の方がショックを受けるんやろうな。と、今からそんな心配? でも、頑張ろう。 家には待ってる家族がいる。 早く退院して、次につなげれるように頑張ろう。 写真は最近はまっている、公園での4つ葉探しでゲットした4つ葉さんたちです。 ママ友は5つ葉だけじゃなくて、6つ葉もみつけてます。 きっと、いいことが起こる‼️と思って始めた4つ葉探し。 皆さんにもいいこと起こりますように‼️
-
なおこ(57)
神奈川県 / 膵臓がん / ステージ4日記
初めての投稿です。
はじめまして。治療の先輩の皆様、よろしくお願いします。 今年1月の人間ドックで「膵嚢胞の疑い、要精密検査」と知らされ、2月から超音波内視鏡等、様々な検査を受け始めました。 3月に検査入院をして、膵臓に入れた管を鼻から出し、24時間膵液を取り続ける…という検査で膵臓がんと分かりました。 膵臓がんは見つかりにくいそうなのですが、ステージ1で見つかり、術前抗がん剤もなく、すぐに手術をして頂けることに…。 4月1日に告知を受け、一旦は4月26日に手術と決まったものの、手術予定の病院の看護師さんのコロナ感染発覚…手術延期となり…。 膵臓がんは進行が早いとのことなのでドキドキしましたが、5月2日に手術して頂くことができました。まるでジェットコースターに乗ったような気分でした。 今は漸く1ヵ月経ち、お腹の不調も治まりつつあります。これから、再発リスクを下げるため、初めての抗がん剤スタート…どんな副作用が出るか、またドキドキの日々です。 私の一人娘は自閉症で、年齢は25歳なのですが、知的発達、心の年齢は7、8歳くらいの感じです。 今まで夫と私の母で溺愛しながら育ててきましたが、夫は私より9歳年上でもう初老にさしかかり、母ももう86歳と高齢で…。 膵臓がんは再発リスクが極めて高いとのこと… 私が再発したら、娘はどう生きていくのか…考えると、泣くまいと思ってもやはり涙が出ます。 娘は私の長い入院期間、寂しさに耐え、ママの病気は治った!と思っています。 再発したら…と思うと怖くてたまらないのですが、一方で娘と笑顔で楽しく過ごしたいと思う気持ちも強く…心が揺れ動いています。 昨日会員登録をさせて頂いたら、早速応援を頂き、すごく励まされました。 本当にありがとうございました。
-
k00ji_cancersurfer(39)
新潟県 / その他 / ステージ3日記
EXTREMEな、がんサバイバーの約半年間の活動の軌跡
昨年11月頃より術後の晩期障害で体調を崩してしまい、更に辛い思いをした自身の経験を、逆に誰もまだ経験したことが無い経験と無理やり感はありますが、それでもポジティブな考えに転換しSNSでの情報発信など自らチャリティー活動に取組んで、勿論周囲の協力やサポートも得ながら、克服までとはいきませんが癌と共存して辛い過去をバネにしてここまで乗り越えてきました?✨ . (ここ最近も「何故わざわざ病気の事をお前は話さなきゃいけないのか」や「お前がやってる事はただの綺麗事」と回答に詰まる言葉を受ける事が度々あります?) . . 確かに自身の辛い体験談をグッと胸に秘めて強く生きて行く人もいますし、私の様に発信したいという人もいますし、ただただ不安を抱えている人、不安を抱えて辛い思いをしてる人などそれぞれで、間違いか正解なんか私にもわかりません。 . ただ希少がんの情報やAYA世代や働き世代の方のがん、がん患者のその後のアフターライフ事情についての情報というのは圧倒的にまだまだ不足していて、そこに着眼点をもちフォーカスしようとしている個人・法人・団体はいます。私もその1人です。 . . ■ 私の具体的な活動の内容 非常に悪性度の高い希少癌に罹患した自身の闘病経験を活かし、AYA世代・働き世代へ向けての情報発信や講演会、インタビュー活動 . . ■ 私のこれまでの実績や成果 2019年11月 SNSにてがんに関する情報発信をスタート、NPO法人がんノート公開放送の場にて一般社団法人がんチャレンジャー理事長、花木氏と出会う 2020年2月 NPO法人がんノート 番組出演 2020年3月 NPO法人キャンサーペアレンツ 闘病記インタビュー 出演 2020年4月 一般社団法人がんチャレンジャー発行の「寄り添いガイド」制作に協力 2020年5月 出版社 株式会社ZINE様 がん患者向け医療関連記事作成の協力・取材協力 2020年5月 情報・通信業 株式会社 日本総研様 がん罹患者向け新規事業立ち上げに関する取材協力 2020年5月 株式会社 広報しえん様に「寄り添いガイド」を受け取って頂きました 2020年6月 株式会社 バイタルネット様より「寄り添いガイド」のご依頼を頂きました 2020年6月 あおば社労士事務所様に「寄り添いガイド」を受け取って頂きました 2020年7月 AYA学会と新潟県立がんセンター主催のセミナーにて登壇予定 . . ■EXTREMEながんサバイバーの私が今後お役にたてそうと思うご相談分野 がん罹患者や医療関係者の方々への情報提供およびサポート、記事執筆活動やセミナーの協力等…?? . . 今の時代って、コロナウイルスの流行によって、病気に罹患した人だけでなく患者を支える医療従事者の方々もまた大変な思いをしていて、私も支持者として協力させて頂いている一般社団法人がんチャレンジャーの最大のミッションである「人が人に寄り添える社会を目指して」はとても重要視されてくる時代に突入していくと思います? . そんな社会を一日でも早く実現できる為にお役に立てる様なことがありましたら是非、御用命の程を宜しくお願い申し上げます‼️??♂️ Instagramにて動画もアップしてますので宜しければご閲覧ください? https://www.instagram.com/cancer_surfer_73norigram
-
nishizoo(64)
三重県 / 非ホジキンリンパ腫 / ステージ4日記
R-CHOP終了
本日8回目のリツキシマブ点滴を終了、これで一通りの抗がん剤治療は終了し、1か月後の血液検査と2か月後のPET-CTを待つことになりました。半年間自宅療養と治療を繰り返した日々に一区切りがつき、ほっとした気分です。 コロナの終息とともに日常が戻ってくることを願っています。
-
かおる(43)
福岡県 / その他 / ステージ4日記
ローストビーフと指輪(放射線スタート)
予約時間が近づくと、放射線技師の方から改めて丁寧な説明があり、「66Gy」ということが分かりました。 これから30日間です。 そこで「20日にお面を作らせて頂いたんですが、今日はあの時より更にきつくなっています。」と言われたので、型取りの時に数秒パニックになった話をすると、 隣から夫が「穴を開けたり出来ないですか?」と。 (「日記に不安なことを書いたら、鼻と口に穴を開けてもらえたよとアドバイスを頂いて気持ちが楽になったから、今後またパニックになったら相談してみる。少し緊張取れたよ。」と話したばかりでした。) 技師さんから「前回は急に型取りと言われて、きっと緊張されていたこともあると思います。穴は開けられるのですが、位置がずれると困るので眉間と鼻と顎は固定したい。ただ、少しでも楽に治療を終えて頂きたい。様子を見ながら調整していってもいいですか。」とお返事頂いたのに、いざ時間になって看護師さんに案内されたら、技師さんが口のところに穴を開けて下さってる最中でびっくり!! いずれもベテランという感じの技師さん1名、看護師さん3名が、マスクを被せたり頭部を手で微調整したり…「きつですよね」「きついですよね、少し緩めますからね」「もしかしたらこのまま頑張れそうですか?」「それならこのままに越したことはないので良かった!」と。 おそらく前回「息が吸えない」と思ったのは顔面だけでなく喉や胸元の圧迫感という実感があったのですが、今日は前回よりきついはずなのに、「やっぱりこれ以上無理に吸おうとしたらパニックになりそうだから、浅くこのまま。」とコントロール出来ました。 経験と口の開放感のおかげ!! その後、声をかけて部屋を出るとアベマリアがワンフレーズほど流れ、機会音もたっぷり聞こえ、ライト照射! いよいよなんだな、と、思った時に、お会いしたことないのにCPの皆さんの存在を感じて、すごくエールをもらっている感覚でした。 「みんながいる!」と新参者のくせにすごーく力を頂き、この照射で癌細胞消えて!と念じながら、自分の体にエールを送りながら、そろそろ終わりかな?と思ったところで、 「それでは調整が終わったので、これから照射に入りますね」 ∑(゚Д゚)フライング念力!! 話には聞いていたけれど、調整ってこんなに長いんですね(〃ω〃) 2回目の自己暗示をかけながら、照射終了。 勘違いのせいで長く感じましたが、テキパキ着替えて「お面の型がついちゃってるけど取れるからね笑」「こんな感じだけど大丈夫だった?」と次々声をかけて頂きながら 「大丈夫です!全然問題ないです!」 と大股に部屋を出て、更に技師さんから 「目のところにも穴を開けますか?随分開放感が得られると思います」 「デメリットは?」 「ありません」 との事だったので、明日から「照射中、目を開ける派」になるかもしれません。 治療が終わったら遅めの昼食を取る予定でしたが、何だか胸焼けが… 明らかに口数が減り、心配する夫に「お昼を食べてないからかも。」と言われ、会計や書類受け取りや何だかんだ終わって15時にようやくお昼。 翌日以降久しぶりに大学病院まで自分で運転するので、帰りは3ヶ月振りに病院からの道を運転させてもらいました。 帰宅すると、倦怠感、微かな喉の痛み、頭痛、胸焼け。 ちょうど息子が眠ったところだったので、一緒に隣で眠らせてもらい、1時間に娘に起こされた時には少し楽に。 しんどいけれど、午前中時間切れで夜出直すからと診察を伸ばしていたリハビリの病院へ送ってもらい、帰宅したら夜。 全然食欲ない… 船酔いした時みたいな、つわりのときみたいな、ずーっと引かない安定した胸焼け。 よりによって今日は、私が夫に「放射線治療の前に食べたいものは?」と尋ねられる度にリクエストしていた大学病院前のお店のローストビーフを、夫が予約して取りに行ってくれたのに… 入院中の絶食期に書いた食べたいものリストにも挙げていたローストビーフなのに… 入浴したら少し楽になり、まさかたった一回の照射で疲れるとは思ってなかったので内心凹んだけど、「喉の痛みで食べれなくなるまでは頑張らなきゃな」とあがると、夫も母も食卓についたまま口をつけてない! 分かりやすく凹んでいる。 私が落ち着いて食卓に座るのを待って、「冷めても美味しいね。」と言いながら食べたローストビーフ。 一晩眠ると胸焼けがなくなり、喉の痛みと倦怠感だけに。 午前中も母に子供たちをみてもらって1時間ほど昼寝。 実は放射線は関係ないかも。退院してから毎日チャンスさえあれば1〜2時間眠ってしまう。夜も眠っているのに… 2日目の今日は、あっという間。目が大きく開いていたので何でも見れるし、息苦しさもずっと楽に。 昨日の様子を話すと、 「副作用とも緊張のせいとも言い切れないのですが、本当に個人差があって、そういう方もいらっしゃいます。船酔いのような。」 「一緒です!」 「2、3日で慣れてきます。横になると感じにくいようです。」 1回目から変化を感じる人もいるんだな、という安心感に、昨日ほど急には感じない吐き気。 昨日より短く感じた治療時間に、開放的なマスク。ありがたい… 1日目昼食(照射1) ・飲むヨーグルト ・ハムサンドイッチ一切れ ・シュークリーム 1日目夕食 ・ご飯 ・サラダ ・念願のローストビーフ ・ポテト 2日目朝食 ・ご飯少量 ・味噌汁(人参、小松菜、麩) ・生卵とひきわり納豆 2日目昼食 ・ご飯少量 ・ローストビーフ2枚 ・ポテト少し 昼前に大学病院に行く時、折紙で(ほぼ夫が)作ったエメラルドの指輪を娘が私の小指にはめてくれました。 放射線科の前の歯科で、荷物を降ろした際、指輪が落ちてしまい、衛生士さんもいらっしゃるしおそらく鞄の中だろうと思って後で探すも見つからず(涙) 帰宅して「指輪はー?」と無邪気に聞いてくる娘の両肩を持って「ほんとにごめん!」と訳を話すと、「なんだ、大丈夫!また折ってもらったらいいんやから!謝らんでいいよ。」と。(夫に謝るべきやったんかな笑) 昼寝していると、「ママ、指輪だよ!」と起こされたのでした。メッセージに眠気も吹っ飛んだけど、その後母宛のを読んだら「く」が頻繁で難解度が上がってました(о´∀`о)