こどもをもつがん患者でつながろう
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c-hiho(47) 東京都 / 乳がん / ステージ2
日記
2020/1/13(月) →抗がん剤治療⑨から6日目 最近、湯船に浸かっていて思うのは 「この右胸が、もうすぐなくなるんだなぁ」ということ。 なくなった状態を想像するが、いまいちわからない。 私はGカップあるので、片方だけ取ると歩く時とかバランス悪くなるんじゃないかと思う。 だから一応、以前「全摘」の話が出た時は先生に、 この際ガンのない左胸も取っちゃうっていうのはできないですか?と聞いたら 「倫理的な問題でこの病院ではできません」と言われた。もちろん想定内の返事。 でも私は若い時に、この大きな胸がイヤで調べたことがあるのだ。 美容整形外科なら20万円とかで健康な胸を小さくすることができるのだ。 保険を効かせなくていいのなら、倫理は影響しないのだ。 っつーか「倫理」ってどこまでの倫理だ。病院のか、日本のか、世界のか。 「私の」倫理では健康な胸を取りたいと言う気持ちも「倫理的に許される範囲内」だ。 とか、「倫理」の言葉尻をとらえて喚いても何の意味もないことも知っている。 はぁ。 別に、倫理について噛みつきたい訳ではないのに 考え始めるとこんなふうに、違うところに突っ込んでいってしまう。 結局それは、考えても調べても、「私の場合」をうまく想像することができなくて スタートの「いまいちわからない」という状況に戻るだけだからだろう。 未知のものに向き合うということは、こわい。 大人で、きちんと説明を受け、同意書にサインする私本人でさえ、こんなんなのだから、 子供たちは、右胸のなくなった私の体を見たら、どう思うんだろう。 もちろん、当たり前に、絶対に、かなりのショックを受けるだろう。 いくら説明したところで、想像なんてできるはずがないし、欠損という衝撃は大きいだろう。 そのショックを受けた自分を、彼らは私に見せてくれるだろうか。 やさしい彼らは、ショックの元である私に、何も訴えることができないんじゃないだろうか。 それが心配だ。 夫とは話している。でも、彼は私ではない。 自身がショックを与える存在であることの不安や、 彼らの気持ちをぶつけてもらえないかもしれない不甲斐なさを 完全に共感してもらうのはムリなのだ。 もちろん、それでいいし、それだからこそ彼にいてもらう価値は別にある。 でも、 子供たちへの伝え方、その先の寄り添い方については 私たち夫婦には、いまだにはっきりとはわからない。 それでも、 できるだけの説明をして、 できるだけ一緒に想像して、 できるだけ一緒にショックを受けて、 できるだけ一緒に慣れていくしかないのかなぁと感じ始めている。 私たちは、家族だけどそれぞれ別の人間で、 別の人間なのに、一緒に笑って暮らしていきたいのだから。 http://c-hiho.jugem.jp
c-hiho(47) 東京都 / 胸部 / ステージ2
2020/1/7(火) →抗がん剤治療⑧から12日目 最近、味覚障害がキツい。 ちょっと前は「何食べてもあんま味しない」くらいのカンジだったが 今は「何食べてもマズい」カンジになっている。 抗がん剤の影響って蓄積されて変化するものなのかな。 ちょっと前は「まぁ抗がん剤やってる間だけならガマンかな」と思っていたけれど 今は「食べるたびにマズいとかどんな苦行だよ」と憤っている。 だから一人の時はホントどうでもいいものを食べたり食べなかったり。(でも痩せない) だけど、私の職業は専業主婦なので子供たちにも何か食べさせなくてはならない。 ちょっと前は「シチューとか市販のソースで味がつくものを作れば、まぁ大丈夫だろ」と思えていたが 今はそういうものを作っても「こんなマズいもの食べれるの?大丈夫?ホント?」と思いながら出すので、これまた苦行。 ついにはこの日夕食で、以前に作り置き冷凍していたカレーを温めただけにも関わらず 自分で食べたらすごくマズくて、ホント驚いた。 「マズいカレー」って食べたことなかったんだなと気がついた。 子供たちは私が食べないとすかさず「どうしたの?具合悪いの?」と気にするので よく「さっきつまみ食いしすぎたからお腹いっぱい」とかってごまかしているのだけれど この時は直前に「あーお腹空いたね~早く食べよう!」と話していたために マズいからって食べないのも子供たちの手前なんかイヤで 内心で(うう…マズい…マズいカレーってこんなにおぞましいビジュアルなのか…)と思いながら どうにかこうにかごまかして必死に飲み込んだ。 発見「マズいカレーは苦行」。 はぁ~。 抗がん剤はまだ1ヶ月残ってる。キツいなぁ。 前に「味覚障害のシェフは地獄」と書きましたが 「味覚障害の主婦は苦行」ということも明言しておきたいと思います。 http://c-hiho.jugem.jp
2019/12/18(水) →抗がん剤治療⑦−2 診察時、もう一つ質問したんだった。 口腔内の違和感の延長で、 最近どうにも何食べても味がしない。おいしくない。 だんだんその傾向が強くなってる気がする。という件。 先生は 「それは味覚障害。抗がん剤の副作用ですね。つらいけどやめたら治るはず。」だって。 ちなみにその後の化学療法中にナースと世間話でその件を言ったら 「亜鉛をとるといいとか言いますよ。あまりに辛かったらお薬出すとかもあるかも。」と教えてくれた。 今のところ、抗がん剤を使ってる間だけの副作用なら、まぁ我慢するかなって思ってる。 おいしくないだけだから。 だけど、この「おいしくない」って。長く続くとけっこう苦痛。 毎日毎食、1日3食+おやつのその全部がおいしくないの。 お腹は減るし、嗅覚はフツーだから「イイ香り~」とは思うのに いざ口に入れると「ん。ん~?え~?あぁ~?」となる。 そしてそんな状況で料理なんか、自信も無くなるしますます楽しくない。 それなのに自分以外の人のために毎食何か作らねばならない。 これって結構かなりのストレス。 抗がん剤治療も慣れてきたとはいえ、まだ半分。 耐えられるのかなぁ。 http://c-hiho.jugem.jp
2019/12/6(金) →抗がん剤治療④から6日目 脱毛が増えてから、長男とのお風呂は夫に頼んでいた。 とにかくものすごく抜けるので私が自分の作業的に一人で入浴したいのと とにかくものすごく抜けるその様子を長男に見せる必要ないかなという理由。 夫が出張や残業の時は、私は着衣のまま彼をシャワーで入浴させてた。 ついでにその間は家でも、不織布の給食当番帽子みたいなのをかぶっていた。 料理しててもフライパンに自分の髪の毛が落ちてきちゃうような状況だったから。 でも、まだ過渡期ながら脱毛も落ち着いてきて、 これは子供達に途中経過を見せておいた方が良いのではないかと思い始めた。 毎日、茶色の給食当番帽子で過ごしていて、 ある日それを外したら母が無毛になってるのってけっこうショックかなと。 だから、家族と家にいる時は普段も寒くなければ帽子をかぶらず、 お風呂もフツーに一緒に入ることにした。 もうだいぶ髪が少なくなった頭は、お風呂に入って濡らすと今までとはかなり違う。 長男はそれを「だいぶハゲちゃんになってきましたなぁ~」といって見ている。 私は長女と一緒に「そうだね~。だいぶ少なくなってきたね~」と受ける。 キャンサーペアレンツのアンケートみたいなのを見ても 「脱毛」は抗がん剤治療でつらかったことの筆頭だそうだ。 たしかに、治療のせいで外見が変わると言うのは 想像していたよりももう少し、めんどくさくて、つらい。 でも、今はこれが我が家の現実だから。 子供たちにも見ておいてもらおう。一緒に、過ごしてもらおう。 http://c-hiho.jugem.jp
2019/12/5(木) →抗がん剤治療⑤ 今日は朝さらに早く、8:30に長男をお友達の家に連れて行く。 それなのに中央線はやはり止まり、朝の努力は台無しに。 先週のエコー検査の結果が何か聞けるのかもと、夫も会社を中抜けして合流してくれる。 二人で待ってようやく呼ばれ診察室へ。 普段通りの診察はすぐに終了。 先週のエコー検査は…と言うと先生は「あ。エコーやったんだっけ」とカルテをチェック。 確かに代診の先生が入れてくれた検査だったけど。そんな扱い? しかも「はい。ちゃんとやってますね」と終わろうとするので え。先生、2週間前のMRIと比べてガンのサイズに変化あったとかわかりますか?と聞くと 「それはわからないかな。」と軽~く受け流された。 え。左胸にも何かあるからって話は?と畳み掛けると 「それは大丈夫。ガンじゃないね。」だって。 なんか脱力。何のために受けた検査なのかよくわからないじゃないか。 何か聞けるのかもと思って会社を抜けてきてくれた夫にも申し訳ないし。 ってかなんか、こっちから聞かないと進まない会話に腹たってきた。が、ガマン。 今日はもう一つ聞こうと思って来たのだ。 先生、先週お話しした際に気になったのですが、 今やってる1クールの抗がん剤治療後の外科手術について、 とりあえず全ての可能性を知りたいので「全摘」の前提は一度はずして説明してください。と言うと 「はい。」と、ちゃんとはじめて受診した時のような主治医モードで説明してくれた。 私たちの一番の疑問は「よく効く抗がん剤で限りなく小さくしても全摘」ってなんで?ってこと。 それについては、限りなく小さくって言ってもあくまでも「いろんな画像上で」小さいということ」であって 本当にそこにガンがいるのかいないのかは、摘ったもの全体を検査してみないとわからないことなんだそうだ。 私のガンは見つかった時点でかなり大きかったので、抗がん剤が効いていても 完全に、全ての場所で、いなくなっているか、と考えるとかなり不安が残る。とのこと。 それではと、「再建」を見越した手術を選べるのかという話を聞くと、 もちろん再建はできるのだが、人工物を使っての再建は今ちょうど全国的にできないのだと説明してくれた。 確かにこの夏、保険適応のできる唯一のシリコンインプラントがリコールになったニュースは読んだ。 そうなると「摘出+再建→同時再建手術」はまず無理。 でも、摘出完了してだいぶ経った後からでも再建手術は可能だと聞いて、選択肢があるという意味で少し落ち着いた。 落ち着きはしたので先生には、 よくわかりました。まだ半分以上残っている抗がん剤治療の間によく考えてみたいと思います。と伝えた。 やっぱり先生はすんごく忙しいから、重要性の低い事項についてはちょっと流しがちだけど ちゃんと聞けば、ちゃんと説明してくれる人なんだ。と自分のためにも改めて思うことにした。 が、最後に私が そういえば先週から生理になりました。なんかいつもと違って期間も長く、現在も出血が続いてます。と言うと 「あら。生理来ましたか。おそらく来月は来ないですね。」と先生。 それは、抗がん剤やめたら再開するってことでしょうか。と聞くと 「ん~。抗がん剤やると卵巣が10年加齢したくらいのダメージを受けると言われています。 だから、あなたの場合、42才プラス10才で52才。閉経してもおかしく無いです。」とのこと。 え。そうなんですか?えー。はぁ。そうですかぁ~。なるほど~。と答えた。 そんで来週に話してお礼を言って退出した。 ん?なんかモヤモヤするぞ。 「閉経してもおかしく無い」 そんなん聞いてないんだけど。え。それ最初に言っとくべき項目の一つじゃない? 確かにガン告知時の診察で、全摘も辞さないとともに「もう子供を作る予定もない」と言ったが。 だからって閉経の可能性を伝えないって。それってなんか違くない? なんか。言葉にして人に伝えることでもないが、トイレに行くたびに思い出すモヤモヤ。 先生。先生の診断を信じてがんばりたいと思ってるからこそ。 先生の言葉に、話す順序に、話し方に、こんなにも影響されてしまうんです。 先生を非難してるんじゃなく、ただ、不安で孤独なんです。 ムダ足感の拭えない会社中抜け夫を見送って、いつも通りの抗がん剤を1本。 長男のバスのお迎え時間には小1時間間に合わなそうだったので、長女にお迎えを頼んでおいたものの、 長女は自宅の鍵を忘れていて家に入れず、友人の携帯電話から連絡してきたため 彼女には児童館で待つように告げて、長男を朝もお願いしたお友達に預かってもらえるよう頼む。 みんなに協力してもらって、ようやく通っている病院で 何をできるでもなくただ番号を呼ばれるのを待ち続けるこの時間が、毎週うっすらストレスだ。 http://c-hiho.jugem.jp
2019/11/24(日) →抗がん剤治療③から5日目 髪の毛がすんごく抜ける。 風呂で頭を洗うと何の抵抗もなくスッとどっさり抜ける。 シャンプーしてもすすいでも、リンスしてもすすいでも抜ける。 湯船でゆっくり髪を撫でても抜け続ける。 抜けた髪のついた手を流し続けていると なんだか「羅生門」を思い出す。 老婆が髪を抜いていたのは死体からだった。 生きてる私の生きてる毛根。ごめんよ。また時が来たら思う存分に生えてくれ。 これ、髪の毛なくなったらフツーのシャンプーってつよいんじゃないかしら。 シャンプーって「髪」を洗うためのものでしょ。 ちょっとしらべなくちゃな…とか考えながら、ひたすら流し続ける。 (排水口は乾いてから一気に掃除する) http://c-hiho.jugem.jp
2019/11/14(木) →抗がん剤治療②ー2 そういえば、待ち時間に診察受付の人経由で医療費について聞いてもらった。 前回の「抗がん剤3本の治療で約20万」というのは、 3ヶ月1クールのセット価格なのか?単純に一回分の医療費なのか?という問い。 結論から言うと「単純にその日かかった医療費」だそうだ。 つまり今後も「抗がん剤3本の時はそのくらいかかる可能性が高い」し、 「抗がん剤1本の時はその1/3くらいかかる可能性がある」ということ。 厳密には薬剤の量とかによって変わるので当日しかわからないけども。 えぇぇ? ってかそういうのって最初に教えてくれてもいいんじゃないの? 「このくらいかかりますよ」って言ってもらわないと 治療受けてから「払えないよ!」って言う人いるんじゃないの? はぁ。とにかく。一般論はさておき。 我が家の場合の話をしなくてはならないので夫に連絡。 いろんなところで時々見かけていた「高額医療適用認定証」なるものを とっとと申請してみようという話になった。 我が家の場合、会社の保険組合で手配してもらうとのことで 夫作業で申請し、なるはやで手に入るよう祈った。 その認定証の有効期間が今月頭とかから始まっていれば 先週の分から適応されて、病院窓口で返金を受けることができるらしい。 期間が実際治療した日時より後から始まっていたら、 またその前の部分は会社経由で申請して返金を受ける形になるらしい。 あぁそんなややこしいのはめんどくさいのでヤだ。 11月1日からの認定証が発行されますように。 http://c-hiho.jugem.jp
2019/11/14(木) →抗がん剤治療② 今日の抗がん剤は1個だけ。 席に着くと担当ナースが先週と同じで なんかうれしい。 もう流れは理解してるし1個だけだしヨユー。 が、なんか今日は注射運が悪い日なのか、 血管と点滴の針の角度がイマイチでなかなか点滴が落ちない。スピードが遅い。 おかげで「2時間ほど」だった予定を大幅に上回り、3時間強かかって終了。 長男の幼稚園バスの到着お迎えにぜんぜん間に合わないので 同じバス停のママに預かっていただけるようお願いし、 OKをいただいてから、幼稚園にも電話でその旨報告。 ん~やっぱり、幼稚園のお迎え時間に帰るのは難しいのかな。 預かってくださったバス停ママにもそろそろ言わなきゃだなと思いながら急いで帰宅。 疲れてたけどやっぱりちょっと明るい気持ち。 部屋で本読んでた長女にただいま~と言うと こっちも見ずに「おかえり。どうだったの。」って言うからPET-CTの結果を話したら、 パッとこっち見て「良かったじゃん!」って言ってくれた。 やっぱり彼女も心配してて、でも出さないように振舞ってるんだと思う。 急いでご飯を作って母子3人で食べる。 2人とも競い合うように学校や幼稚園の話をしてくれる。 夫が帰宅。夕飯を温めて出す。 お互いその後に各自で調べた医療費のことなんかを話しているんだが 時々、「はぁしかし、よかった。」と言う夫。 この人自身も顔には出さないけど、きっとずっとこわかったんだなと知る。 ちなみにそれに加えて彼は 「っつーかなんで検査結果伝える時、結論を先に言わないのかな。 結果は転移無し!理由は画像をみてください...って話してくれればいいのに。 ずっと悪い結果なのかが気になって理解しづらいだろ!」って ちょっと怒っててなんかおもしろかった。 なんだかPET-CTの夜以来ちょっと甘えっこの長男とベッドに入るが なんとなくケータイを触りながら起きていると やはりムダに前から持ってるマンガを読んでた夫も寝るようでベッドに入ってきた。 長男を挟んで横になった夫が突然、変に鼻を鳴らしてむせたので 私は大丈夫か~と笑ったが、どうにも彼の様子がおかしい。 暗闇の中で鼻を鳴らし続けている。 彼は泣いていた。 私が彼の背中をトントンしながら、こわかったよね。ありがとう。と言うと 彼は「よかった。」とだけ言っまたむせた。 その後はしばらくしてゴソゴソと鼻をかんで「おやすみ」と言って寝た。 私はまだ、死ぬわけにはいかないのだ。 この人たちを残して死ぬなんてイヤなのだ。 まだまだ一緒に、ぜ~んぶのことを見ていたいのだ。 よかった。ありがとう。 http://c-hiho.jugem.jp
2019/11/14(木) →抗がん剤治療①から7日目 2回目の抗がん剤治療の前の診察と、PET-CTとMRIの検査結果を聞きに診察室へ。 病院に入って自動受付機での受付直後に採血。 手練れなカンジのナースだったのに、針を刺しても血がピューっと出ない。 角度かなんかが悪いらしく刺したままグリグリ動かしてなんとか必要量を採る。 会社を抜けて合流してくれた夫とともに診察室へ。 今日は主治医の先生が不在で代診ってわかってたんだけど、 診察室に入ったら針生検の時の若い女性の先生でした。乳腺外科の先生だったんだ。 まずは、今朝受けた血液検査の結果。 白血球も極端には落ちておらず問題無し。 今日は予定通り抗がん剤②を受けられる。ひとまずホッ。 次に、昨日受けたMRIの結果。胸のガンの広がりを正確に把握するもの。 モニターで画像を見ると、胸にギザギザした白い塊が 左胸にはガンが3個。リンパにもガン有り。 たぶん同じタイプのガン、という程度の認識で進めるんだって。 3個をそれぞれ針生検したりはしないそうだ。 そんで右胸にもガンとは限らないもののなんか小さいのがあるから、併せてエコー検査をすることに。 これの予約がちょっと先で2週間後。 そしてさらに、月曜に受けたPET-CTの結果。 こっちは全身、別の場所への転移が無いかどうか調べるもの。今一番こわい話。 これはなぜか私から で、先生、一番気になってるのはPET-CTの結果ですが?と聞いたら データをポチポチとモニターに出して、 画像の説明から入り「この光っている部分がガンです」と教えてくれる。 なるほど、なんかNHKっぽい。 ってか、すごくいろんなところが光っているように見える…転移だらけか? と血の気が引く。 が、先生は「これをみる限り、別の場所にはガンは見つかりませんね」だって。 え!やった!転移無し!夫の顔を見たらいつも通りの顔だけどちょっと力が抜けたみたい。 でもどうしても気になったので、 でも先生、私にはいろんなところが光っているようにみえるんですが。と言ったら 「それはいろんな生理現象に対しても光ることがあるので、確かに光って写ってはいるもののガンとは違います。」とのこと。 病理の先生の診断も同様に「転移無し」だったことを確認してようやく安心できた。 いつも終始感情的にはフラットな感じでそこにいる先生も ほっとしてる私たちに、明るい声で「よかったですね」と言ってくれた。 先生に言われるとさらに「よかった」に自信がつく。 最後に先生は 「それでは改めて、抗がん剤治療はしっかり続けていくことが大事ですから、 心臓などへの負担を判断してもらうために循環器科の先生の診察の予約をとりましょう」と 挨拶文から始まるメールを書いて、予約を取ってくれた。 今日も我々夫婦は 本で読んだ知識と自分の状況を正しく並べようと ちょこちょこ細かな疑問や質問を口にして先生に聞き続けたが 主治医の先生同様に代診の先生も、ていねいに目を見て 伝わるように考えながら話してくれているのを感じて助かった。 理屈っぽく気の強い私は、不信感に対して挑戦的になりがちなのだけども 相手の誠意を感じると素直に話の内容だけを聞いて対応することができるから この病院の先生方の姿勢と努力はとてもうれしい。ありがたい。 はぁ、しかし。 良かった。 他への転移はなさそうだって。 もちろん絶対なんて無いんだろうけど、でも、 今の私は他への転移が無さそうってことを拠り所にして 今の私の乳ガンとガッツリ闘うだけだな!と気合い入った。 この私のHER-2:type3のガンは90%の人にハーセプチンが効くんだって。 だから、私が90%に入れるよう祈りつつ! この3ヶ月の抗がん剤治療をがんばって受け続けるぞ!と改めて思えた。 はぁホント。とりあえず大きく一個心配してることが否定された。よかった。 http://c-hiho.jugem.jp
2019/11/13(水) →MRI 今日はMRI。 女性の技師さん。 うつぶせになって両胸をそれぞれ足のついたフレームみたいな台に入れ、 立体的に撮れるように、胸をぶら下げた状態で準備した。 説明には聞いていたけど、すごい音。 でもなんか、おもしろいかもと思い始めて どうせ何もすることないんだし目を閉じて聴いてみる。 なんだか「デザインあ」でありそうな音楽に聴こえる。 ま、上海時代の上の階の工事の音にも聞こえるけど。 10分くらい撮ったら、一度機械から出されて、 次は左手の甲から造影剤を流し入れながら再度撮る。 http://c-hiho.jugem.jp
2019/11/11(月) →PET-CT PET-CT検査を受ける。 問診票をナースと一緒に確認。 検査着に着替えて待つ。 ナースのいる注射室に入り100ccほどの点滴をされる。短い。これが造影剤? CTを撮る1時間前を逆算して注射したらしい。 パーテーションで仕切られた大きなリクライニングシートのある小さい空間で 撮るまでまた待つ。 CT自体は長かったけどまぁフツー。 あんまり大きく息しないように、お腹にクッションを巻かれてたけど 寒くないように毛布をかけられて、私はじっとしてるだけだった。 広い部屋の真ん中に清潔でデッカくてカッコイイ機械があって 自分が一人でそれに接していたら、フツーけっこう上がると思うんだけど 今回ばかりはなんも楽しくならないなぁと思いながら眺めてた。 この機械だって、博物館とかでみたらけっこうときめくんだろうけど。 この大きな機械が何をどう撮ってくれたのかわからないまま ただ横たわって撮られた後、元の控え室にもどり、 さらにもう1時間ぐらい休んで放射線量が半減するのを待って帰る。 「放射線半減するまでは帰宅不可。受付の人などにもむやみに接するな。」と 言われるほどの放射線を浴びたんだなぁと思うとちょっとこわい。 帰りの中央線は例のごとく満員電車。 私の前に立って、混んでいることをうっとおしそうにアピールしているおばさん。 ごめん。今の私は放射線量が高いかもしれないのだよ。 http://c-hiho.jugem.jp
2019/11/10(日) →抗がん剤治療①から4日目③ ここ数日、夫婦の間の悩み事である「子供たちへの説明」。 転移についてまだハッキリしないものの すでに抗がん剤も始めているし、とにかく隠してる状況になってるのがなんかヤだ。 だから夫と話し合って、夕飯時にまず一回話してみようと決めた。 映画じゃあるまいし、一回できちんと伝えるなんてムリ。 もう最近はめっきり休日の家事を放り投げているので 夕飯は早めの時間から、近所のお魚がおいしくて空いてる居酒屋へ。 どうやって切り出したもんかなぁと思いながら話していると 昼間遊び疲れてた長男が眠っちゃった。 それではということで、11才の長女に実はと話すことに。 私が先週から病院に行って遅くなったりしているのは病気が見つかって検査や通院をしているからだということ、 見つかった病気は乳ガンで、抗がん剤治療からはじまって外科手術、その先もあるオオゴトだということ、 抗がん剤には副作用というものがあって、来週くらいから髪の毛が抜け始めてそのうち全部抜けるということ。 そして、 ガンはうつらないということ、誰のせいでもなく運が悪かっただけだということ。 長女は特に騒ぐでもなく、はじめて受ける模試の説明を聞くみたいなマジメな顔で聞いてた。 彼女がそんな感じだったから、私も夫も、落ち着いてある程度用意していた言葉を並べることができた。 彼女は特に何か感想を言うでもなく「わかった。」と言った。 その後、しばらく3人で世間話をしていると、長男がむくっと起きたので彼にも話した。 私は治るのに時間がかかる病気になっちゃったということ、 これから毎週、あなたが幼稚園行ってる間に病院に通わなくちゃいけなくなるということ、 治すためのお薬のせいで疲れちゃう日があったり、髪の毛もなくなっちゃったりするということ。 でも、元気になったらまた生えてくるし、私がいない日は夫や他の大人がいてくれるということ。 そして、 ガンはうつらないということ、誰のせいでもなく運が悪かっただけだということ。 長男は寝起き感のある顔のまま「ふ~ん。わかった」と言った。 こっちの意図していることがきちんと伝わってるようには思えなかったけれど、まぁまずは一回目だ。 彼らにそれぞれ、ちゃんと伝わったのかどうかはひとまず置いといて、 言ったことで私の気持ちは少し楽になった。 これで「病院に行ってくる」とか「行ってきた」とかごまかさずに言っても大丈夫になった。 その一方で、子供たちに新しくなにかよくわからない不安を背負わせてしまったような気もする。 ま。我が家は、背負ってもらうしかなくなったのか。 一緒に背負ったまま楽しく暮らす方法を考えようと思う。ホントにものすごく。思う。 http://c-hiho.jugem.jp
2019/11/7(木) →抗がん剤治療① 今日は初めての抗がん剤治療。 中央線が人身事故で止まっていて、予約より前に行くつもりが遅刻確定。ホームで待つ。 病院に到着。診察室前で待つ。 先生、昨日も会ったけれども「体調はどうですか」と大きく聞いてきた。 ん~まぁ元気です。はい。と答えると 「では抗がん剤治療、はじめましょう。がんばりましょう。」と笑顔。 よろしくお願いします!と答えつつ、昨日の今日とはいえ問診これだけなの~。と思う。 で、化学治療室前で待つ。 「30~60分待ち」って買いてある。長い。TDLかよ。 待ち時間が長いので周りの人をなんとなく見る。 男女の老人と中年女性。ふと思いついて、中年女性に注目してみると どうやらウィッグの人ばかりである。 意外と気がつかないものだな。そんなに他人の頭をよく見ないもんね。 しかし待つ。お腹空いた。 結局1時間ほど待って通される。 テレビが乗った棚と大きなリクライニングチェアがある2畳ほどのカーテンで仕切られた空間。 ここにはこの空間が50席ほどあるらしい。トイレは男1女1共用3。 ナースが準備してくれて、完了したら医師を呼びにいく。 どこか別のいろんな科に当番医がいて、呼ばれると来て刺していくらしい。 左ひじと手首の間の少し手首寄りに刺す。 針の太さは採血と一緒だというが、2cm長いせいかなんか痛い。 どうやら私は血管が細いらしい。細いと言われてもうれしく無い。痛い。 ・生理食塩水 →パージェタ(1H) →生理食塩水を入れつつアレルギーなど出ないか1H様子見。 最後の15分で副作用を抑えるデカドロンを入れる。 →ハーセプチン(1.5H) ハーセプチンに代わって10分。のどが詰まる感じの違和感。 眠たいようなダルいような。活字に集中できない。 点滴20分でちょっと頭がフワッとする。その後寝落ち。 上記をナースに言ってみると 「ハーセプチンに入ってる抗ヒスタミン剤のせいだろう」とのこと。 ハーセプチン終了。ちょっと鼓動が早いような感じ。 針を刺したところの周りがなんか痛い気がする。 ナースに言ってみたら、点滴と血液のpHが違うために血管が痛いと感じるらしい。 針の刺さっている少し上のあたりをさすると、確かに打ったあざのようにぼんやり痛い。 ナースがその様子を見て、 3つ目にはもっと痛くなるだろうから右に刺し直そうと言い、医師を呼びに言ってくれる。 3つ目のパクリタキセルを入れる前に最初とは別の医師が来てくれて 右ひじ内側のよく採血するようなところに刺す。 血管が太いところの方が痛く無いそうだ。とはいえやっぱりけっこう痛い。 この病院では「抗がん剤の針は医師が刺す」という院内ルールがあるそうだ。 でもこういう痛そうだからとか細かいこと気にして相談できるのはナースですよねーとナースにふると 「そう、だからそのうちナースがやるようになると思うのよ。」と言っていた。 →パクリタキセル(1H) パクリタキセルはビール半杯くらいのアルコールが入っているから呑めないひとはクラクラするらしい。 最初はゆっくり落としはじめて、大丈夫なら入れ始めて10分くらいで速める。 ナースが先に会計に連絡すると2Fへ。そこから戻るとしびれ防止用に アイスノンと保冷剤とナース手袋(S)×2をくれる。 パクリタキセルはどうしても、副作用のしびれが出てしまうそうで オフィシャルの対策は無いのだけども 冷やしたり圧迫したりすると良いと言う人もいるらしく、「やってみる?」と聞いてくれたので 全部やると答えた。 ガンが治った後も後遺症でしびれが残っちゃう人もいるって先生も言ってたし。やれることはやろう。 パクリタキセルは健康で元気な細胞も攻撃しちゃうから、どうしても末端の神経がやられてしびれてしまう。 点滴中の一番たくさんの抗がん剤が体を巡っている時に 末端を冷やしたり圧迫したりして、細胞の活動をにぶくしておけば少し良いかもしれないということらしい。 ナース手袋は2枚がさねでもケータイのタッチパネルが使えること発見。 右手は太い血管に刺したから大丈夫だろうが、左手は刺したところが痛くなるかもって。 次回は採血と点滴、どこにさしたらいいんですかねと相談すると 「ひじの内側の太い血管で点滴するのが良いだろうから、採血は手の甲とかにしてもらって。」とのこと。 ナースは薬を取り替える時、ほんの一瞬なのにいちいち使い捨てのエプロンをするので聞いてみると 「結局のところ、抗がん剤っていうのは健康体にとっては毒。他人にとっても自分にとっても毒。 だからトイレ流す時とかも一応、蓋を閉めてから2度流すように気をつけて。」と説明してくれた。 ようやく長い点滴が終了。 終わって片付けながら、ナースは子供のこととか聞いてくれた。 「そういうところも含めて、毎週診ていくのだから話してね。」と言ってくれる。ちょっと泣く。 この病院は18:00に全て閉まる。閉まると救急外来での対応になりさらに時間がかかるというので急ぐ。 だからさっき変なタイミングで会計に行ってくれたのか。今、17:50。広い病院だからギリ! 18:00直前、精算機に急いで診察券を差し込んだら、なんとお会計が20万円強。 えーーーーー! え?え?と機械の前でひとりキョロキョロするも聞ける人もおらず、とりあえずクレジットカードで清算。 総武線→中央線と新宿で乗り換え。混んでてトーゼン座れない。 慣れない満員電車に揺られながら、ケータイで抗がん剤治療の値段を調べてみる。 どこからどこまでのことだか良くわからない記述ばかりだが、30~100万? とすると、今日のは本当に1日の値段?これから毎回かかるの?それとも3週間のセット価格? はぁ誰かに聞いとくんだったなぁ。ってかそういうのって誰か事前に教えといて~。 最寄駅に到着。今夜は夫が半休をとって子供達と家にいてくれているので ひとりでうどんでも食べて帰ろうと思ったが、子供の借りたDVDを返却するためにTSUTAYAへ。 そのまま近くのおしゃれカレー屋に入り、カレーとビール。 ちょっと迷ったけど、今後だんだん口内炎とか増えて辛いものが食べられなくなると言われたし 今日のうちならまだ食べられるよねと自分に言い訳。 カレーをペロリと食べて一息ついたら、足がちょっとしびれる気がする。これか。 会計をして帰路、歩いてみて気づく。細かくしびれている。これだ。 帰宅。 こんなに長く一人で出かけたのは1年半ぶりとかじゃないかな。 疲れたけど、なんか「やってやった感」があって、悪くない。 グダグダと不安に思ってるよりだいぶマシだ。 http://c-hiho.jugem.jp
2019/11/6(水) →ガン確定1日目② 先生の診察の後、別室で「乳がん認定看護師」というナースと話す。 先ほど先生と話した治療の予定をもう一度おさらいし その後、抗がん剤治療による具体的な副作用の可能性について話した。 特に、治療スタート後2週間ほどで確実にはじまる脱毛について、 帽子やウィッグのちらしも見ながら具体的にどんなふうか聞いた。 その他にも生活面での不安について、 両親などにどう伝えるか、そして、子供達へどう伝えるか。 「子供達」という言葉が出るまでは、 自分でもかなり冷静に話ができていたと思う。 ただ、子供達と言われると、言うと、どうしても感情が出てきて泣けた。 悲しいとかかわいそうとかではなく、ただ、胸がいっぱいになって涙が出た。 ここ数日、本気で「死んでしまうってどんなこと?」と考えることがあった。 何度考えても、思い残すであろうことは子供達のことばかり。 何度考えても、子供達と夫と家族で一緒にもっと笑いたい。死にたくない。 ナースと夫と3人でいろいろ話して、 我が家では11才の長女と5才の長男、それぞれに分けて対応することにした。 まず長女には、基本的に全て説明する。 乳がんではあるが、良く効く抗がん剤があるタイプであること、 週に1回・3ヶ月の抗がん剤治療をはじめること、 脱毛などの副作用があるが、薬が効いて治れば復活するものであること。 私自身がかかわる大人にはだいたい私から話してしまうつもりだけど それ以外でも長女本人がお友達や周りの大人に相談したい時には自分の判断で話していいこと。 私たち両親にいつでもなんでも言って欲しいけれど もしも直接言いにくいようであれば、幼馴染の友達のお母さんには話を通してあるので メールでも電話でも、自由に連絡してよいこと。 長男には、ガンという言葉は使わずに病気の治療をすることを説明する。 病気になっちゃったので時々病院に行って治療するがフツーに元気なこと、 病院での治療でもうすぐ髪の毛が抜けちゃうけどまた生えてくること、 心配しなくていいけど気になることがあったらいつでも言って欲しいこと。 そして、二人にかならず念押ししたいことは ガンは人には伝染せず、 病気の原因というものは何もなく、 誰のせいでもなく、私は単に運が悪かっただけだということ。 うまく、伝えられるだろうか。 二人のことを思い浮かべるだけでこぼれてしまうこの涙を、私は我慢できるだろうか。 こわがらずに受け止めてもらえるだろうか。大好きな二人に。 http://c-hiho.jugem.jp
2019/11/6(水) →ガン確定1日目① 長男を幼稚園バスに乗せた後、病院へ向かう。 インド出張から早朝戻りの夫が成田から合流してくれて一緒に診察室前で順番を待つ。 待たされている間はインドの土産話を聞く。私も、行ってみたいな。 夫にも病院の待ちの長さを十分理解してもらえた頃に診察室呼びいれられ、 針生検の結果である「組織診断報告書」をモニターに映して先生が説明してくれる。 そこには「carocinoma」の単語。「ガン」を意味している。 覚悟はしていたし、ネットで買った本に目を通していたので 先生が解説で使う言葉の意味は大体全部、理解できた。 とにかく私の胸には今、乳ガンがあって。リンパにも移っている。 ではこの私のガンが「どんなガンなのか」が重要になるけれど、要点は2つ。 ①【HER2:スコア3+】というタンパク質を持つものだから、ピンポイントで良く効く抗がん剤ハーセプチンがある。 ②【MIB-1index:80%】という値は、がん細胞がものすごく活発に増殖している状況で、 専門医である先生でも年に何回も見ないようなすごい数字。普通はせいぜい5~10%。 ただ、この良いニュースと悪いニュースはセットであって、 ものすごく増殖の早いタイプのガンだから、昔は進行が早く危ないタイプだったんだけど 今はハーセプチンが開発されたおかげで、限りなく根治に近い状態まで治療できる場合もあるそうだ。 自分の体の中のことで、なんだかおそろしい話だけども、 先生と話した結果、私は、「乳ガンという点では最悪では無い」と理解した。 今はまだ、針生検をした「乳ガン」の部分についてしかわからないから 今後の全身検査で転移が見つかったらまた少し話は変わってきてしまうのだけれど とりあえず、現段階で何をすることができるのか、するべきなのかを判断したいと思った。 治療のモデルを早く確定したかった私は、先生の提案の中から 「抗がん剤で3ヶ月ほどガンを攻撃して、小さくなるかもしれないのを診ての外科手術」の方で さっそくとっとと進めていきたいとその場で決めた。 「外科でガンをとってから、抗がん剤で治療」というものも考えられはするものの 乳房を温存したいという意向も特には無いながら、できるだけ身体の負担は抑えたかったのだ。 「さて、ではいつから始めましょうか。」と言われ、 翌週に予定している転移の検査とかの後の開始だろうと踏みつつ私は、最短で始めたいですと答えたところ 「じゃぁ、明日から。どうかな。」とランチの約束でもするような軽い感じで提案された。 さすがにちょっとビビったが、でも、胸の病院に行っとこうかなと思い立ってからここまで、 2週間弱のドトーの展開を思うと、この勢いに乗って行っちゃったほうがよさそうだと思えたので はい、では明日から抗がん剤治療はじめます。頑張りますのでよろしくお願いします。と言えた。 http://c-hiho.jugem.jp
2019/10/29(水) →ガン(?)発覚5日目 検査の結果って、もう出てるんだろうか。まだ出てないんだろうか。 っつーか結果なんて聞くまでもなく、こわい。とにかくこわい。 悪く考えてしまってこわい。良く考えようとしたってこわい。 「次はこれをやれ」と言われてる時はまじめに聞いて動くからまだいい。 「待て」と言われるともうこわい。 次の予約の11/6までは「待て」だから。 とにかくずっと、こわい。 http://c-hiho.jugem.jp
2019/10/26(土) →ガン発覚(?)2日目 何も知らない子供達を、何もわからない夫に預けて、ひとりで大学病院へ。 初めての大学病院は建物に入るなりすごい人。 ベンチというベンチに人が座っている。通路という通路に人が流れている。 入ってすぐの案内スペースで、紹介状があって予約している初診の者ですが…というと 案内の人が手慣れた様子で指示してくれる。 そうしてたどり着いた「初診受付」でまるまる1時間以上待たされる。 「診察予約時間の1時間前には来てください」と言われたが本当にこんなにかかるとは思わなかった。 その後、もらった地図に示された乳腺外科の先生の診察室まで 長い廊下をぬけ、エスカレーターで3階まで上って、キョロキョロしながらようやくたどり着く。 そこでもまた受付をして、ようやく診てもらえると思ったけど、そこからまた待つ。 はぁ。なんだかスタンプラリーのようです。 病院に到着して2時間近くが経って、ようやく診察室へ。紹介状にあった名前の先生とようやく対面。 とっても優しそうで物腰柔らかな男の先生。 「今日はどうしましたか」と始まって、私の話の後に触診。 「これは確かに何かあるね。」 「今日このままマンモグラフィーを撮り、針生検もしてしまい、MRIの予約をしましょう。」と言われる。 先生の口調は変わらず優しいままだけれども、まったく迷ったり考えたりする様子のないところに あぁ、やっぱりコレきっと、もう完全にガンなんだなぁ。と思わされる。 マンモと針生検のあとはここに戻ってきますか?と聞くと、 「今日は結果は出ないので検査用の血液を採って、そのまま帰って良いですよ。」とのこと。 だったら質問できるのは今しかない。 検査結果が出ないことには何もはっきりとは言えないんでしょうが、と前置きして、 これがガンだったら、今日やる検査の結果を見ればある程度の治療内容やスケジュールは見えますか、と聞くと 「針生検の結果が出たら、乳ガンについては一度きちんと話せますよ。」と答え、 検査結果をできるだけ早く聞きたいと言うと、2週間後に予約したMRI検査より前に診察の予約を入れてくれた。 では、結果を聞く時には、夫が同伴できたら一緒に聞いた方が良いですか、と聞くと 「可能であればその方が良いですね。」と言われ、自分で聞き出した答えなのになんだかショックを受けた。 お礼を言って診察室を出ると、またスタンプラリーのように1階に行ってマンモグラフィーを撮り、 同意書を書いてから3階の処置室に入って針生検をしてくれる外科の先生を待った。 若く優しいナースが同意書を一緒に見てくれてから「先生が来るまでちょっと待ってくださいね」と出て行った。 カーテンに囲われたベッドで仰向けになって天井を見ていたら なんだか急に怖くなって、涙が出た。 「先生もう来ますよ」とカーテンから顔を出したナースが涙に気づいて心配してくれたが 外科の若い女の先生は入ってきて準備をはじめつつ涙のことはスルーしてくれた。 その二人の反応を見て、私はなんだかありがたいような不安なような、とにかく孤独な恐怖をを感じた。 針生検は麻酔が痛かったけど、音が大きいばっかりで思ってたより痛くなかった。 でも刺してた何かを引き抜いた時に血がタラーッと垂れる感覚があってこわかった。 右胸のしこりと右脇リンパの組織を採った。 若く優しいナースにいたわられながら後処置をしてもらい 最後にたくさんの人が役所の窓口みたいに並んで血を採られる採血コーナーへ向かった。 そこでは年配のナースが手慣れた感じで何かに6本分の血を採ると言う。 「ではチクッとしますよ~」と言われ、腕に針が刺さり、チューチューと吸い上げられる血を見ていたら またもなんだかどうしようもなくなって、泣いてしまった。 手慣れたナースは血を吸い上げながらティッシュを箱ごとくれて、 「私たちはここでは詳しく聞けないんだけど大丈夫?落ち着くまでゆっくりしていきなさいね。」と言ってじっとこっちを見た。 もらったティッシュで鼻を何度もかんで、ありがとうございましたと席を立ったら 「気をつけて、帰るのよ。」と言ってくれて、私はまたちょっと泣いた。 帰宅後はフツーに。子供たちとフツーの土曜日を過ごした。過ごせた。と思う。けどわかんない。 http://c-hiho.jugem.jp
2019/10/25(金) →ガン発覚(?)1日目 朝から大雨。ただでさえ行きたくないカンジなのにますますヤだ。 でも予約してるし。傘さしてレインブーツ履いて家を出る。 とってもきれいなクリニック。 9時から始まっててまだ1時間だけど待合室は女性でいっぱい。 初診の問診票にいろいろ書く。だんだん怖くなってくる。 名前を呼ばれて診察室に入る。 おじさん先生に右胸になにか固いものがあると言うとすぐに触診。 そして触ってすぐに「あーこれはありますね。」と言われて 別室でエコー検査をすることに。 エコーはおばあちゃん先生。 「寒かったら言ってくださいね。」と言ってくれてスタート。 長い。長いこと診ている。妊娠の時もこんなに長くなかった。 だんだん寒くなってきた。どんどん怖くなってきた。 「診断は後で先生から聞いてくださいね。」 おばあちゃん先生が席を立ってから、これはなんかマズいヤツだと感じる。 それなりに緊張しておじさん先生の診察室に入る。 座る間も無くモニターから目を離さない先生が「これはガンだね。」と言う。 え。 「じゃぁ病院紹介するからそっちで詳しく診てもらってね。」 とかなんとか言って何かキーボードを叩き始めるおじさん先生。 え。は。いや。先生。あのまだぜんぜんピンとこないんですがちょっといいですか! っつって食い下がる。こんなサクッとスルーされてたまるか。もうちょっと話させろ。 ガンって乳がんですよね。外科手術とかするってことですか。と言うと 「そうだね。僕は都立医療センターか大学病院ならすぐ紹介できるけど。」だって。 え?は?いや?先生?あの乳がんって外科手術って入院とかありますよね?と言ったら 「そりゃそうだよね。」だって。 そりゃそうだろ。そのくらいわかるわ。そういうことじゃねーわ。 だから先生!大きい病院紹介される状況に慣れてないんで、確認していいですか! 乳がんって、検査して手術して治療して、どのくらいの期間病院にかかるもんなんですか! と、さすがにこっちも眉間にシワ寄せながらもっと話したいオーラ出して聞いてみた。 「ん~5年とか。通うよね。」 あーこのおじさん先生からこれ以上、私の納得のいく言葉は引き出せない。と気づき じゃぁ大学病院にします。お願いします。と結論だけを伝える。 今の社宅からは都立医療センターの方が近いけど、 3年後に戻る予定の自宅からは大学病院の方が通いやすそうだったから。そう判断した。 そういうことを口に出して伝えて、それなら大学病院が良いですかねとか話したかった。 「じゃ、紹介状を出しますから早めに大学病院に行ってね。がんばってね。」 受付で封筒に入った紹介状を受け取り、お礼を言って病院を出る。 相変わらず外は大雨で、なんだかぼんやりしてしまう。 夫にLINEする。 「乳ガンを外科手術で取らなきゃだからって紹介状もらっちゃった」 ちょっとカマッテちゃんぽい言い方になっちゃったかな。 でも素で、これ以上の言葉を尽くせない。 だいたいまず、「乳ガン」以外の言葉が私自身にちゃんと伝わってきてるんだかすらビミョー。 今日はこれから帰宅して夕飯をちゃんと作れる気がしないので 駅前で子供達と自分の分のお弁当を購入。とりあえずこれでしばらくぼんやりできる。 雨の中帰宅して、ネットで乳ガンの本を買い、 大学病院の繋がらない予約電話にかけ続けていると 夫から電話があって経緯をざっと話す。 夫もとにかく驚いていて飲み込めてはいないのだろうけども 私の説明を一度でひとしきり理解してくれて 大学病院の予約について同行できるかを気にしている。 こういう時、私たちは夫婦間で言葉がすぐに通じて、 不必要にワーワー言わない感覚が共通していることを本当にありがたいと思う。 その後、ようやく繋がった予約電話で待ち日数最短の予約を尋ねたら 翌日の11:00が空いていたのでソッコーおさえる。 このまったくもって何もわからない状況で何日も待つのはこわすぎる。 早く、私の今かこの先について、言葉で表せる誰かに何か言われたい。 予約電話が終わったら、フツーに子供達が順番に帰宅して、 フツーに一緒にお弁当を食べ、フツーに風呂に入り、フツーに就寝。 遅くに夫が帰宅して「大丈夫か。」と声をかけてくれたけど なんだか何も話せる気がしなくて眠いふりでスルー。寝落ち。 http://c-hiho.jugem.jp