みやちゃん
自己紹介
長男、長女、次女の3人の子供がいるシングルマザーです。
今は長女、次女を連れて実家に住んでいます。
昨年、職場の健康診断で甲状腺がんが見つかりました。
仕事をしながらの治療を続けていて、へこたれる事もありますが、持ち前の明るさで日々頑張っています。
ここへ来て、少しでもお話しを聞いたり話したり出来ればいいなと思っています。
応援している会員は115人です
応援している会員
年齢
53
性別
女性
住まい
長野県
病種(大区分)
口・のど
病種(小区分)
甲状腺がん
病種(備考)
リンパ節 肺転移
ステージ
ステージ4
告知年月日
2017年08月10日
通院・入院先の病院
信州大学附属病院
現在の状況
通院治療中
治療歴
職業
その他
配偶者
有り
こども
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投稿
今日の気分
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免疫力UPのために何が出来るか
およそ1ヶ月ぶりの投稿になります。 この所朝晩涼しくなって、私の好きな秋が近づいてきてます? 食欲の秋、読書の秋、スポーツの秋。 色々ありますが、私は断然食欲の秋です!! 毎年、秋から冬にかけて何故が体重が1、2㌔増加するんですよね~( ̄∇ ̄*)ゞ 体重といえば、夏の健康診断で体重が昨年より減ってました! しかし!! 腹回りが3cmも大きくなっていて⋯ なぜ? やはり、重力には勝てないということなのか⋯(º ロ º ) あ、話がズレました。 さて。 免疫力についてなんですが、恥ずかしながら免疫力についてあまり深く考えたことがなくて、ついこの間繋がり申請して頂いた会員の方とその話になりまして⋯。 病気になるまで、インフルエンザどころか、風邪もひいたこと無かったのに、昨年から全てのウィルスがウエルカム状態で⋯。 皆さん、免疫力UPのために何かしている事あったらぜひぜひ教えてもらいたいんです!! 何せ、無頓着で何も考えたことがなく⋯。 出来る事があればぜひやってみたいので、お願いします!!
作成日 : 2018-09-20 08:36:11
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アイソトープ治療予約へ
皆さん、暑い日がまだまだ続きますね。 しかも台風まで⋯。 西日本の方、台風気をつけてください。 さて、その暑い中昨日は2回目のアイソトープ治療の予約も兼ねて、病院へ行ってきました。 前回の治療の結果も、改めて放射線科の先生からお話しがありました。 やはり、ヨードが肺や、リンパ節まで全く行き届いてない事。 治療3回目位までは、効果がない事など、詳しくお話しして下さいました。 ヨードが喉に蓄積している間に、2回目の治療をした方がいいと言うことなので、今年の12月に入院が決まりました(´; ω ;`) 子供たちの春休みにと思っていたのに⋯。 またあの地獄の日々を考えたら、やはりテンション⤵︎⤵︎⤵︎になりますね⋯。 あ! でも、今も大変な治療をしている方がいるんだから、こんな事言ってられませんね! なんとか乗り切ります!! 残暑が厳しい今年。 皆さん、お体ご自愛ください。
作成日 : 2018-08-23 20:45:35
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夢新聞
病気の事を少しお休みして、今年2月に二女の小学校最後の参観日でやったワークショップの事を日記にします。 夢新聞。 この新聞の事を知ってる方いますか? ネットに詳しい事が載ってます。 興味のある方「夢新聞」で検索してみて下さい。 実はこの夢新聞、老若男女、年齢問わずやっているワークショップなんですが、夢新聞って言うくらいだから、子供の夢を新聞にする⋯。 ではないんです!! 夢を達成した事を新聞にするです。 ウチの娘が書いた新聞の題材を教えますね。 「書道家になって、夢だった個展を開催!!」 みたいな感じで、〇才で夢叶った!!って事を書くんです!! ちなみにウチの娘、小2から始めた習字をかれこれ今年で5年目。 飽き性な子がこれだけは頑張ってます!! 話しを戻して、これを2時間みっちり使って仕上げます。 はじめは、「こんなの書けない!どうしよう!」って声がほとんど。鉛筆は止まったまま。 しばらくすると、鉛筆の音が聞こえてきて、ほとんどの子が2時間で仕上げてしまいます。 私達がやったのは、親子バージョン。 なので、最後に親のコメント欄があります。 更に最後に、内緒で子供から親への感謝のお手紙があります。 これは直接読んでくれるので100%泣けます? 小学生の将来の夢って、ほぼ叶わずに終わりますよね。 あ、持ち続けてる子ももちろんいますけどね。 でも、文字にして更に新聞にすると、あらあらホントに叶うんじゃないかと⋯。 これを、少年刑務所や老人ホーム(シニア新聞)などでもやるみたいです。 シニアの方で、「100才で嫁さん貰った」とかあるみたいです(笑) こんな事考える人って、どんな人なんだろう⋯って思ってたら実は、私がお世話になっている新聞店の社長がやってました(笑) 全国へ出掛けては、この取り組みをもう何年もやっています。 希望があれば、講習会もやるみたいです。 なので、社長と直接会うのは給料日くらい(笑) めったに地元にはいませんねぇ。 たまには、配達の仕事もやれよって思いますけどね? 私達、がん患者にとって夢って⋯。 皆さん、色々あると思います。 私は、夢あるあるのケーキ屋さんとかお花屋さんたった気が。 叶いませんでしたが(笑) 皆さんは子供の頃の夢叶ってますか? これからでも遅くはないんですよね夢って。 年齢関係なく、強く願えば叶うんじゃないかと。 この日記を書きながら、改めて私も夢を持ってみようかと思います。 最後に、ウチの長女は小学校時代からの夢を叶えようとしています。 見守ることしか出来ないけど、その時が来るまで応援し続けようと思います。 その為には、私が元気でい続けることですね?
作成日 : 2018-08-12 23:28:39
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いざ監獄へ。アイソトープ治療。
手術をして1ヶ月目の検診で、1回目のアイソトープ治療の話し&予約をしました。 ネットで治療の事を調べていたので、頭でっかちになって放射線科へ受診しました。 2月に予約をし(結果、2月に次女の最後の参観日があることが分かり、5月に延ばしました) その下準備として、入院の3週間前からチラージン(甲状腺の薬)を止める。 1週間前からヨード制限食を開始。 (海藻類を食べない) アイソトープ治療とは、放射能を有するカプセルを3個飲み、薬が病巣部に集中的に取り込まれ、細胞をたたく。というものです。 もちろん副作用もあり、吐き気、頚部の腫れ、味覚障害、肺の炎症など。 そして、放射線を体から出すため、30μSvにならないと退院できない。 退院しても、しばらくは子供と接触出来ない。 トイレも2度流す。 お風呂も最後。 洗濯も別。 全てのものに手袋をして触る。 これを1週間~3週間。 聞いただけで、嫌になる治療⤵︎⤵︎⤵︎ さらに説明ではこれで治る訳ではなく、進行を防ぐと言うこと。 治る治療ならともかく、防ぐーー? モチベーションが上がらないー! 気持ちはイヤイヤのまま4月中旬から薬を止め、下旬からヨード制限食を始めました。 出汁の使ったものはダメ。 卵も1日1個。 乳製品も制限。 既製品なんてもってのほか。 アイスも食べられない⋯。 基本、和食は全滅! 洋食のみ! 地獄でしたね~。 薬(チラージン)も飲んでないから、体が段々だるくなっていくし、何事にもやる気が無くなってくし、朝起きるのも辛い。 そんな体調のまま、いざ入院。 予定では3泊4日。 入院時に持っていくものは、全て捨ててこなければいけないので、最低限の持ち物。 もちろんスマホも厳禁! 天井には360度カメラ。 (何かあった時用) カプセル服用したら、看護師さん達は立ち入れないので、ご飯も外に置き(スピーカーでご飯ですよと言われる)自分で取りに行って下膳。 お風呂も入れない。 外へ出られないから、室内をウロウロ。 ラジオ体操的なものしか運動出来ず。 心の友はテレビ。 でも、これをナースステーションで監視されてます(´×ω×`) 下手なこと出来ません。 水を飲んで、なるべく外へ放射線を出す! の繰り返し。 ほぼ監獄状態です。 精神的にやられる治療です。 まぁ、結果予定通り3日目で12μSvまで下がり4日目で退院出来ました。 家は天国でしたね~。 でも、言いつけは守りましたよ~。 全てに手袋! めんどくせぇ~。(・д・)チッ やっぱり健康は宝だなと改めて思いつつ。 退院してすぐにシンチの検査。 そして先月の7月、期待せずに結果を聞きに 行きました。 案の定、全く変化なし! お盆過ぎにまた放射線科へ受診します。 予約も兼ねて。 半年待ちなので来年の治療になりますけどね。 私より大変な治療してる方たくさんいるのにへこたれてちゃいけませんね。 長文失礼いたしました! 最後まで読んで頂いてありがとうございました(*´ω`*)
作成日 : 2018-08-09 17:56:39
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仕事復帰へ
手術をしてから、およそ1ヶ月で仕事復帰しました! でも、まだまだ咳と嗄声が酷いので、新聞配達から始めました。 新聞配達って、作業場へ着いてから黙々とチラシを入れ込み、配達順に組み早々に配達へ。 なので、あまり他の配達員さんとは挨拶程度。 声があまり出せなくても大丈夫。 でも、皆さん心配してくれてか「あまり無理しないようにね」と気遣ってくれました。 最初は80件程度の配達。 普段なら余裕でサクサク出来るのに、そこはやっぱり病み上がり。 全く走れず⋯。 少し歩いただけでもハァハァ。 でも、外へ出て体を動かせる喜び。 楽しかった~(*^ω^*) で、その一週間後には、昼間の接客業にも復帰しました!! レジも少しずつ。 でも、接客業はキツかった。 体も疲れるし、喉もキツいし⋯o(-_-;*) と、そんな時に地元の新聞で気になる記事が。 働くがん患者支援浸透せず。長野県内78%「制度なし」 企業に努力義務を課した改正がん対策基本法が2016年12月に成立したものの、中小企業が多い県内で取り組みが十分進んでいない現状。 2人に1人がガンになる時代。 確かに企業側は、いつどうなるか分からないがん患者に支援をと言われても⋯。 でも、がん患者だからと言って休みを与え、療養する事だけがホントにいい事なのか。 私もその1人。 体を動かすことが好きで、体が辛くても仕事へ行きたい。 しかもシングルマザーで働かざるおえない環境。 皆さんの働き方はどうなんでしょうか? 私は、上司やパートさんに恵まれていて辛い時はすぐにでも休ませてくれる。 差別なく働かせてくれる環境。 少しでも、このパーセントが減るようになればいいと思います。 働きたくても働けない方もいると思います。 日記を読んで気を悪くする方がいらっしゃいましたらホントにごめんなさい。 読んで頂いてありがとうございます。
作成日 : 2018-08-06 20:54:24
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自宅にて
家に帰ってきても、車の運転も出来ないのでテレビを見るか、スマホをいじるか、布団の中でゴロゴロするか⋯。 もう、暇で暇で死にそうでした。 (仕事仲間の事を考えると申し訳ない) 術前は、体を動かして働くのが好きだった私。 急に暇になると何をしたいいのか分からない。というか何も出来ないんだけど。 相変わらずのむせるほどの咳と、嗄声。 歌番組を見て一緒に口ずさんでも、声なんて出りゃしない。 娘とカラオケに行ってストレス発散してたのに、それも出来ないのかと落ち込む⤵︎⤵︎⤵︎ 1週間程して、車の運転を恐る恐る。 今までみたいに後ろを振り向く事も難しかったけど、なんとか出来た! それからウォーキングも始めたけど、すぐに息切れ。 あんなに動けたのに⋯ってまた落ち込む。 しかもこの時、世の中は師走。 小6だった次女の個人面談もあったり、中学の制服の採寸あったり、結構忙しくバタバタしてました。 そんなこんなで、術後の体の様子は、 固形物も飲み込みにゴックン、飲み物もゴックン。(音が鳴る) 首、肩、頚部に感覚なし。 テープかぶれの症状なし。 術後すぐの傷跡の硬さ。かなりのモン。 あ、娘達の様子はというと。 術前と全く変わらず(笑) 私に気を使うことなく、普段通りワガママ言いたい放題! とにかく、この時の目標は1日でも早い社会復帰をする事!でした。 では、次は仕事復帰へを書きたいと思います。 読んで頂いてありがとうございました(*^ω^*)
作成日 : 2018-08-02 20:46:04
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恐怖の夜~退院まで
個室に移って、早速夕飯が出るとの事。 しかもお粥⋯このお粥が私にとって天敵。 もう、嫌いで嫌いで。 入院の経験する度にお粥と格闘する私。 やっぱり少ししか食べられず。 マズイ(´; ω ;`) 薬も早速出ました。 粉薬と錠剤1錠。これも苦戦(´•ω•̥`) なにせ首を切ったので、頭が重く感じて歩くのもやっと。 そして!! あの恐怖の夜がやって来ましたΣ(||゚Д゚) 痰が出なくて困った!! 自分で出せない私。 溜まるとイチイチ看護師さんを呼ぶ始末。 しかもあの痰吸入! 酷い代物(笑) 息子も施設で使ってるらしく、「あれはえげつないよ~」って言っていた事を思い出し、 あ、息子は介護士で施設で入居さんに使ってるとか。 これか!これなのか!! これは酷い⋯。 細いチューブで患者さんの喉奥まで持っていきズルズルと吸う。 そして私はその度に「オエーオエー」の繰り返し。 過酷な戦場。イヤイヤ病室。 でも、取ってもらうとスッキリするから眠れる。 もう、この繰り返し!! ホントに今思い出すだけでも人生で1番嫌な出来事のベスト3には入るんでないかと思うくらい。 ホントに疲れた夜でした。 次の日も前の晩の痰吸入でぐったり。 面会も全部お断りしました。 ご飯もお粥から普通飯になったけど、食べられずまたお粥に逆戻り。 そして、やっと大部屋に! 首の傷も恐る恐る見る私。 「あ~、結構切られたなぁ。しかも目立つ!!」と見る度にテンション⤵︎⤵︎⤵︎ ※写真載せておきました。 でも、大部屋に移ってから予定もサクサク決まっていく。 首に繋がれていたドレーンも取れ、身軽になった私は院内をウロウロ。お風呂も入れる!! ご飯もかなり色々食べられるように。 でも、硬いものは苦手で(肉とか魚)かなり残してた。 美味しかった食べ物はヨーグルト!! これは冷たくてのどごしが良くて、毎日買って食べてました。 でも、手術して退院まで唯一変わらなかったのが、咳と嗄声。 なんの前触れもなくの咳き込み。 涙が出るくらい。 声もガラガラ。 一緒のお部屋だった患者さんに申し訳ないくらい昼夜関係なく出ました。 なんやかんやありまして、いよいよ退院。 主治医の先生、看護師さん、薬剤師さんの退院後の過ごし方、注意事項、次回の検診の日程を決めて無事家へ帰還しましたー! と、こんな感じの入院生活でした。 で、入院生活の中で感じたこと。 それは普通の生活が出来る事って素晴らしいという事。 いつもやっている事は出来て当たり前ではないんだと。 人って欲深い生き物だから、あれもこれもってなるけど、普通が1番なんだな。 子供も、勉強出来なくてバカでもいい。 健康であれば何もいらない。 でも、その大事な事を忘れると子供の成績や、人と比べたりと言うことが出てきてしまう⋯。 そんな事を改めて感じながら、次は自宅で過ごした事や、仕事の復帰など書きたいと思います。 読んで頂いてありがとうございました。
作成日 : 2018-07-30 17:13:08
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いざ出陣
2017年11月に、甲状腺全摘手術をしました。 大雑把に流れを説明。 手術2日前に入院。 体重、身長、血圧測測る。 主治医の先生と麻酔科の先生の手術の説明。 これでおしまい。 2日目 朝から胸管食(これがかなりクソまずいから一気にと。) 飲んでみたら「あら、ミルクセーキじゃない、イケルイケル」と飲み干す。 手術室に持って行くものチェック。 暇すぎて院内をウロウロ。 テレビを付けたり消したり。 スマホをポチポチ。 なぜ2日前入院なのか未だに謎です。 手術当日。 朝8時半に手術室へ。 さすが大学病院。手術室がたくさん。 麻酔をされウトウト。 あとは先生におまかせ。 約12時間の大手術で、終わったらすぐにICUへ。まる1日そこで過ごしました。 眠ってて全く覚えてません。 (歯ブラシをしたことはなんとなく覚えてるんですよね~) そして、4日目。 目が覚めたら個室にいました。 眠くて眠くて、目を開けても瞼が重くて~。 先生の説明もウツロウツロしながら聞いてました。 「とりあえず、水飲んでみて」と言われ、普段通りに飲んだら「ウエッホウエッホ」と私もした事の無い咳。 「あ~、やっぱりむせるね。下を向きながら静かに飲んでみて」と言われ、言う通りにしたら、あらまぁ! 咳きこまずに飲めました!! でも、これから先水もまともに飲めないのか⋯と早速落ち込んだり。 そして!! ここからがあの悪魔との戦いでした!! と、この先まだまだ長くなるので一旦終わりにします。 次回へ続く。 読んで頂いてありがとうございました。
作成日 : 2018-07-29 13:48:49
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告知から今に至るまで②
告知から~①にありがとうをありがとうございます。 甲状腺がんと告知されてから長野の伊那中央病院から松本の信州大学へ移されました。 大掛かりな手術になるという事と、術後アイソトープ治療をしなければならないという事。 このアイソトープとは甲状腺全摘した患者さんでなければ受けられない治療で、ヨード食事制限をして放射線内服治療をするという聞いただけでドキドキする治療です。 それが長野県内で信州大学でしか出来ないということらしいです。 この段階で「あ~大変な事になっちゃったなぁ」とボヤく毎日。 少しここで私の日常生活の事を。 小さい頃からお見本になるような健康体で、熱すら出したことの無い私。 仕事も、早朝新聞配達と昼間の配達の仕事のWワーク。 朝2時半に起床。5時に帰宅。 8時に昼間の配達出勤。15時帰宅。 体力と健康だけの自慢だった私でしたが、 34才で子宮内膜と診断され、卵巣嚢腫、子宮筋腫もあり全摘手術をしました。 ここで、昼間の配達の仕事は辞めざるおえなくなりました。 子宮の方は経過も良く完治。 就活を始めて、昼間の仕事復活! (今度は接客業) 朝刊配りは辞められず、またまたWワーク。 その翌年に離婚。 それから2年後に甲状腺乳頭癌。 全摘手術を昨年11月にし、今年5月にアイソトープ治療。 で、今に至るです。 甲状腺がんになったのも、日頃の行いが良くなかったんでしょうねぇ。 体に優しくない日々を送っていたしっぺ返しが来たんだと思いました。 大学病院へ移されてから、長い道のりをひたすら通い、嫌な検査をし結果的に両肩にリンパ節20個以上あると言われ、しかも手術も10時間以上かかる繊細な手術だよって。入院も2週間くらいかかるかな?と。 内膜症の手術のように、完治出来れば頑張るけど、治らないと分かっててしなきゃいけない理不尽さ。 仕事をまた辞めなければいけないのか、子供たちはどうなるのか、今までの日常生活がどのくらい変わるのか⋯。 考えたらキリがなかったです。 がん患者のみならず病気を持っている方って必ず考えなきゃいけない事で⋯。 前向きに頑張っている方にはホントに頭が上がりません。 術後からの事は、後日また来たいと思います。 読んで頂いてありがとうございます。
作成日 : 2018-07-28 12:01:42
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告知から今に至るまで①
NHKのネットニュースでたまたまこのサイトを見かけ、参加させていただきました。 出来るだけ今の思いをこの日記に書いていきたいと思います。 私は、昨年の7月に職場の健康診断で、肺のX線で再検査が来ました。 これがきっかけです。 まさかの肺の再検査。 8月に精密検査が始まり、がん告知されるまで1ヶ月かかりました。 肺ガンかと思っていたものが「甲状腺がん」 しかも肺に写っていたものが白いたくさんのプツプツ。 どうやら肺に転移していたらしいです。 悪性で、早めに手術をしなければならないという事、甲状腺自体を取っても転移した肺の治療もしなければならないという事。 覚悟をして行ったけど、さすがの私も何がなにやらさっぱりって感じで。 先生曰く、甲状腺がんは予後がとても良く、でもホルモンが作られなくなるから一生涯薬を服用する必要があるという事を聞き不安と安心が一緒に来た感じでした。 少し話が長くなるので、後ほどまた来ます。 これから皆さんと色んなことを共有していきたいと思っています。 よろしくお願いします( ᵕ·̮ᵕ )♡
作成日 : 2018-07-28 06:14:01