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ハムだぁ!(43)
滋賀県 / 肺がん / ステージ4日記
闘う男
男には 喧嘩をしたい男と 喧嘩をしたくない男がいる 私はどちらかというと 喧嘩をしたくない男の方であり 喧嘩をしないように 局面でうまくすり抜けていたように思う とかいう私は一度喧嘩をした というより小学校低学年の頃 最初で最後の喧嘩で失敗した その話からはじめましょう 私はその当時、若年性の遠視によって目が悪く ケント デリカット氏のように 目が大きくなるメガネをかけていた。 (当時はゲームをし過ぎていたこともあってか 先天的なものもあってか目を悪くしていたが サッカーを始めた頃から治ったので 今は目は良くなりメガネをかけていない) 当時それが少しコンプレックスでもあり 私はメガネについて 何かいじられるのが嫌であった。 そんなある日 コニシ君から(あえて固有名詞を使わせてもらいます。) 「メガネ猿ぅ」と 私にとって痛い言葉をくらった その言葉が発せられる前後関係はよく覚えていないが その言葉でメガネの私は、腹が立った カッチィーン 日頃穏やかな少年も この時ばかりは 頭にきて なんだと このやろう 決闘だ 決闘ッ おらおらおらおら と鼻息フンフン イキりたった私は 喧嘩モードにスイッチON 相手もかまえて いざ喧嘩が始まるぞ という教室 「あら、男同士の闘いかしらん」と ギャラリーである女子も集まってきた これは、男同士の闘い 女子諸君は入るべからず と さぁ喧嘩だ 喧嘩 私は先制攻撃を繰り広げるべく 蹴りを一発 コニシ君にオミマイだ!と思い切った しかし、その蹴りは思い切った力とともに 大きな空振りをして、コニシ君の体ではなく 空を切っていた。 あれれれぇええ と そのまま、私は体制を崩し 後ろに大きく倒れた ゴン あろうことか、私は喧嘩を仕掛けて数秒後には OHP シートを映写する機械が入った 大きな金属製のボックスに角に頭をあてて うずくまっていた 頭が痛い 手をあてたら ちょろっと血を流しているではないかッ! 血を見た瞬間に私は 「わあぁああああ」と泣き始め 喧嘩終了ッ なんと情けない喧嘩 これほどまでに短い喧嘩もないだろう かつ、相手は何もせずに終わる喧嘩も珍しいだろう コニシ君がその時どんな顔をしていたかは 私は知らない 先生の軽自動車に乗って 病院に連れていかれる私 病院から帰ってきた私の頭には メロンなどの果物に被さっている メッシュのようなバンドが付いている メロンメッシュバンドを付けた メガネ猿の再入場である 帰ってきた私に 成り行きを知らない友達からは 大丈夫?どうしたの?と 心配をかけられ 成り行きを知っている 声をかけてくれたクラスの友達の顔は やや半笑いだったと思う (これは記憶にない) その後、喧嘩相手のコニシ君とは 仲直りもせず 口もきかなかった そうこうしているうちに コニシ君は転校していき 学校からいなくなった 喧嘩別れというのか 何といったらいいのか分からないが 小学校高学年と時間が経ってから 少しだけ大人になった少年の私は 思い切って年賀状を出して 彼に謝ったことを覚えている その後、中学校の間ぐらいまで 年賀状だけでの やりとりをしていたコニシ君 お互いに成長して、いつのまにか 年賀状もやりとりせず 疎遠になってしまったけど どうしているかな? 私の最初で最後の喧嘩相手 コニシ君 最初で最後の喧嘩によって 私は喧嘩をするべき人間ではないと 小学校低学年で考え改め 喧嘩をしない人間に育っていった 出来るなら喧嘩になりそうな局面を瞬時に察知し、 その局面で違うアイデアを提案し切り抜ける 危ない局面から逃げる 私は小さな時から喧嘩をしないように あの時のような目にあわないようにと… しかし 男の人生において 真っ向勝負が必要な時もあるだろう 人間相手の殴り合いの喧嘩の闘いだけでなく 仕事におけるロジカルな大人の闘いもあれば このように病気との闘いもそうだろう もちろん、必要な時は覚悟して私は闘う がんにおいても 私の体の中での闘いともいえる 考え方としては がんと闘わないで共存していく という考え方もあるだろう しかし、実際は がん細胞が成長しないように 細胞レベルでの攻防は がんを患っている人だけでなく あらゆる人の中でも、 日々、起こっていること なので、 私たちの体の中では 細胞同士が闘い続けている バランスが崩れて 大きくなったり、浸潤したり 転移したり、再発したりする がん細胞 さぁ私の免疫細胞たちよ 是非ともズッコケて がんぼっちに半笑いされないように 頑張ろう とにもかくにも 手術が もうすぐそこだよ 私の闘いは続く 私、ハムだぁ!のブログは以下になります。 興味がございましたら、こちらもどうぞぉ https://ameblo.jp/hamk23
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パジ(48)
新潟県 / 胃がん / ステージ4日記
人生の最期、どう生きるか
春ウララの本日午後、「人生の最期、どう生きるか」という、なんだか暗〜いテーマのシンポジウムに行ってきましたよー 20年前くらいのベストセラー「病院で死ぬということ」の著書、山崎章郎さんの講演に惹かれ参加。この作品はたしか大学生の時に読みました。内容はすっかり忘れましたが、号泣したことだけ覚えているという? 講演はというと、お話は面白かったけど、普段から自分の最期についてそれなりに考えているがん患者3年生にとっては目新しいものは特になく。前から漠然と考えていた緩和ケアについて、元気な今のうちに具体的に検討しはじめようかなと思いました。一緒に参加した妻は現実を客観的に突きつけられ、途中からしくしく泣いていました?
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ゆき(55)
山梨県 / 乳がん / ステージ1日記
お雛祭り
今日は、お雛祭りですね。 女の子のいない我が家ですが…。 8年前のこと… 一人っ子の息子…兄弟がいる家庭がうらやましいなぁ〜いつも母親の私がそんなふうに思っていました。息子は、寂しいだろうなぁ〜そんな時、女の子のワンちゃんに巡り合いました。運命的な出会いを感じ…すぐに家族に迎えました。 小学生の時に息子にねだられたけど、余裕がなくて飼えなかったワンコ? やっとワンコが家族になりました。 寂しかった我が家が一気に明るくなりました。 大事に大事に育て、人に優しいワンコになりました。穏やかな性格は家族を癒やしてくれる大切な存在です。 人間息子。ワンコ娘。大事な家族です。
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ハムだぁ!(43)
滋賀県 / 肺がん / ステージ4日記
おしお事件
タイトルの「おしお事件」とは 以前に世間を賑わせた「押尾」学氏の事件ではない。 我が家に起こった「お塩」にまつわる事件の話である。 私と妻はそれほど喧嘩をする方ではない。 たまにお腹が減るとお互いにイライラして 何を食べるのか?とか とても小さな事で喧嘩することはあっても 取っ組み合いや殴り合いの喧嘩をするような 暴力的な夫婦ではなく、実に平和的な夫婦だと思う。 しかし、私ががんを患い、一度喧嘩をした。 というか 今となっては、私が悪いことに 間違いないことに気づいているのだが 今日はその時のお話をしようと思う。 がんを告知されてすぐに取り入れたのが 標準治療ではなく、この食事療法だった。 (治療計画を練っているところだったので 「やれることから始めよう」ということで 本やネットの情報を頼りに すぐに始めたのが、食事療法だった) しかも、その食事療法は かなり厳格で今よりももっと制限の キツイものを行っていた。 何故なら、本から得た知識によって その食事療法によって がんが住みづらい体になるから… がんがそれによって消えていくかもしれないから… と大きな希望を持っていたからである。 「何が何でもやったるねん」と 意気込んでいた。 私は、必死だった。 まだ死にたくないし、 がんをやっつけてやると… (もちろん今もあきらめてませんよ やっつけること そして、共存していくこと) 塩に関しても ほぼ無塩に近づけようと 私はストイックなまでに制限を課していた。 さて、そんな大きな野望をもっていた 私なんですけど ダイニングテーブルに座り 治療について、勉強をしていた ある夕方のことである。 妻が私の後ろの方で 夜ご飯の準備をしている時のこと そんな時だ 「ガリガリガリっ」 これは我が家のキッチンにある 岩塩の入ったボトルで塩を削る音だ 私はすかさず 「それ何?塩?」 と 言い放つ (しかも、言い方が非常に悪かったと思う) 少し時間があっただろうか 妻はかなり怒った様子で 「そんなん言うんやったら もうご飯作らへんっ」 と ……… せっかく食事を用意してくれているのに 下の子をおぶって長時間あやしながら 食事を準備していたのに 塩をちょっと削って入れただけなのに (後で分かったのだが、大きな鍋のスープに 味見程度に入れただけのこと) 何も見ずに音だけで反応して 言い放たれた私の厳しい言葉に 非常に腹が立ったのだ。 そら、そうである。 塩をちょっと入れるぐらい いいじゃないか そこまで言われたら食事を準備する気も失せるし 何よりもその言い方はないんじゃないか 今となってはそう思う。 でも、私もその時は意地になっていた。 「塩を体に入れることは がんを育てることだ」 それぐらいに塩を避けていたし ガッチガチに頭がそっちにいっていた。 だから、私も 「悪いことを言ってないもぉん」 と意地になり 2階に逃げていく妻をほったらかしにした。 どれぐらい時間が経ってからだろうか 私は2階にいる妻のところにいった。 意地になっていた私も謝るわけでもなく とりあえず向かった そして、そんな私に妻は 「自分に焦点あてすぎやっ」 と言った。 私は今でもその言葉を よく覚えている。 「あぁ、妻にも見離されたかな」 とも思った。 がんになったことで 自分のことばかり考えて 妻のこと、家族のこと、周りのこと 全然考えられていなかったな と 非常に自分が情けなかった その日の夜、家の周りを一人徘徊した ちょっとした「吾輩なりの家出である」 とか思いつつ 「もう家に帰らないでおこうか」 とも思いながら 近くの琵琶湖まで歩いた… ただ、2月の寒い夜 薄着でしかも裸足に突っ掛けで出たものだから 寒くてしょうがない そうそうに家に戻ったのだ… そのあたりの考えを変える早さも 私の良いところである その夜は妻にゴメンとも言えず お互いにその日は何も言わずに 私は下のリビングのソファで寝た。 でも寝付けなかった 今の思いを手紙にして書いておいた。 ごめん、言い過ぎた と そこまで言わなくてもよかったこと 病気のことで必死だったこと ただ、今後も食事は大切だと思うから どうかサポートをお願いしたい と そんなことを書いた 次の日の朝 それを妻は読んで 許してくれた 食事療法は厳格にすれば厳格にするほど 我慢や負担がかかることもあります。 もちろん、それによって病気が治るかもしれない ただ、私の場合、やりすぎて それが逆に負担になり 美味しいはずの食事が我慢の食事になり 体が欲しいと言っているのに それすらも聞き入れない状態にもっていってたと思う。 しかも、それを続けたからかどうかは分からないが 心タンポナーデにもなってしまった。 それほど急成長しているがん細胞ではないようだが どうやら悪さをしている。 何が原因かは分からない。 ただ、食事に関して、急に今までと違う食事に変えたことで 私は我慢していたのは事実だ だから今は、当初よりは少しだけ緩めた 食事療法を行っている。 行いながら体の調子もみて、進めておこうと思う。 極端に無塩とか無糖とかの方向に走るのではなく 程々にバランスよく栄養をとることを大切にしたいなと 自分なりの食事、家族それぞれの食事があると思う 基本的には栄養バランスのとれた 出来るならばバリエーション豊かな 楽しい食事が出来たらと思います。 そんなことも教えてくれた これが我が家のおしお事件である。 お塩の取り扱いにはくれぐれもご注意を…
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ゆき(55)
山梨県 / 乳がん / ステージ1日記
3月です。
おはようございます。 3月に入りましたね。 ハウス桃のお花を頂きました。 皆さんにお裾分け? お水をせっせと変えるとたくさんのお花か咲くそうです。 がんばって満開にしますね?? 今日も1日がんばりましょうね。 がんばりすぎな人はがんばらないで〜。 心と体の声を聞いてあげましょうね?? では、またね??✨
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ゆき(55)
山梨県 / 乳がん / ステージ1日記
体調不良続く?なぜ〜
皆さんこんにちはー(^^) 体調はいかがですか? さて、私具合が悪いです。 春先のストレスが始まりました。 確定申告疲れ〜年度切り替え疲れ〜 不安な事だらけ〜 そだね〜ってカーリング女子のまね〜。 あ〜体調不良なかなか良くなりません。 喉が締め付けられる感じがたまらなく嫌だ〜。 咳も治りそうで治らない。 肺が苦しい。 はぁ〜また病気が増えたかな〜? 早春なのに〜気分が上がらない。 お昼だけど、とりあえずお風呂入って寝よう。 明日、病院に行くか〜。
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moko☆(47)
山形県 / 乳がん / ステージ4日記
今度は子宮頚がん!?
先日年一回受けている婦人科検診を受けて来ました。 子宮頚がんの検診は補助が出て無料ですが ホルモン療法をしてるので体がんも有料で一緒に診てもらっています。 まず、毎年受けていた婦人科の医院が 今月いっぱいで閉院と言うことにショックを受け… 検診を受ける日にちが2/9までだったんですが 行ったのは2/19…(^^;) それでも診てくれた先生に感謝感謝でした! でも…2/24に頸がんの結果が郵送されてきて… 「要精密検査」の文字((((;゚Д゚))))))) この後に及んで子宮頚がんまで発症!?と不安を覚えつつも 今日体がんの結果を聞きに行ってきました。 (頸がんは結果郵送まで補助対象らしく郵送で来ますが 体がんは直接結果を聞きに行かなければ行けない… 聞きに行くんだから郵送しなくてもイイのに思いつつ…) 本当は頸がんの精密検査は閉院するから他で受けてと結果の方には書かれていたんですが 精密検査もしてくれることに。 ちなみに体がんの方は異常なしでした! 子宮頚部の方は「ASC-US」 というちょっと正常より異常になっちゃった的な結果。 次の検査で正常に戻ればいいけど どんどん異常に進んでいくと困るという状況らしいです。 で、コルポスコピーという検査を受けた結果 「NCF」の正常所見という結果でした。 今までは検診は一年ごとで良かったんですが 次からは半年ごとに受けて下さいという事でした。 ホルモン剤の副作用に子宮がんもあるだけに 気は抜けませんが、とりあえず様子が見れて良かったです。 今年になってから本当に色々とあります…。 でも、いろんな痛みはだいぶ落ち着いてます〜!
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まっちゃき(55)
東京都 / 肝細胞がん / ステージ4日記
2回目の投稿も告知ですんません(汗) お父ちゃん、お母ちゃん、中年世代の応援求む!
幽霊会員まっちゃきです。 こどもに「残す」意味でここにおバカな告知を書かせていただきます。 2016年11月にがん患者・経験者から「これからがんになる(かもしれない)人」に向けて発信する ドヤフェスなる大真面目に不真面目をやる音楽イベントを主催しております。 今まで4回ほど開催してきて、多くの方たちに参加いただいております。 4月29日に第5回ドヤフェスを新宿で開催することになりました! 今回のコンセプトは若者たち世代(AYA世代)とお父ちゃん、お母ちゃん、中年世代(DOYA世代)※ドヤフェスの造語です(汗) が一緒に楽しめるイベントをしたい!という思いから企画しました。 …というと何かお真面目に聞こえてしまいますが…主催の僕、まっちゃきが AYA世代ばかりいろいろ支援しやがって!こちとらおっさんじゃ!タッチの差でAYA世代に入れなかったらこんなに扱い違うのか? おっさん世代もいろいろ大変なんやで~、それでも中年世代は「どや?」とドヤ顔して頑張っとるんや←だから「DOYA世代」なのです(汗) とひがみ根性丸出しでいた時、ふと「何だかがんの種類がどうとか、世代がどうとかで分けないことが必要なんじゃないか?」 「それぞれカテゴリーによっての違いがあったとしても、何かの時にはそんなバリアをなくした方がいいんじゃね?」 と考えて「よし!AYA世代とDOYA世代の紅白歌合戦みたいなのをやってみよう!」というのが本当のところです。 今回はAYA世代から「麻美ゆま」さんと「JILLE」さんをお招きしており、DOYA世代から1回目から全部来ていただいている 「ギターパンダ(山川のりを)」さん←(ex忌野清志郎&2・3’s)と「サルサガムテープ」←障害を持った方とそうではない方が 分け隔てなく一緒に音楽を奏でるすごいバンドです!元ブル―ハーツのドラム梶原さん在籍でも知られています。 他多彩なゲストで開催します。 すでにチケットはチケットぴあにて発売中なのですが、いざ発売された今、僕は猛烈な不安にかられています。 「今まではDOYA世代のお客さん、リピーターのお客さんに支えられてきたけれど、今回AYA世代の若者が大挙して押しかけてきたら? チキンな僕はすっかり飲み込まれてしまうのではないか?」 「AYA世代がやがて中年になった時、AYAを卒業してDOYA世代に入りたい!と思ってもらうには、全然力が足りない」 と思うのです。 そこで!どうかこれを読んでくださったとても心の美しいそこのあなた! よろしかったらゴールデンウィークに入ったばかりの4月29日にドヤフェスに参加して、DOYA世代のサクラをやってはくれませんか? 今回は地方の方も東京に遊びに来たついでに立ち寄れるように新宿で開催します。 今からゴールデンウィークの予定のたった一日で結構です。お時間ありましたらどうぞ。 ネットで「ドヤフェス」と検索していただければわかりますのでどうかよろしくお願いいたします。 長文失礼しました。 まっちゃき
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かずえ(46)
岩手県 / 大腸がん / ステージ4日記
余命半年
右腕の麻痺が重いため、症状緩和の目的で放射線治療をする事になった夫。 2月13日から2週間の予定で入院し、計10回全脳照射をしました。 入院初日、夫はすでに右足にも麻痺が出始めていて、病院のロビーで転倒させてしまいました。 脳の腫瘍自体は小さいけど腫瘍の周りの脳のむくみが大きく、そのせいで神経が傷ついてしまって右半身に麻痺が出たようです。 先日主治医から病状説明があり、麻痺は回復しない、と告げられました。 その時に余命3~6ヶ月くらい、とも言われました。 右の肺がもう機能していなくていつ呼吸困難になってもおかしくないそうです。幸い夫はまだ息苦しさは全く訴えませんが。 夫は家に帰りたいと言いますが、右半身が動かない夫の世話をするのは私一人。さらに子育てもあるし私が働かないと食べていけません。 私の母は既に他界しており姉や父はいるけどあまり頼りにならない。 夫の母親には「役立たずで申し訳無い」と泣かれました。 毎日泣き暮らしているらしいです。 手助けしてくれる気はないわけね。 目の前で泣かれても、わたしゃ~どうすりゃいいのよ…? 冷たい暗澹とした目で姑さんを見てしまう私は冷たい人間です。 周りの人達から突き放され見放されたような、絶望的な気分です。 毎日淡々と仕事へ行き、昼休みに介護の申請に行ったり障害年金の等級変更について調べたりと、慌ただしく毎日が消化されていきます。 夫を家に連れて帰るのか 余生を病院で過ごさせるのか の、選択は棚上げされたまま…。
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Boochanz(46)
岐阜県 / 乳がん / ステージ3日記
緩和ケア
昨日は 骨シンチ検査の結果日でした? ある程度 覚悟をして病院に行ってきたのですが 結果としては 骨転移はしていないと 一安心しました? ただ やはり 痛むので 原因は❓って 先生に聞きました? 放射線治療を受け終わってから 2か月弱しか経過 していないので 晩期型で 痛みが出たのでしょう とのこと? 先生には この痛み いつまで続くのか❓ と 聞くと 無回答??? そこで 先生が言ったのは 緩和ケア 受けましょう❗️予約を入れますね❗️ …… なんだか 複雑な心境です?
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moko☆(47)
山形県 / 乳がん / ステージ4日記
レトロゾール(フェマーラ)の副作用?
なかなか雪が溶けて来ない…春が来ないな〜と 思ってましたが 確実に夕方暗くなる時間は遅くなってるので 日が長くなったな〜と日々感じている今日この頃です。 最近は、背中の両肋骨付近と膝の関節痛に悩まされてます。 骨転移の痛み?と思ってましたが 一昨日、いつも朝に飲むレトロゾールを うっかり飲み忘れ(おい!) 夜に内服したんですが、 飲み忘れた日と次の日の膝や背中の痛みが なんか楽だったんです! 副作用に関節痛とあって 主治医からも朝の関節痛あると思うから 関節動かしてね〜とは言われてましたが… で、一昨日から夜に内服してますが 今日の朝は再び特に右膝痛が強く 背中の痛みも復活。 副作用っぽい気がします。 ホットフラッシュとかは無いし 関節痛も痛いけど痛み止め飲めば自制内レベルなので 次の外来で相談してみるけど継続でしょうね〜。
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とっしー(48)
茨城県 / 肝細胞がん / 寛解日記
1/2成人式
娘の授業参観に行ってきました。 小4の娘のクラスは「1/2成人式」を行いました。 生徒一人ずつ親の前に出て、作文を読みました。内容は、 ①生まれた時の私 ②今の私 ③20歳の私 ④親へ 以上の流れで読み上げるのですが、発表する子の赤ちゃんの時のスライドを流したりするので、親からすると感極まって涙腺崩壊状態続出でした。 さて、うちの娘。 「小さい頃はおせんべいが好きで、たくさん外で遊びました」→そうだね。今でも外遊び好きだもんね。 「今の私はプールを頑張ってます。長所はメンタルの強さです」→確かに。プール頑張っているね。気持ちも強いもんね。 「20歳の私は看護師になっています。私のお父さんは25歳の時がんになりました。今は元気ですが、がんで大変な思いをしている人たちに寄り添える看護師になりたいです。」→言っていることは立派。ん?看護師になりたいのは知っている。でもその情報、授業参観で言っちゃう⁉生徒だけでなく、親もいる前でパンチの効いた情報放り込んできよった! さすがに、教室が若干どよめきました。 確かに娘はキャンサーフォーラムに連れていったり、多くのサバイバーの方に会ったりしているので「がん」に対し全く抵抗を感じていないのですが、普通に「うちのお父さん、がんですけど何か。」と言っちゃうメンタルの強さには脱帽です。 おかげさまで親の方が動揺し、最後の親への感謝の言葉が頭に入ってきませんでしたが、今のところは子育て間違ってないかなとも思いました。