ちゃっこ
自己紹介
2018年。
長男の大学受験…
末っ子の幼稚園入園…
それらに合わせたペースで日に日に強まる胃痛。随分なストレスねぇ!とメンタル弱い自分にあきれていました。
同じく強まる腰痛は、幼稚園帰りの抱っこが増えたせい!とバンテリンサポーター巻いてしのいでいました。
5月に迎えた47歳の誕生日、家族で行った居酒屋でグラスビール1杯で満腹に。
またお腹すいてるときに来ようねぇ~と笑いながら、明らかにおかしいと思いました。
おかしいと認めてしまった途端、坂道を転がりおちるように、痛い・食べられない・眠れないが増してゆき。
悪夢だー悪夢だーと思いながら、6月5日に町医者を受診。
即刻大きな病院を紹介され、6月18日には抗がん剤治療スタート!速っ(*_*)
膵臓がんステージ4b。肝臓とリンパ節にたくさん転移あり。脾臓の腫れは原因不明。
手術にならない分、子どもらと家で暮らせることがとても幸せです。
親友がCPを教えてくれました。
不安に押しつぶされそうな夜、子どもらの寝息をBGMに皆さんの日記を読んでいます。西口さんに感謝感謝です。
現在の治療は、
◆3投1休のアブラキサン+ゲムシタビン
◆化学療法翌日に温熱療法(ハイパーサーミア)
◆膵臓の機能がおちてインスリンの出が悪いため、トレシーバとノボラピッドの自己注射
です。
家族は、45歳♂・大学1年♂・小4♀・3歳♂
です。
どうぞよろしくお願いいたします。
【2018.11.14追記】
追記しようと開いてスマホを落としそうになり、応援しますに触ってしまって…
自分に応援してしまいました…
消したい……?
◆10月24日 CVポートをつくる。
◆10月25日 抗がん剤を変更。FOLFIRINOX開始。
応援している会員は201人です
応援している会員
年齢
53
性別
女性
住まい
群馬県
病種(大区分)
肝臓、胆のう、膵臓
病種(小区分)
膵臓がん
病種(備考)
ステージ
ステージ4
告知年月日
2018年06月13日
通院・入院先の病院
前橋日赤
現在の状況
通院治療中
治療歴
職業
その他
配偶者
有り
こども
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投稿
今日の気分
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♿️駐車スペースに停めたいです……
群馬はアマゾンみたいなもんで、どこへ行くにも車です。 妊婦のときは堂々とステッカーつけて店前の♿️スペースに駐車していましたが、今はなんの証明もないし、仕方なく空いているなりに遠くへ…… でも歩くことが辛い日もあります。 それでも買い物に行かねばという日も。 スーパー入口のカートにたどり着くとホッとして体を預けます。 そんな日に出掛けずに済むよう、基本、生協さんの宅配と夫便で乗りきってはいるのですが?? だけど病院だって、大駐車場で近場は♿️スペースだし! がん患者も停めてもいいですか? がん患者と一口に言っても、症状が幅広かったり治る人も治らない人もいたりするから、証明のしようがないのかしら。 都会の電車移動の皆さまは、体調が優れなくてももっともっと歩いて移動でしょうに、愚痴っぽくてすみません? 貴重な春休みなのに、暇な子どもたちを置いてのFOLFIRINOX入院。 切なく思っていたところ、同じ境遇のお仲間の日記がちらほら見られて心強く思えました? がんばります?
作成日 : 2019-03-27 14:41:38
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Nコン課題曲『僕が僕を見ている』
Nコン(NHKの合唱コンクール)の課題曲を紹介する番組を小4娘と観ました。 高校の部の『僕が僕を見ている』に釘付けになりました。 「僕」のお葬式の歌なんです。 男声パートを歌う学生さんが、作詞の方のところへ話しに行っていました。 「友達が亡くなり、この歌の光景を経験しました。ずっと何かできることがあったのではと後悔していました。でもこの歌の最後で、友達は目覚め、新しい世界へ踏み出していく。そんな視点を初めて知って僕は救われました。ありがとうございます」……そんな話でした。 僕が僕のお葬式を見ている歌なんです。 でも歌の最後で僕は目覚め、「新しい朝」へさわやかな一歩を踏み出すんです。 作詞の川村元気さんは『君の名は』のプロデューサーです。ほかにも有名な作品たくさん。『ふうせんいぬティニー』も! 川村さんは「高校生が毎日練習するにはしんどい世界かと迷った」という風なお話もなさっていました。 たしかに。でもラップ調の部分もあり、いま風ではあります。 わたしがわたしのお葬式を見る、と当てはめたら、ちょぃと若すぎるかも…… でも、いざわたしのそのとき、大事な子どもらがどう感じるのかわからないけれど、最後の部分から学生さんが感じとったその先の希望「新しい朝」まで思い至ってくれたらなぁ!とつよく思いました。 あなたたちにも「新しい朝」がやってくるから大丈夫だよ、という祈りもこめて。わたしのお葬式で、歌詞テロップつきで流してもらいたいなぁ。 わたしの深部静脈血栓症は、いまにも血栓が再び肺や心臓にとぶかもという危機は脱したそうで、28日に退院となりました。血液サラサラのお薬はまだ当分飲み続けるようですが。 いくつもの偶然が重なって、命をつないでいただくことができ、運命にも先生にも感謝感謝です? いまは改めての予約入院をし、10回目のFOLFIRINOX投与中です。 増大している膵臓の原発腫瘍をMRIで診ていただいたところ、腫瘍にとうせんぼされた膵液と血液が腫瘤となってたまっているのだそうです。 ある程度の大きさからは圧がかかって成長が自然にとまるはず、とのことですが、いよいよとまらなければ腹痛でわかるそうです。こわいじゃないかぁ? そんなお水にジャマされ、腫瘍マーカーを大幅に上げているはずの固形の原発腫瘍は見えずでした?? いろいろあるんだなぁ? 前回の日記に書いた、フルオロウラシルが臭い件は。 みぽこさんからいただいたコメントを真似してみたくて、今回、無印のアロマスティックを持ち込みました。 扱いに世話なさそうな、小さなスティック状のルームフレグランス。リラックスという香りを。 ポシェットに1本だけ入れてみたところ、今度はリラックスが強すぎてオエオエ?? 慌てて取り出し、ティッシュに乗せて少し離れたテーブルに置いてみたところ、よさげです? フルオロウラシル2日目ですが、恐怖にまでなっていた臭さを鼻が感知することなく、ここまで過ごせています! みぽこさんありがとう?
作成日 : 2019-03-13 03:09:31
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FOLFIRINOX……フルオロウラシルのにおい?
血栓も溶けつつあり、今日は延期になっていたFOLFIRINOX9回目です? FOLFIRINOXは、制吐剤等をはさみつつ4種の抗がん剤を次々点滴します。 4つめのフルオロウラシルは約46時間かかるので、バクスターという容器を専用のポシェットに入れて肩からしょいます。 このフルオロウラシル?バクスター?ポシェット?どれかが、なんともいえずくさいのです! 吐き気の最中なせいもあるのか、時々オェってくるほど! だけどにおいは対処のしようがないかと思い、我慢していました。 前々回、そのセットを開封した看護師さんが、「くさっ!」と言いました。 「久しぶりに開けたんだけど、こんなにくさかったっけ?」と! 嬉しくなって、「でしょでしょー?」とそれまでの我慢を喋りまくりました? そのときは愚痴ったのみに終わったのでしたが、今度は前回…… 専用のポシェットが届かないという不手際があったそうで、今夜だけこれを使ってください、とちがうバッグが届きました。 いつものポシェットは、ファスナーで密閉し内側は保冷の銀のシート。臨時のバッグは、開いたままの袋で表がビニールコーティングされた不織布です。 これがとてもよかった✴️ においが、ゼロではないけれど大幅に軽減されました✴️ 薬剤師さんに話してみたところ、バッグを布で手作りしている方もいらっしゃるとのこと! では市販品か手作りか考えてみます……とおりこうな返事をしたものの、案の定まるで考えてなどみないまま次がやってきました?? そのやってきた今回。 ちがう看護師さんでしたが、今朝、くささとバッグについて説明してみたところ、そのバッグを探してきてくれました? 手術室にある、術後にドレーンを入れるための使い捨てバッグなのだそうです。写真を載せます。 終わったら捨てても持ち帰ってもかまわないそうなので、いただきます!やったぁ!? 些細なことですが、少しでも楽になれればうれしいし、吐き気が減ると食べられる量も少し増えます? ほかに。 吐き気が投与後何日も続くことで、制吐剤のひとつを効果の長いアロキシにかえてくださり。 イリノテカンとレボホリナートをWで入れると、めまい・大汗・鼻水・涙・唾液がとめどなくなって辛いので、その前にポララミンを追加してくださり(これは全部はおさまらないけれど、汗と涙が完全にとまりました。ただし強烈な眠気が追加されました?)。 吐き気どめの注射も効きますし、家で飲む吐き気どめは数種類試した結果わたしにはカイトリルが効くこともわかりました。 ついでに食事も。 薬が入るとほとんど食べられなくなってしまうのだけれど、3日くらい食べなくたって死にゃしないゎと我慢していたところ、看護師さんと栄養士さんが来てくださり。 主食を、パン・お粥・おうどん、代わる代わるにしていただいたところ、白米よりも食べられるようになりました。 抗がん剤の副作用そのものは発売当初から変わりないのでしょうが、その副作用に対処する方法の進化を感じます。 主治医先生や薬剤師さんと投与の都度話し合いながら、オーダーメイドのフォルフィリ対策がセットされていきます。 ありがたいことです??️
作成日 : 2019-02-25 14:25:42
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『後悔しない死の迎え方』『さよなら ママがおばけになっちゃった!』
おはようございます? 最近読んだ本を紹介したくなりました? 1つめは 『後悔しない死の迎え方 著/後閑愛実』 著者は1000人以上の患者さんを看取ってきた看護師さんです。 夫が育った上尾市のご出身で群馬の看護学校を卒業なさっていると知り、なんの面識もございませんが読んでみたくなったのでした? 看取りエピソードの7割?8割?くらいはお年寄りのお話です。 そりゃそうだよねぇと、自分には当てはまらないなと思いながら読み進んだのでしたが、最後のほうにはがん患者さんや若い方のお話も書かれていました。引き込まれました。 講演会を聞いているかのような文体で、字も大きめなので、一気に読めました。 エピソード中心ですが、参考になる知識もちりばめられています。 なにをもって延命治療というか、とか、家で穏やかな看取りを望むなら動転して救急車を呼ばないように、とか。 いちばん最後のページには、人間が食べられなくなり始めてから旅立つまでの段階が、かわいいイラストで描かれています。 もちろん、みんながみんなこの通りではないということにも触れられていますが、これは旅立つ側も看取る側も元気なうちに冷静に知っておいたら、いざそのときに落ち着いて充実した時間を過ごせるのではないかと思いました。 ちょぃとおまけのような効果もありました。 机に置きっぱなしだったこの本に気づいた小4の娘が、「ママ!死ぬ気なの?!」と? 「そらぁ親は子より先に死ぬさ。しかもママはがんだからよその親より早く死ぬでしょ。でもまぁすぐには死なないから安心して」と応じたところ、「ふ~ん」と言ってパラパラめくっていました。 そこで、ちょっとキビシイかなとも思いましたが、イラストがかわいいので旅立ちの過程をいっしょに見ました。 「喋れなくなっても、もしかしたらご臨終のあとも、最後の最後まで耳は聞こえてるんだって。ママの悪口言ったら化けてでるぞー」「マジで?気をつけるよ!」などと笑い合いながら。 夫にもこの本をすすめ、いつでも家族が手にとれるよう放り出してあります。 まだ元気な今だからこそ、軽口たたくレベルで旅立ちの話を日常的にできたら。 死ぬことはたぶん寂しいにちがいないけれど、それでも当たり前のこととして家族で分かち合えたら、寂しさに押しつぶされずにみんなで踏んばれるんじゃないか、と思ったりしています。 そして、そんな踏んばりの礎は知識なんじゃないか、とも思います。 知っている、ということは心の落ち着きを生みます。 そういった意味からいえば、この本、ちょっとギョっとするタイトルも含め、買ってよかったなぁと思いました? もう1つは絵本 『さよなら ママがおばけになっちゃった! 著/のぶみ』 「ママがおばけになっちゃった!」の続編です。 「ママがおばけになっちゃった!」は、ママが事故で死んでしまったところから始まりますが、この続編はママのお葬式から始まります。 ストレートで、笑えて、泣けて…… わたしたち親子におあつらえ向きです! 主人公と同じ4歳になったばかりのユヅ。 でもユヅにはまだこの本を見せていません。 とってもおもしろいけれどとってもリアルで、これは、今こそ読むべきか、お葬式の前日?当日?翌日?に読むべきか、ずっとあとで答え合わせ的に読むべきか……迷い中です?? 今から時間をかけて刷り込めば、いざそのとき、ほんとにママおばけに会えたような夢を見てくれるんじゃないか?と思いを巡らせたりもしています?
作成日 : 2019-02-18 08:47:20
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膵がんだけど……肺塞栓!
わたし緊急入院です? FOLFIRINOX8回目を終え、またもや腫瘍マーカー急上昇。 CTを撮って、昨日画像があがったのですが…… 肺の入口の血管内に血のかたまりが? 主治医先生が目の前で心臓血管内科の先生に電話をかけ、電子カルテを共有して、検討してくださり。 即刻、車椅子を用意されて検査三昧となりました? FOLFIRINOXの都度入院していたこともあり、この病院のお部屋やスタッフをずいぶん知ったベテラン気分でいましたが、まだまだ未知のゾーンがあると知って若干ワクワク?? 反面、今週はおうちにいるよと伝えてしまった子どもらにどう話したものかと考えると、気持ちが沈みました…… 生協さんも大量に届いちゃったのにな…… 結果、右足の静脈がほぼ全部&左足も一部詰まっている、深部下肢血栓症(だったかしら?うろ覚え??)と判明。 要するにエコノミークラス症候群だそうです。 その血栓が肺にとんでの肺塞栓。 肺塞栓といっても血管にかろうじてわずかな隙間があるため、なんの自覚症状もなく、酸素量も全く正常です。 でもその隙間が埋まったら突然の呼吸困難をおこす、という緊迫した状況だそうで、まぁとにかくびっくりしました! 即入院を言い渡され、「でも荷物とりに帰らなきゃ…家の中もそのままだし…子どもら帰ってくるし…お願いですから一旦帰らせて…そぅっと動きますから…」と懇願。 渋々、薬を飲んでから帰る&2時間で戻ってくることを条件に許可をくださいましたが、「もし少しでも苦しく感じたら迷わず救急車呼ぶんですよ!救急車ですよ!動ける状態ではないんですからね!」と心臓の先生にチョー念を押されて、ちょっとビビりました。 帰宅するなり二階と下を駆け足で往復しながら荷作りし、急いでシャワーまでしちゃったのは言うまでもありませんが? 24時間心電図をつけて、朝晩飲み薬を飲むだけの非常に穏やかな入院です。 自覚症状も痛い苦しいもなにひとつなく、でも最短でも一週間だそうです。 通常の心房細動患者さんの倍量の薬を飲むので、出血や副作用を厳重に診ていかねばなんですって。 子どもがいなくて主婦だったら、どんなにか優雅な静養入院になっただろうなぁ~と思ってしまいました。 ただひたすら、子どもらが可哀想でなりません? サークル納会中なのに、ユヅかりんと夜の留守番を頼むとパパから呼び戻された長男。 かりんは「がんばって!」と笑顔で見送ってくれたけれど。 ユヅは幼稚園から帰宅して満面の笑みでまとわりついていたのに、入院の説明中から絵に描いたようにみるみるしょんぼり顔に。下を向いて「ママ、病院行かないで……」と呟きながらふて寝(?)。お昼寝から起きてわたしの姿がなかった瞬間どんな気持ちだったかと思うと、胸がしめつけられます。 でも。 これは死なないための入院。 知らないうちに血栓がとんでポックリが十分にあり得る状態だったそうなので、みつけてもらえて不幸中の幸い。 そう思って淡々と時間の経過を待ちます。 がんそのものがね、血液のバランスや体中のいろいろなバランスを崩してしまうので、こういうことも起こりうるのだそうです。 抗がん剤の副作用も一概に否定はできないけれどでも病気そのものの影響と考えられる、と、外科と心臓どちらの先生からも言われました。 皆さんも、がんの症状とはまたちがう違和感、息ぎれやむくみ等々少しでも感じたら、すぐに病院で伝えてくださいね……
作成日 : 2019-02-14 06:37:49
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ママ友たちの愛?
小4娘の個人面談週間です。 面談といっても進路指導があるわけじゃなし、夏の家庭訪問のように家庭と学校の情報交換の気楽なおしゃべりです。 わたしも、治療の合間で体調の整いやすそうな日を選ばせてもらい、久しぶりの学校へ足を運びました。 もちろん娘について、有意義なお話をたくさん聞けたわけですが。 ひとしきり話し終わったあと、先生から 「こんなこと言ってよいのかわからないのですが…」 と切り出されました。 「お母さん、すごい人だなぁと思って。実は面談の中で、何人ものお母さんから、花倫ちゃんちの力になりたい、とか、私にできることはありませんか、という話があがってきているんです。長く教員をやってきて、こんなお母さんは初めて出会い、驚いています」 と。 いやいや!驚いたのはこっちですよ! わたしが病気でも、そしてそのうち死んでしまっても、花倫ががんばりすぎることのなきよう、のびのび楽しく過ごせるよう、仲のよいお友達のママたちには早いうちに病気のことを伝えました。 なにか変わったことや気づいたことがあったら教えてね、と。 そして、わたしは病気を隠すつもりはないのでわたしのいないところでもみんなで話題にしてね、と。 それから半年。 もともと、ママグループ的なお付き合いはあまりなく、個人的に仲良しなママが何人もいるわたしなのですが。 そのどなたもが、実に心地よい距離感で、時々様子をたずねてくれたり、差し入れを届けてくれたり、ランチに誘ってくれたり、娘の送迎をしてくれたり、と、つきすぎず離れすぎずの長ーい支援の声を掛け続けてくれてるんです。 わたしが逆の立場だったらこんなに長いこと気にかけてられたかしら、と、感謝の気持ちはいつも感じていました。 それが、この度の面談で、先生にまで! わたしは全く知りませんでした。 先生は、こんなに皆さんから慕われているのはお母さんのお人柄、とか言って感動してくださってるようなのですが、いやいや!皆がいい人なの!! 数日後には、隣の2組さんでも 「花倫ちゃんちのサポートをしたいのでつぎのクラス替えで同じクラスにしてください」 と懇願してくださるママが! そして2組の先生も 「そういうお母さんが何人もいらっしゃるんですよ」 と言ってくださったとか…… もう嬉しいやら恐縮してしまうやら、くすぐったいほど、心があたたまりました。 それと。 この人たちのすごいところは、支援する人される人、という関係性をわたしに作らせないところなのです。 些細なことだけれど、今日連絡帳書いてこなかったから教えてーというLINEだったり、ちょっと悩める我が子の相談だったり、わたしが無理なく口やLINEで役に立てる役割は、ちゃんと果たさせてくれるのです。 今までのお付き合いと変わりない、「おたがいさま」を貫いてくれるのです。 それぞれが個性的で大好きなママ友たち。 先生には、つぎのクラス編成に思いもよらないテーマを与えてしまってごめんなさぃだけど(笑) これからわたしが皆にできる恩返しはなんだろうなぁ……治療は厳しいけれど、そう考えるだけで、このうえなく幸せな気持ちになります?
作成日 : 2018-12-14 12:28:32
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秋の夕方、病院からユヅをおもう
秋が好きです。 でも排ガスまみれの街路樹をこんなに愛でた秋は初めてかもなぁ… 車で幼稚園へ送る道は両側銀杏だったことに、秋が近づいて気づきました。 毎朝「これ黄色くなるんだよー」と見あげ続けました。 「こっちはちょっときいろいじゃん!」 「こっちはまだみどり!」 ユヅも素直に応えてくれます。 先々週一週間入院し、その後のヘロヘロ期を乗り越えて10日ぶりに送った朝、その木々は見事な黄金色に変化していました! しばし見とれていると、ユヅが 「じいじに送ってもらってたらきいろくなっちゃったんだよー でもあっちはまだみどりだよー」 となぐさめて(?)くれました。 利根川を渡る橋からみる赤城山も、下半分が紅く染まっていて、 「あかぎのおやまは、むらしゃきになったよー」 と教えてくれました。 もうじきこの黄色い葉っぱがみーんな落ちて~ 風さんに運ばれて土になって~ 春になるとまたちっちゃぃ緑が出てくるんよ~ と説明しながら、春になってもユヅの隣でわたしが笑っていますように、と深く深く思いました。 昨日からまたフォルフィリ合宿中なのですが、売店で買ったのび太の『おばあちゃんの思い出』に泣かされています。 わたし47歳。次男3歳。 ガンじゃなくてもおばあちゃん気分でいいけどね??
作成日 : 2018-11-27 16:17:30
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読書感想文から知る娘のおもい
夏休み恒例の読書感想文。 国語だめだめな娘が選んだのは、ホープツリーの冊子に推薦が載っていた『月のかがやく夜に』でした。 今週の朝礼で突然名前を呼ばれたそうです。 その感想文が市で優秀賞となり、校長先生から賞状をいただいたのです。 帰宅した娘から「ハイ、見てみ!」と丸めた賞状を渡され、あまりにも驚いて泣けました。 涙々のわたしを見て、「イエーイ!」と小躍りするばかりの、やっぱり言語表現力に乏しい娘でした(笑) 『月のかがやく夜に』…Amazonさんでも中古しかなかったので、もう生産していないかと思われます。 がんになったお母さんが、月のかがやく夜に、我が子に自分の病気や気持ちを伝える物語です。 すぐに読み終えることのできる、ほぼ絵本です。 4年生としてボリューム的にこれでいいのか?!ズルくないか?!と思いつつ、まぁ出しゃいい宿題だし、と放置でした。 夏休み、わたしの化学療法中に、娘1人待合スペースに軟禁状態で書きあげました。 「わたしは今、日赤の化学療法室にいます。」 と始まり、わたしの病状と自分の気持ちが、物語と照らし合わせながら書かれていました。 中でも、 「お母さんは、副作用で寝ていることもあります。でも元気なときにはたくさん遊んでくれます。」 「いっしょに遊んでいると、私は時々、お母さんの病気のことをわすれてしまいます。でも、それでいいと思っています。ずっと考えていたら、つらくなってしまうからです。」 「私は、学校の楽しい話をたくさんしてあげて、お母さんとたくさん笑っていたい。いっしょに笑って病気に向かっていきたいと思います。」 というような記述(コピーをとらなかったので記憶のみで残念??)が、心に残っています。 わたしの病気を娘がどう捉えているのか、初めて見えた気がしました。 わたしの病気について、娘は一度も泣きません。 どうもがんらしい、ということを一番最初に話したのも娘にでした。 クリニックでCT画像を診ていただき紹介状をもらった日、たまたま休校で娘が受診についてきていたからです。 4年生というのは、とても大人の話に首をつっこみたがる時期でもあります。 その後の検査結果、治療方針、腫瘍の増大や余命への不安も、わたしが夫へ向ける話を全て聴いています。 患者サロンにも都合のつく限りいっしょに参加をしています。 でも、うんうん、とよく話を聴いてはくれますが、どうも自分からは多くを話さないので(なにせ言語表現力が……)、頑張らせすぎではないかと心配ではありました。 心配なので、言動に注意をはらっていただけるよう担任の先生に手紙を書いたり、仲良しのママ友にも協力をあおいだり、家族以外の大人に話したいとき話せるよう脇をかためてみたりして。 でも、そんな生活を5ヶ月経た今思うのは、子どもってなかなか逞しいんだな、ということ。 親が病気になってしまったことは確固たる大問題で太い柱だけれども、同等に大事な柱を何本もお持ちのようです。 クラス、宿題、合唱団。林間学校の班編成や、市の行事…… 並行して何本もの柱を持っていて、チャンネルを切り換えながら1つ1つに真剣に向き合っている模様。 親の病気が全てではない。 娘を信じて頼ろう、そしていつでも家族や先生や大人を頼ってよいことだけは伝え続けよう、と思いました。 わたしがふざけることを「楽しい」と捉えてくれている、わたしの病気を「つらい」と思う感情を知りつつ「時々わすれる」、病気に対して「いっしょに向かおう」という姿勢でいる… そんなことを感想文から知ることができ、ほっとしました。 闘病生活が長きに渡るほど、一筋縄ではいかないことも増えてくるとは思います。 こんな思い、周りのお友達は誰もしていないのに可哀想に、とも思います。 もっと言えば、母の闘病を目の当たりにし、そして早くに母を亡くすという辛い体験をさせるのなら生まなきゃよかった、とすら思います。 それでも、生きてりゃいいことあるんだなぁ…… わたしたちにとって、今回の思ってもみない賞状は神さまからのご褒美でした。 泣けました。
作成日 : 2018-11-09 07:01:45
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シーラカンスをとりにゆこう
CVポートをつくるプチ手術をしました。 説明を受けたとはいえ、水色シートを顔にも乗せられて局所麻酔下での未知の感覚と展開に泣きそうな中、頭の中に流れてきたのは… 合唱曲「シーラカンスをとりにゆこう」 わたしは、気持ちが一杯いっぱいになると、その気持ちから離れられる曲を一所懸命さがします。 記憶のひきだし、そんなにたくさんのストックはありませんが?? 今回の小一時間は、ひたすら ねぇもっしも明日 空がっ晴ぁれたなら シーラカンスをとりにゆこうよ 出掛けよう きみにも一匹は かならず釣ぅれるはず シーラカンスをとりにゆこうよ 出掛けよう おべんとうつくーってゆこう 僕がもぉつかぁらさ ……?? 雨が降ったらステゴサウルスをとりに行って、風が吹いたらプテラノドンをとりに行くんですよ! なんて突き抜けたうたなの(笑) メロディも転調が心地よく、子どもたちの声のかさなりも上手でも上手じゃなくてもとにかく爽やか。 娘が小学校の合唱団で歌っているのを聴き、初めて知った曲です。 娘は下パートなので、お風呂で熱唱しているのが聞こえてきてもなんのことやらでしたが、行事での全体合唱を聴いて大好きになりました? 原発巣からの新たな腫瘍に現在の抗がん剤が効いていないかもしれず、こんなに頑張ってるのに…と体に入っていくアブラキサンをみつめながら悲しくてたまらなくなったときには、ベートーベンの交響曲第7番でした。 のだめで演奏されていた曲です。 第1楽章はわたしにとって明るすぎましたが、第2楽章の悲哀を帯びつつシンプルな感じがしっくりきて。 記憶から流れる節はおぼろげだったので、いてもたってもいられずイヤホンをしてYouTubeで聴きました。 副作用の下痢に悩まされているとき、頭の中に流れてきたのは、SMAPの「がんばりましょう」。 切羽つまっているようでいて意外にわたしまだ余裕あるんじゃん?と笑えてしまいました。 早速今日からこのポートをつかってフォルフィリが始まる予定です。 まだ痛み止めの点滴中なのに。こわいなぁ… 生きるため!とガチガチに気が張ってるわたしをつぎに包んでくれる曲はなんでしょう。 うまくいきますように?
作成日 : 2018-10-25 05:58:26
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アブラキサンからフォルフィリノックスへ…
昨日はまたニガテな選択! 一度も下がったことのなぃ腫瘍マーカーですが、8月末の3980から今月は6454へ大躍進で? フォルフィリに変えることも選択肢のひとつ、と主治医から提案をいただきました。 膵臓の原発巣から新たに生じた腫瘍に、ゲムシタビン+アブラキサンが効いていない可能性大。 しかしフォルフィリノックスに変えれば効く、という保証もない。 膵臓は抗がん剤がとーっても少ない。 膵臓は免疫チェックポイント阻害剤や分子標的薬もほぼ期待できないらしい(遺伝子検査未経験なので一縷の望みは抱いていますが…)。 またグズなわたしで、たくさん話し合いました?? ありがとう先生? ポートを作るので4泊5日入院というのも悩みどころでした(ここCPではそんな日数ではないお仲間が多いのにごめんなさい?)。 我が子たちにはバアバがいません。 父子家庭で頑張ってもらわねばです。 3歳の息子は今でもわたしと添い寝で、ぐっすり寝ていてもわたしがトイレに行くと音もなくトイレの前で待ってるほどベッタリ〰️ 1泊空けたコトはあるのですが、4泊は心配だしなにより反動がコワイと思ってしまう? 先生は「変えない、という選択肢もあります」とも言ってくださったけれど、この数値つきつけられちゃねぇ… 結局、「よし!コレ見ちゃっちゃやるしかないよね!」と両膝叩いて決意を述べてきました。 「お気持ちわかります…」と静かに笑ってくださいました。 入院日24日と31日という二択を与えてくださり、月曜日の受診でお返事します。 小4の娘に話したら「なんで抗がん剤変えるん?」と言うので、腫瘍マーカーの説明をしました。 健康な人は27くらいかなぁとも話したところ、叫び声をあげて、「5日間くらいまかせといて!死んじゃえば永遠に会えないんだから、5日くらいなんてことないよ!ユヅはパパと2人で面倒みるからなんとかなるよ!」と大慌て(笑) 大1の長男は「決めたなら早いほうがいいよ。腫瘍の増大が心配だから、24日に行きなよ」との意見。 3歳の次男は時間的な言語認識が未成熟なので(今日と明日、この前とさっき、等の使い分けがどうもできない?)入院前夜にきちんと話そうと思っています。 でも今朝、幼稚園へ送る車内から社会科見学の小学生の列を見て、「ユヅくんもうお兄ちゃんになったんだけどいつから学校行けるの?」と。 「4歳おわってー5歳もおわってー6歳になってちょっとしたらかなー」と答えると、「6しゃいかぁ。ママも朝いっしょに行こうねぇ!ランドシェル買ってねぇ!」と。 朝から不覚にも前の車が滲みました。小学生のユヅ、見たいな… そんな子どもらに背中を押され、決心が固まりそうです? 実は、9年前大腸がんへのたぶんフォルフィリで苦しんだ実母の姿が記憶にあり(しかも母、めったにあり得ないというポートの血管内への陥落に遭っています)… わたし、とても恐れていたのです。 そんな気持ちと弱音を化学療法室の看護師さんにも聞いてもらってきました。 大丈夫!副作用の対症薬どっさりもらいまさぁ? あ。そういえば夫は「よく考えて31日かな…」とLINEよこしたっけ。 わたしの心は24日入院へ傾いています。夫またないがしろ?
作成日 : 2018-10-16 12:30:36
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ちょっとした決断に慣れたい
わたしは優柔不断です。 なのに、がん治療というのはどうしてこうも決断の積み重ねなのでしょう!! 治療開始から3ヶ月の評価CTを撮りました。 膵臓の原発腫瘍とリンパ節の多発転移はやや縮小。 肝臓の転移は大きくも小さくもならず。 新たな転移はなし。 現状維持=奏功✨と考えていたので、心の中でガッツポーズをしたのですが、先生の話はまだ続きました。 「ただ、一点……」 原発巣から、焼いたお餅がふくれるみたいにプクーっと新たな腫瘍が。 がんは、何とかして生き残ろうと顔つきを変えてくるそうで、ココに今の抗がん剤が効いていない可能性も考えられるとのこと? 腫瘍マーカーも上がりつづけているそうで? そこで、 ①抗がん剤を変えるか?変えないか? ②副作用がだいぶキツくなってきたけども、抗がん剤の量やスケジュールをどうするか? の話し合いとなりました。 もちろん、ド素人のわたしに一任されるわけではなく、先生はきちんと選択肢を挙げてメリットデメリットを解説してくださいます。 でも、わたしが「それはイヤ」と言えば簡単にやめそうだし、「それがいい」と言えば簡単に前に進みそうな… そんな、ゆる~い空気… 会話にマが空くことがむしょうに怖くて、「でもセンセ…」とか「うーん…」とか「どうすっかなぁ…」とか、ほぼ言葉ではない唸りで時間をかせいだ気がします。 3ヶ月前、初めて治療方針を考えるときには、 「もし先生が3歳児の親なら、どんな選択をなさいますか?」 と思いきって訊ね、結果、考え込んだ先生のほうから確固とした提案をしてくださいました。 でも今回はそんなに大それた決断でもなく。 地味に神経を消耗しました? ダラダラと時間をかけ、何を質問したらよいのかも思い浮かばないままどうにかこうにか話し合って、とりあえずの方針は決まりました。 ①少ない抗がん剤の手札を減らしたくないから、当面今までの薬を続けてみる。 ②減薬して新たな腫瘍が増大するのが怖いから、今まで通りの量とペースで続け、腫瘍マーカー次第では3ヶ月後を待たずに再びCT。副作用を先生に内緒にしない。頑張りすぎない。 ありがたいことに、今まで決断の結果や出会いにはいつも恵まれてきました。 でもホントに苦痛です。なにかを「決める」って。 体は元気だけれど気持ちがドドーっと疲れました? いつかは慣れるときがくるのかしら…… 今日は、幼稚園が来年度入園希望者の面談のために早帰りでした。 現実逃避したくて、3歳の息子を迎えてそのままドライブ。 突発的に、車で1時間ほどの県立自然史博物館へ行ってきました。 アノマロカリスや恐竜をみて、ヒト1人の人生なんて米粒みたいなもんだよなぁと思ったり~ 動くティラノサウルスに後ずさりしまくって、ドジョウを愛でる息子に笑わせてもらったり~ 元気になりました?
作成日 : 2018-10-05 20:10:50
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献眼について
ナオさん日記を拝読してから気になっていたアイバンク。 資料を取り寄せてみました。 9年前にがんで亡くなった実母は、自ら献体を希望して主治医に調べてもらったのですが、余っている状態と言われてしまって叶わず?? がんの体では臓器提供も無理ですし、活用しようがありませんでした。 そのとき角膜とは思い及ばなかったのですが! ナオさんのおかげで気づくに至り、燃やしてしまうわたしの体、使えるものがあるならばこんなに嬉しいことはない!と思って。 でも周囲に提供した者もされた者もおらず、資料とネット情報以外には何も知りません。 よい情報でもよくない情報でも、ご存知の方いらっしゃいますか? 資料から知るかぎりでは、 ◯角膜が健康であれば、近視・遠視・乱視・老眼・年齢等は問わない。 ◯脳死状態ではなく、心停止後の移植が可能。 ◯死後10時間以内に連絡をし、専門の医師が提供場所に駆けつけ、その場で1時間ほどで摘出。家でも病院でもどこでも大丈夫。 ◯摘出後は義眼を入れるので、顔の形はほとんど変わらない。 ◯お断りしないかぎりは、アイバンクの方が感謝状をもって葬儀に来てくれる。子どもが誇らしく思ってくれるかも。 ◯登録後に気が変わったらいつでも取消できる。 と、いいことづくめです。 角膜移植を希望する視覚障がいの患者さんは、全国に約2千人。 でも、平成29年度の群馬県の献眼者は26人。40代50代女子に至ってはゼロ! (といっても群馬県の登録者は1432人で全国一位だそうなので、亡くならないだけのようですが) というわけで。 登録する方向に9割5分傾いているわたしですが、なにかご存知の方がいらっしゃれば教えてくださーぃ? 今日は、長女の小学校の運動会が台風で火曜日に延期になりました。 火曜日では通院で行けなーい? わたしにとって最後の運動会になるかもしれないからわたしの写真もいっぱい撮ってね、とじいじに頼んでおいたのに… でも、これは来年の運動会をお楽しみにってこと!と捉えて生きます?? 明日の次男の幼稚園運動会も延期だろうなぁ〰️
作成日 : 2018-09-29 17:55:06
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3日・3ヶ月・3年-膵臓がんをみとめて3ヶ月-
病気が判明してから3ヶ月が経ちます。 あっという間の3ヶ月だったような、もっとまえからこんな生活だったような…… 子どもが赤ちゃんのときにも、あっという間と思える反面、この子がいなかった生活が考えられないようにも思えました。 似た感覚かな…… 彼氏や夫に飽きるのは3日・3ヶ月・3年、といいます。 石の上にも三年、ともいうし。 三年寝太郎、の昔話もあるし。 3… 「がん」とのお付き合い3ヶ月という節目を迎え… 平たく言ってしまえば、もう飽きた! 後ろ向きに考えれば、不安心配恐怖増し増し! 前向きに考えれば、わたしってばそろそろベテラン! たった3ヶ月ですが、スローテンポなわたしの今までの人生では考えられないほど、一気に人と出会ったり人の変化をみたりする期間となりました。 主治医をはじめ、子どもらの担任の先生やママ友や、自分の友だちや親族、それぞれにふさわしい形で自分の現状を伝えたくて、人生で最も国語力をひねりだした期間でもありました。 人の変化… そう。人っておもしろいなって思いました。 学生時代の恩師は、毎週のように、心配していますとメールをくれます。 母校の写真や当時のわたしの写真を次々添付してくれて。 ありがたい反面、だんだん変化がないと申し訳ないような気がしてきた(笑) 出会って間もない幼稚園のボスママ率いる学年委員軍団は、わたしの病気を担任から保護者へ発表するべきだと幼稚園のトップに意見しました(怖) 実父の後妻は、わたしを受け入れていませんが、初めて煮物やカレーを作って父にもたせてくれました。 最初の1ヶ月は週1ペースで作ってくれたので冷戦休止かと感謝していましたが、もうブームは去ったらしい(笑) 学生時代の友だちが横浜で牧師をしていて、こんなときこそ会いたいと思っていたら、仕事で近くに来ていると突然連絡をくれて会えました。 どんなに可哀想がってくれるかと思いきや、「じゃぁみんなと会っとこう!」と初めての同窓会を企画してくれています(笑) 仲良しママ友たちからは、たくさんのお守りやご神水やケア帽子や眉ティントが届きました。 昨日はママ友の夫さんから、鎌倉上行寺のがん封じのお守りをいただきました。 前出の学年委員ボスママの話をしたら、絶対刺す!と激怒してくれるママ友も。 それぞれの方のありがたい反応。 わたしが逆の立場だったらこんなに寄り添いかたを思いつけただろうか… そうそう。ママ友のつよいススメで除霊に行ったのも、貴重な体験です(笑) 人は生まれるときは一人、死ぬときも一人、というけれど、わたしは死ぬときは一人の気がしない。 きっと苦しいんだろうけれど、たくさんの(概ね)よい人の心に包まれている。 守られている。 それを実感できたのが、この3ヶ月の宝かなぁ。 でも、この大好きな人たちと別れたくないなぁ。 21日に評価のCT撮影です。 24日に主治医と画像をみます。 「24日に画像があがるから、休日だけど一緒にみませんか?」と言って出勤してくださる主治医も、本当によい人。 キャンサーペアレンツには、3ヶ月どころの話じゃない大先輩が大勢いらっしゃいます。 「がん患者」という事実からはどうやっても逃げられないのに、踏ん張っているのか嘆きながらなのか粛々となのかわからないけれど、ご自分で一日一日を積み重ねている。 そのことに心から尊敬します。 わたしにできるかな…… もう飽きちゃったな……
作成日 : 2018-09-13 11:54:46
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ママ、ハゲがバレちゃう!―わたしの脱毛録―
暗くなってからベランダでバスタオルを干していると、3歳♂が階段をフーハーフーハーあがってきました。 「ママ、おぼうしもお洗濯した?乾いてる?」 と。なんだかあわてている… よくよく聞いてみると、結論的には、 「そのまんまお外でたら、ママ、ハゲがバレちゃう!」 とのことでした(笑) 心配してくれてありがとう! 抗がん剤を選ぶとき、主治医から 「(この薬は)毛という毛が全部抜けます!」 と言われました。 「ハイ!だいじょぶです!」 とは言えなくて、そう心から思えるまでに数日かかりました。 3歳♂のことが心配だったからです。 彼は赤ちゃんのときから、わたしの髪をいじりながら眠りにつく癖がありました。 ここ1年ほどはさらに、「ヘビ?」「ヘビじゃないゎ!」「ヘビ女?」「ヘビ女じゃないゎ!」(春菜さんのステラおばさんじゃないゎ!風に)とわたしと言い合いながらその声がだんだん遠のいて入眠、というおまけつきでしたから… 抗がん剤を始める前日、夫に頼んで3歳♂を散髪に連れて行ってもらいました。 同時にわたしもほかの千円カット店にとびこみ、肩下のセミロングを 「全ての髪2-3センチにしてください!」 と告げました。 初対面のお姉さんは静かに、ご自身のいとこが抗がん剤で脱毛する前にカットしてあげたという話をしながら切り始めました。 わたしに何の質問もしないまま、できあがったのはガッキー風ショート。 「もし抗がん剤ならですけど、抜け始めるまでに2-3週間あります。その間のワンクッションを楽しんでほしい。上は長めですけど、内側はだいぶ短くしてかぶせてあるので、抜けてもホラーのようには散らばりません」。 期せずしてわたしはまた人に恵まれたなぁ…と感謝感謝でした。 事情を全て話してからお礼を言って帰宅し、彼の帰りを待ちました。 「見て見て~!ママもおなじ頭にしてきた!おそろいだよ~!」 と出迎え、だからもうヘビ女はできない、ということを、極力軽く何度も口にしました。 その後3晩は本当にせつなかった。 両手をつないでも「ヘビ女がしたいのにぃ…」と小さい声でつぶやく。 泣いたり荒れたりせず、悲しそうな声でつぶやく… でもつぶやきが減っていくことに反比例させて、じゃれあいながらの説明を増やしました。 「ママはポンポン痛い病気でしょ。お薬が、ポンポン治すついでに、なんと!髪の毛とっちゃうんだってさ~ だけどね、目はとれないよー耳もとれないよー鼻も口もほっぺもとれないよー(←眉毛睫毛はとれるから絶対触れず(笑)) だから心配しないでねっ!」 と。 そのうち、わたしより先に「とれないよー」のクダリを言うようになり、難なく入眠できるようになりました。 不織布の脱毛期用つかいすて帽子をかぶってしまったことも、諦めをつけるのによかったかもしれません。 寝具についた抜け毛をとる用にコロコロを購入し、それも彼の仕事となりました。 脱毛が一気に増加してきたと感じてからは数日間洗髪せず。 時間のある日曜昼間にレジ袋を持ってシャワーに入り、一気に流して。 いっしょに見て、すっごいねー!と笑い合いました。 あとから黙って排水口を掃除する夫の背中だけがちょっと寂しかったけれど、3歳♂ケアは概ねよい流れで楽しめたかな…と思いました。 ただ。 美容師さんが残してくれた長めの頭頂部が、抜けきれずに絡まり合い、見事なちょんまげになってしまって… スクール水着のような紺色ケア帽子がもっこり…… 夫と9歳♀からえらく笑われる羽目にorz そしてその後、はや2ヶ月が経ちます。 が。 髪、微妙に残ったままなのです… (あ。ちょんまげは数回に分けて地道にほぐし、もうないです) 化学療法室の看護師さんに、いつになったらツルツルになれますか?と聞いてみました。すると、 「あー残っちゃった?個人差があるのよ~ここまでだね~」 とのことorz 俗にいう「ひな鳥」の、半分の半分の半分くらいですよ。 地肌のほうが断然多いですよ。 でももう引っ張っても抜けない… アトピーで皮膚弱いから、剃るのも怖い… そして昨日。 肩をもんでくれていた18歳♂が言いました。 「ママ、髪ハンパに増えてね?」。 合わせ鏡をしてみました。 ううん、増えてないよ。これは伸びてきたんだよ… 寝癖がつくようになり、3歳♂はおもしろがって櫛でガリっととかしてくれます。 わずかに残された毛根たちは、何をめざしているのでしょう。 連休には、学生時代の友達が女子会をしてくれます。 わたしが疲れたらいつでも横になれるようにと、みんなで喋れる広さのホテルをとってくれました。 ケア帽子がとれたらと思うと、うかつに眠れないじゃないか。いっそ尼僧のようなら堂々と披露するつもりだったのに。 ハゲ(微妙な)がバレちゃう!
作成日 : 2018-09-04 08:02:31